てりとりぃ放送局アーカイヴ(2012年6月22日〜2012年7月6日分)

 そりゃあ「ディスコ」は誰がどう見ても「バカっぽい」音楽ですよね。ええ、そのバカっぽさこそを愛して止まない当方としては、今も大きな声で「1977年という年は『勝手にしやがれ』と『サタデー・ナイト・フィーヴァー』を生んだ奇跡的な年として語り継がれるべきだ、と言い続けるわけです。ただ今鋭意「ディスコ本」制作中の当方は、当然のようにズブズブの「ディスコ脳」となってしまっています(いつものことですけど)。さて今回はディスコ・シーンが生んだ「愛らしいリメイク曲」です。(2012年6月22日更新分/選・文=大久)


John Davis & The Monster Orchestra / Night And Day (1976)

 1974年以降、MFSBというフィリーの看板オーケストラが分裂してできたグループのひとつがサルソウル・オーケストラで、もうひとつがこのジョン・デイヴィス率いるモンスター・オーケストラでした。更にリッチー・ファミリーというグループも出来たりしましたが、メンバーはいつもどこでもダブっています。つまり、皆「MFSBポッセ」だったということですね。この曲はモンスター・オーケストラの76年のデビュー曲で、勿論コール・ポーターのジャズ・スタンダードのカヴァー。

The Anvil Band / Begin The Beguine (1977)

 コール・ポーター作の「ビギン・ザ・ビギン」、日本では特にフリオ(・イグレシアス)さんの歌で有名ですよね。あのスタンダードをフルオケのディスコ・スタイルでカヴァーしてるのがこのアンヴィル・バンド。殆ど無名の人達ですが、実はこのユニットは覆面プロジェクトでして、バックの演奏は全部サルソウル・オーケストラが演奏したもの。ジャケのオニイサン達のルックスでも判るように「ソッチ方面」をターゲットにした企画色の強いディスコ・インスト・アルバムを78年に発表しています。


Cookie Monster / C Is For Cookie (Larry Levan Mix / 1978)

 あの「セサミ・ストリート」傘下のセサミ・ストリート・レコードというレーベルは、B.スプリングスティーン『明日なき暴走』のバロディー作品とか『サタデー・ナイト・フィーヴァー』のパロディー作品(こちらには本物のビージーズも参加)も出してるような素敵なレーベルですが、「CはクッキーのC、これさえあればオイラは満足〜」なんていう番組挿入歌を、NY界隈のカリスマ中のカリスマ、ラリー・レヴァンにディスコ・リミックスさせる、なんていう豪快な男気も持ち合わせていました。そのエピソードも最高ですが、曲がコレマタ最高なんですよね。まさに「愛らしい」一曲。


Gary Criss / Girl from Ipanema-Brazilian Nights (1978)

 グラス・ボトルという一発屋ポップ・グループに在籍していたゲイリー・クリスのソロ・アルバムは、なんとジョン・デイヴィス・プロデュースのディスコ・アルバムでした。米国ではサルソウルから発売された彼の作品は、ラテン・ディスコの名盤として有名です。ここではあの「イパネマの娘」のディスコ・カヴァーを枕にして、ゴージャスな名曲「Brazilian Nights」に突入、という豪快なメドレーをお聞き下さい。余談ですが「イパネマの娘」のディスコ版はアストラッド・ジルベルト本人も残しています。

Carol Douglas / I Want To Stay With You (1977)

 世の中には「それ反則だろー」というアルバムが時々存在するわけですが、77年発表のキャロル・ダグラス嬢の3作目は、だいたいそんなカンジです。彼女はグロリア・ゲイナーと並ぶディスコ・ディーヴァのトップ・ランナーですが(一説では2人は犬猿の仲、とか)、そのアルバムは「ハートに火をつけて」や「ダンシング・クイーン」のカヴァーを収録していました。つまり「ウケ狙い」感が満載だったわけですね。そしてその内容は文句ナシに最高の1枚でした。こちらはギャラガー&ライルのカヴァー曲で、フリー・ソウル・シーンでも有名になったメロウ・ディスコ。

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 音楽を知ったり、親しんだりする過程において「教則ビデオ」というモノに触れる機会のある人は、かなり限られるだろうと思われます。演奏者を志す人にとってはとてもなじみ深いアイテムですが、リスナー視点から言えばあまり面白くない映像であることが多いからです。とはいえ、その音楽を解析する上ではとても貴重な素材であり、貴重な情報が詰まっていることも見逃せません。今回は「本人が実演する教則ビデオ」をいくつか集めてみました。(2012年6月29日更新分/選・文=大久)


Brian Setzer / Sleepwalk Guitar Lesson

永遠のロカビリー・ヒーロー、ブライアン・セッツァーは、1992年にロカビリー・ギター演奏の教則ビデオを出しています。動画で彼が演奏している「SLEEPWALK」はサント&ジョニーのヒット曲のカヴァーですが、ストレイ・キャッツ時代、ブライアン・セッツァー・オーケストラ時代ともに彼の重要なレパートリーとなっている曲で、同ビデオではそのスキルを惜しげもなく披露しています。この動画では曲部分のみですが、ビデオは他にも「ロカビリーにジャズ系のコード取り入れる」なんてネタも彼が(実際に演奏しながら)喋っている模様を収録しています。

