2014年4月25日(金)

自主制作マンガ界のアニメ豪傑総進撃


 こないだの「笑っていいとも!」のフィナーレ、ああ松本人志と太田光の比率ってこんな感じなんだ、しかしデカいなとんねるず、でもコレ何だかアニメの設定資料みたいだな、とか思ったアニメブーム世代です。1983年、既に安彦良和や宮崎駿にマンガ家の肩書きを与えた徳間書店が、アニメ作家にマンガを描かせる企画モノ雑誌「ザ・モーションコミック」が創刊したとき、もちろん食いついたのだけれど、不思議なこ

とにサッパリ印象が無い。いったい何が描かれていたっけ。疾走感?美少女?メカニック?それはもはやマンガに描かれていたのでは?後に、大友克洋がアニメ畑に足を踏み入れた頃、優秀なマンガ家予備軍が、アニメへ流れる風潮があったと聞いた。意外とマンガとアニメの相性の悪さを感じたりした。
 神田の3331で「タマグラアニメとマンガ博」という展示があった。多摩美術大学グラフィックデザイ

ン学科でアニメーションを学んだ作家が、マンガ作品を発表するものだ。参加作家は加藤久仁生、久野遥子、クリハラタカシ、近藤聡乃、杉崎貴史、ぬQ。この6名の羅列に、激しく膝をたたきながら身を乗り出すのはアニメーション通だろう。そんなにたたいたら膝が壊れちゃうぜ。彼らの作品を知らない方は、例えば「つみきのいえ」「Airy Me」「ラッキーボギー」「電車かもしれない」「都合のいい身体(椎名林檎のPV)」「ニュ〜東京音頭」

を何らかの手段で観ていただきたい。で、できるなら会場で頒布された『タマグラアニメのマンガ本』(2014年/タマグラアニメとマンガ博実行委員会)にも触れてもらいたいものだ。アニメ作家によるマンガという括りに意味のない、上質な短篇マンガが並んでいる。実際6人のうち5人は、以前よりマンガを描いているし、単行本を出している作家もいる。ただ、世界に通じる言葉の無用な短篇アニメの創り手が、マンガにおいてはセンスの良い言葉運びを平然とやっているギャップに注目してしまう。こと、加藤久仁生がノスタルジックだが相当創り込んだ子供の情景を描いた「ともまち」は、初見のマンガ作品だっただけに驚いた。「何でもできちゃうな、こいつら」と呆れるばかりだ。
(足立守正=マンガ愛好家




「かぐや姫」の物語(後編)


 昭和31年1月、ビクターから「かぐや姫」のSP盤が発売された。A面は朝日放送の自主プレス盤B面と同じギター・バージョン(短縮版)を収録。レーベルには「朝日放送ホーム・オペラ」と出典が記され、曲名には「吟遊詩人の唄」と副題が付けられた。これは前年11月に放送された「庶民のためのオペラ:かぐや姫」の設定に従ったネーミングだが、以後、カバー曲などで、タイトルが、単に「吟遊詩人の唄」と呼ばれることになる。B面も同オペラから、ダーク・ダックス「樵夫の唄(バンブー・バンブー)」。物語の導入部、竹取の翁の登場シーンで歌われる曲で、竹を切る効果音と「バンブー、バンブー」と繰り返すコーラスだけをバックにしたミニマルな編曲に、三木鶏郎のセンスが光る。

 さらに2月には、雪村いづみの歌う劇中歌「チャイナ・チャンボ」もSP盤が発売。その後、この曲は「かぐや姫」とは別に、翌年公開の映画『歌う不夜城』でも使用された。チャイナ服の雪村いづみがコケティッシュに歌い踊るシーンは、動画サイトで視聴できる。
 昭和36年、音の出る雑誌として話題を集めていた月

刊「朝日ソノラマ」に、毎号、ABCホームソングが収録された。記事や写真と関連音源を収めたソノシートがバインダー状に綴じ込まれた月刊「朝日ソノラマ」は、フランス生まれの新雑誌の権利を獲得した朝日新聞が前年に創刊。朝日放送は音源制作で協力しており、その縁でABCホームソングの連載が決まったと思わ

