2人のアオイテル~あおい輝彦&葵テルヨシ
今回は70年代ジャニーズの一側面を、残されたライヴ音源から探求してみます。で、いきなりだがあおい輝彦。初代ジャニーズのメンバーで、解散後は俳優として活躍していたが、76年に突如、GAROの大野真澄と、猫の常富喜雄のコンビによる「あなただけを」の大ヒットを飛ばした。ヒラヒラしたドレス・シャツを腰高なパンツの中に入れて踊りながらテレビで歌う姿はご記憶の方も多いだろう。同年秋公開の映画『犬神家の一族』では仮面の男・佐清を演じてこちらも話題に。 ヒットの勢いを買ってリリースされた初のライヴ盤『あおい輝彦 オンステージ』を聴くと、意外に多彩なジャンルを歌える人だとわかる。76年10月4日、中野サンプラザホールでのステージ収録だが、「イエスタデイ」をピアノ弾き語り
したり、フレンチ・ポップスの「メルシー・シェリー」を熱唱したり。ことに「ネバーマイラヴ」での声量はちょっと驚き。この「ネバーマイラヴ」だが、アソシエイションの歌で大ヒットしたのが67年。だが、元はその前年、初代ジャニーズがアメリカ武者修行中に、バリー・デヴォーゾンに提供され、レコーディングま
で済ませたものの急遽帰国となり、発売には至らなかった幻の曲なのだ。その後も後輩たちに歌い継がれ2013年にはABCーZがリリースしたが、ジャニーズ史の非常に重要な曲を、初代が大切に歌っているのはやはり感慨深い。感慨ついでにもう1曲、ジャニーズの代表曲「太陽のあいつ」。飯野おさみと中谷良をス
テージに呼び、さらにフォーリーブス、JJSまで加わっての大合唱である。ただしあおい輝彦、この時期はバーニング・プロダクションの所属。あれ? 郷ひろみ問題以降の確執ってなかったのか……ともあれ、あおい輝彦はすごく声がいいのだが、それを自覚している節が要所で見受けられ、ちょっとキザっぽくて、イタリア男風でカッコいい。 もう1人、あおい繋がりで葵テルヨシの74年3月29日、大阪フェスティバルホールでの収録盤『テルヨシ・オン・ステージ』を。葵テルヨシって歌メチャクチャ上手いのだ。アダモ「ヘイ・ジュテーム」のパワフルかつキレのいいヴォーカル、ペギー・マーチ「忘れないわ」の圧倒的な声の伸び。70年代ジャニーズでは永田英二と双璧だろう。その永田英二やスーパー・エ
イジスもゲスト出演して初のコンサートを盛り上げる。 大人っぽいルックスの割に、MCはえらく可愛い。だから歌になると豹変するわけだ。中盤の「自己紹介の歌」に始まる自身の経歴を歌で紹介するパートでは、♪生まれたーところはー名古屋市~つって所番地まで言っちゃってるけど大丈夫か!? 続いて小学校の頃の
十八番らしい、佐々木新一の「リンゴの花が咲いていた」が登場するが、これまたメッチャこぶし回しが上手い。自身のナンバーでは、変則的な小節数の難曲「あの子にクック」や、「オックス・クライ」の再利用かつ小川みき「燃える渚」の姉妹曲?「抱きしめあう愛」を爽やかに。心なしかその声にはオックスの野口ヒデ
トに通じる色気があります。エンディングでは初ステージに感極まり大泣きするも歌は崩れないところに、グッと来ます。一瞬、録音ミスでファンの女の子の声が入っちゃってるのはご愛嬌。彼は現在、芸能事務所の社長で、玉木宏を育てた人であることは有名だが、現役時代も凄かったんだぞ! (馬飼野元宏=「映画秘宝」編集部) ーーーーーーーーーーーー ●(上)『あおい輝彦オンステージ』演奏=篠原信彦とそのグループ/コーラス=トライアングル/ストリングス=ジュエルポップスストリングス。●(下)『テルヨシ・オン・ステージ』音楽監督=田辺信一&ボブ佐久間/演奏ー居上博とファインメーツ・オーケストラ、アニメーション(葵テルヨシのバック・バンド)
「仙台や」の誘惑
最近、とみに食が細くなったと感じる。50代だから、しょうがないのであるが、「ああ、20代だったら、思う存分食べられるのになあ」と毎回必ず思う店がある。それが「仙台や」だ。
「仙台や」は並木橋付近にある街の中華料理屋。ネットで検索して頂ければ、食の達人のブログ等に驚愕の写真が掲載されているので、すぐにおわかりだと思うが、とにかく量が多い。
普通に頼んでも、量がそんじょそこらの大盛りではなく、3~4人前の特盛り以上。4年前会社が渋谷区東1丁目に移転してからほどなく、「物凄い量の定食屋がある」と社内で話題になった。早速、社内でも有数のグルメ大食漢と馳せ参じたのだが。 人は尋常じゃない事象に出会うと笑ってしまう事が多々ある。隣のお客さんの鳥唐揚げ定食が運ばれてきた時が正にそうだった。ケンタッキーのパーティーバレルがそのまま皿にのってやってきた、といえば、その凄さがおわかりだろうか。どう考えても、3~4人でシェアするレベルである。そのあと、運ばれてきたチャーハンも更に輪をかけた。30センチ大の大皿に盛られてきたチャーハンの量ときたら、どんぶり飯三倍分は優にある。もはや、そこに