Jimmy Page tells "KASHIMIR"

U2のエッジが「あの“KASHIMIR”って曲は一体どうやって思いついたの?」とジミー・ペイジ本人に質問。そこでペイジが「あれはね、DADGADていう変則チューニングでね、ちょっとシタールみたいな響きがあって……」と、ここぞとばかりにZEP時代の自慢をし始める、という素敵な動画です。2009年に公開された“ギターバカによるギターバカのための映画”「IT MIGHT GET LOUD」のワン・シーンです。この映画では他にも「どうやってギターの音を歪ませるか」みたいな対談部分もあって、ペイジ先生が自慢げに「WHOLE LOTTA LOVE」のリフを弾き始めると、エッジ&ジャック・ホワイトが子供のようにニヤニヤしながら先生のプレイに見惚れる、なんて場面もあります。

Neil Peart's Drum Camera from "Subdivisions"

ラッシュというバカテク・トリオ・バンドには、ニール・パートという常人離れした仙人のような(ちなみに彼は哲学的で難解とされるラッシュの「作詞」も担当する、という人物)ドラムがいるんですが、彼は自分の周囲360度を全てドラムキットで囲われたセットを使用することで有名です。実際に「自分一人ではこのセットに座る事ができない」と本人も言ってますが(彼の膨大なドラムキットを実際にセッティングしてみた、という動画もあります)、ではそのセットをライヴで実際にどう駆使するのか、という動画がこちら。ドラムだけのために、一体何台カメラを使っているんでしょうか。すごく贅沢な(笑)ビデオです。

Pete Whitfield "Disco Strings"

「ディスコ音楽のストリングス・アレンジ方法」を紹介する動画です。実際にはこの動画制作主が「ストリングス・ループ集」の音素材集を発売していて、その宣伝のための動画です。沢山のリフの紹介や「こうすればソレっぽいトリルになるよ」なんていう裏技も公開しています。アレンジ例として動画中で演奏されている曲がやけに完成度が高いのですが、これは2003年にDJ AFROがLA CASA DEL RITMO名義で発表した「MALA IDEA」という曲のリミックス版で、そのストリングス・アレンジはこの動画の主が実際に行なったモノだから、です。左の動画でも4:30あたりから「曲全体」を聴くことができます。


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 ペギー・サンティグリア、という名前を聞いてピンと来る方はかなりのオールディーズ・ポップス・ファンだろうと思われます。1944年生まれの、伸びやかな歌声と愛らしいルックスを持った女性シンガーですが、一般には「ほんの一瞬だけ」脚光を浴びた存在、と思われているかもしれません。実は長きにわたり、しかも幅の広い音楽を残した彼女の曲をいくつか集めてみました。(2012年7月6日更新分/選・文=大久)


The Delicates / Black And White Thunderbird (1959)

 当時15歳。幼少の頃からの友人3人で組んだコーラス・グループ、デリケイツは、ルイ・プリマのマネージャーだったテッド・エディーに見出されデビューすることになるも、ヒットには至っていません。59年発表のこの曲は、後にフランク・シナトラとの仕事で有名になるドン・コスタのプロデュース。当時のブームに便乗したいわゆるホットロッド・ポップスですね。


The Angels / My Boyfriend's Back (1963)

 62年、彼女はフィリス&バーバラ・オルバット姉妹(当時スターレッツというグループで歌っていた姉妹)から「一緒にグループを組まないか」と誘われて、その新しいグループのリード・シンガーになります。それがエンジェルスで、61年のデビュー曲「Til」(57年パーシー・フェイス作のバラード・カヴァー)がヒット、そして63年のこの曲が全米No.1ヒットとなったことでペギーは人気シンガーとなりました。動画はエド・サリヴァン・ショウに出演した際のライヴです。


Dusk / I Cannot See To See You (1971)

 エンジェルスの名声はそれほど長くは続きませんでしたが、70年、ダスクという新しいグループのリード・シンガーとしてペギーは活動し、音源を残しています。ダスクは当時のベル・レーベルが「第2のトニー・オーランド&ドーンを目指して」組んだグループで、シングルを3枚発表しています。しかしヒットには恵まれず、ペギーは後に「ドーンのメンバーにならないか」というオファーを受ける事になります(彼女はそれを拒否しましたが)。

Fantasia / Fantasia - Carnival Medley (1978)

 どういう経緯かは不明ながら、78年に発表されたファンタジアというユニットのアルバム「SWEET, SWEET, CITY RHYTHM」は、ペギーのヴォーカルをフィーチャーしたアーバン・ディスコ・アルバムでした。TKレコード傘下のアマゾンというレーベルから発売された本作は、サルソウル作品で有名なゲイリー・クリスのプロデュース。このメドレーの前半はほとんどゲイリー・クリス「BRAZILIAN NIGHTS」そっくりですが、ディスコの名曲中の名曲としてこちらも今は知られています。

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