れる。基本的に当月放送の曲が収録されているが、12月号は1年間の連載のトリ曲として、6年前の「かぐや姫」が選ばれた。「かぐや姫の想い出」と題したエッセイが添えられ、その中で三木鶏郎は古今東西の音楽史上の「語りもの」について触れながら、こう述べている。「このストーリーの音楽化は現代では影をひそめてしまった。流行歌で歌われるのはほとんど叙情詩であって、いわゆる泣きうた、恋うた、すべて感情をテーマにする。へそまがりのぼくは、これに反抗して「語りもの」を作ってやろうと考えた。そこで材料をさがして「かぐや姫」に落ち着いた」まさしく「かぐや姫」は、琵琶法師やトルバドゥールの伝統を現代に甦らせようとする、野心的な試みだったのだ。
 昭和50年、「泣く泣くか

ぐや姫」と改題して愛川欽也がカバー。曲名だけでなく、サビ以外の歌詞も全面的に書き直されたが、内容は男に騙され捨てられた女の恨み節。オリジナルとはまったく別の世界で、典型的な「泣きうた、恋うた」だった。B面も同じく三木鶏郎の「これが自由と言うものか」だが、エノケンの

辛辣な元歌とは歌詞が異なる。
 4年後、キンキンと同じタイトルで、「演歌チャンチャカチャン」の冗談歌手、平野雅昭がシングル発売。こちらは歌詞をオリジナルに戻し、5番まで歌った正統派のカバーだった。
(吉住公男=ラジオ番組制作)



「絵文庫 帰ってきたウルトラマン限定復刻BOX」のこと


 「絵文庫帰ってきたウルトラマン限定復刻BOX」が小学館クリエイティブから発売されている。「帰ってきたウルトラマン」はリアルタイムに少年だった者にとって特別な作品だ。怒涛の第一次怪獣ブームが過ぎ、妖怪・スポ根ブームをへて、再びウルトラマンが帰ってくる。その興奮はいまもはっきりと思い出すことができる。
 放送が日曜七時枠より金曜七時に変更になったわけ

だが、その前番組は梶原一騎原作のアニメ「キックの鬼」だった。既に「少年サンデー」などの記事で、郷秀樹(団次郎)がMAT本部でスペシウムポーズをとっている写真など見ていたから、「キックの鬼」最終回を待ちわびた。目当ては来週からの「帰ってきたウルトラマン」番組予告編だ。
 冬木透作曲による男性ハミングのMATのBGMにのった尋常ではないクオリティの映像に感動した。5

年ぶりのウルトラマン、やっぱり格が違う。渇を癒すとはこのことである。しかし、「ウルトラセブン」の68年の終了から今思うと3年しか経っていない。当時は時間がものすごくゆっくりと流れていたと思う。
 当時中一の私は既に「怪獣基地外」として、怪獣記事をスクラップブックに纏めるのを使命のように実行していた。当然この絵文庫も買っていた。そして、ウルトラ資料欲しさに小学一年生から六年生までの学年誌も可能な限り買っていたのだ。本屋の店員は、弟のぶんまで兄さんが買っているのだと思ったろうがどっこい。ウルトラ記事の切り取り用とは夢にも思うまい。
 この絵文庫の写真は大型で迫力があり、べムスターの回などほぼそのまま貼り付けた。大伴昌司が一・二巻と構成を担当しており、

さすがのセンスを見せている。編集だった上野昭雄のインタビューが小冊子付録だが、これが面白い。ウルトラの版権が講談社から小学館に移ったいきさつや、円谷プロとのつきあいなど、更に突っ込めばもっともっと面白い話があるだろうと思う。類似書として講談社の「ウルトラQ」「ウルトラマン」の絵本BOXが既に発売・発売予定だが、こちらの絵本は文字通り絵の本だ。しかも豊富な特典付きとはいえ、小学館のものと比べてかなり高価である。こちらは絵文庫と言っているのに絵はなし。すべて本編のスチール写真で構成されており、比べると格安だ。講談社のように特典として、未再録の学年誌のウルトラ記事をまとめた冊子などがつけば、割高になろうと更に売れたろうと思う。
(河崎実=映画監督)