小さな山を見た。かつて誰も制覇した事のないチャーハン山だ。繰り返し言っておくが、大盛りではなく、普通盛りである。 私は、その時カレーを初めて頼んだのであるが、その量を想像して思わず武者震いがした。「はたして完食できるのか」と、無性に不安になってきたのである。さて、その時がきた。洗面器大の皿にごはんが見えない量のカレールー。正にカレーの海だ。ところどころに見えるじゃがいもやにんじんが海に浮かぶ氷山の様に見える。北極探検の志半ばで亡くなった探検家フランクリンの姿が頭に浮かんだ。ええい、そんな事でどうする、と勇気を振り絞り挑んだ。「う、うめえ」。美味なのである。この店は、量もさることながら、全ての料理が美味い。それが「仙台や」が人気を誇る所
以なのだ。 こういった大盛りの名店は、実は各所にある。一時通った川越の「てんこもり」もその一つ。これらの店の人気の理由は、実は量よりも味なのだ。しかし、冒頭で述べた通り、既に量の食えない初老体。出来れば、小盛りや量を半分にと言いたい所だが、それはこの店のマナーに反する。故に、行くべきか行かぬべきか、いつも悩むのである。 (星 健一=会社員)
居酒屋散歩14 《神田明神下・一の谷》
神田明神下というと銭形平次で有名な場所だ。確かにこの付近の路地はそのような佇まいで、夕方歩くと小料理屋やバーなどの明かりがところどころ灯って、一種独特の雰囲気が感じられる。ひょっこりと大川橋蔵演ずる銭形の親分が現れそうな気がするくらいだ。こういう場所ならいくらでも散歩できそうだ。 「一の谷」に最初に行ったのはもう30年以上前のこと。ただ、頻繁に行くよう
になったのは10年ほど前で、当時作っていた「漫画大博物館」(松本零士著)に入れる上田としこのインタビューの時から。上田先生のお住まいも散歩に適した路地の多い所。ただ、インタビューは表道りの喫茶店で、素敵な調度のある個室。上田先生は「ここは私の打ち合わせルームよ」と言っていたのをよく覚えている。ゲラの校閲も含めここで何度か打ち合わせたが、一度も支払いをさせてもらえな
かった。当時86歳だったが、「あこバアチャン」という作品を連載されて、現役最高齢の作家だった。その4年後、90歳で逝去されたが、連載は亡くなる直前まで続いていた。背筋の伸びた凛とした気骨の感じられる素敵な先生だった。現在この上田先生の自伝作品「フイチン再見」が「ビッグコミックオリジナル」で連載されていて、それが契機となったのだろう、なんと上田先生の代表作「フイチンさん」が小学館から復刻されるのだ。上下2巻になるという。 「一の谷」は上田先生のお宅から歩いて10分もかからない所にある。打ち合わせの後に、急にこの店のことが思い出されて、前に行った裏路地を探しながら訪ねて行った。昔は特に意識しなかったが、店の雰囲気に癒されるような気がして、
それ以後通うようになった。年を取ってこのような静かな店を好むようになったのかもしれない。今回行ったのは、急に暑くなったので「酒でも飲もう」と古くからの友人、イラストレーターのT氏と生協の仕事をしているY氏から声がかかったので、神田明神で待ち合わせをした。この境内には、架空の人物だが銭形平次の墓があるので、行かれる方は探してみるといい。また、先日の神田祭りの時にはアニメ作品とコラボをして、コスプレの若者で境内があふれたという。そんな話をしながら境内横の男坂の階段を下りて、明神下へ向かう。 「一の谷」の入り口を開けると、広い空間が広がっているので、初めての人はびっくりするかもしれない。天井も高く土間だけでも一つの部屋になりそうな空間
だ。土間の右側がカウンター。そのほかに空間を贅沢に使った部屋は3つあり、軽く仕切られている。さらに柱や梁、各部屋に置いてある調度がどれもある年代を経た味のあるものばかりで、これらを肴に酒を飲めるくらいだ。料理の種類は多くなく、予約をするだけで、当日席に着くとまずはお刺身が出てくる。マグロ、かんぱち、ホタテ、アワビ、エビなどどれも素材の良さがすぐわかるものが出てくる。ビールの後の日本酒をチビチビやりながら、近況などお互い話しながら刺身をつまむのは何とも言えず楽しい。3人とも高齢なので、これで十分酒がおいしくいただけるが、若い人がいるときは何か追加するといい。竹の経木に筆で書かれたメニューが出てくるが、品数はそう多くはない。でも、出てくるものはどれも
素晴らしい。刺身の後は名物のちゃんこ鍋だ。野菜などを入れてすでに調理された鍋が出てきて、そこにタイのツミレをいれる。少し煮たところで、もういただける。スープが実に美味しく、身も心も温まる。この後、うどんを2人前だけ鍋に入れてもらって〆に。店の雰囲気も食事も酒も申し分ない。ちなみにここのご主人は高砂部屋の力士だったそうで、場所前に行くと番付表をくれることがある。勿論店の名前は彼の四股名。 (川村寛=編集者)
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