ヒトコト劇場 #63
[桜井順×古川タク]
近刊情報:シンコーミュージックより
『昭和歌謡ポップス・アルバム・ガイド』が遂に刊行!
いま、若い人たちの間で昭和歌謡がブームになっているという話をよく聞くのですが、僕自身そういう実感はそれほどありません。ディスクユニオンの昭和歌謡館に一日中入り浸り、いつもレコードでパンパンの紙袋を両手に抱えておいて、お前は何を言っておるのだ、という話ですね。何を隠そう僕こそ歌謡曲を愛する20代の若人であります。確かにテレビやラジオで昭和歌謡について取り上げられているのを目にはします。し
かしどれも、当時を知る人たちが「ああ懐かしい」と言っているだけのように見えて仕方がないのです。僕が年上の方々と話していて、「昭和歌謡聴くんですか」「若いのに今どき珍しいですね」などと言われているうちはまだまだ「若い人たちの間でブーム」とは言えないでしょう。 この度刊行される『昭和歌謡ポップス・アルバム・ガイド』(シンコーミュージック刊)は、昨今の昭和歌謡ブームに疑問? だっ
たら本当の意味でブームにしてやろうじゃないか、という気概で作りました。シングルヒットだけで語られがちな歌謡曲のLP=アルバムを、ロカビリー、カヴァーポップスの流行をひとつの起点として、大まかな時代に沿ってこれでもかというボリュームで紹介した本です。要するに洋楽の聴き方としては至極まっとうな、レコード会社、レーベル、作家、アルバムとしてのトータリティ、そしてもちろん歌い手……そういった切り口で歌謡曲を聴き直してみようという本なのです。「TVエイジ」シリーズや『筒美京平の世界』などといった濱田高志さんや鈴木啓之さんが関わられたお仕事を別にすれば、こうした試みは他にあったでしょうか。「レアだから」「ノリがいいから」と歴史に縛られずに再評価するこ
とも大切ですが、いかんせん歌謡曲に関してはあまりにその傾向が強すぎました。だから、これから歌謡曲のレコードを買う人たちには、音楽的にもっと踏み込んだ視点を持ってほしい。本書が少しでもその助けになってくれたら、それがきっとレコードにとって何よりの幸せ、などという自画自賛はこの辺でやめておきます。 紹介した盤の数は700枚超。「てりとりぃ」執筆陣からは濱田さん、鈴木さんに加えて、安田謙一さん、高岡洋詞さん、大久達朗さんにご協力いただきました。僕も監修者である馬飼野元宏さんに付いてかなりの枚数を聴いてみましたが、見過ごされていた偉業がいかに多いこと! フランク永井、佐良直美、伊東ゆかり、フォーリーブス、ドリフターズ……シンガー、アイドル、お笑いと、ファン層や
カラーの異なる歌手たちが取り組んだ、今で言うコンセプト・アルバムが一体どのようなものであったのか。各章を飾るコラムやインタビューではそのとき歌手が何を歌い、作家やスタッフが何を考えたのかが明らかにされています。インタビューにはやはり「てりとりぃ」同人の草野浩二氏にご登場いただき、東芝時代の貴重なお話を伺いました。 かつてレコードはとても高価で、LPなんて気軽に買えるものではなかったと聞いています。昭和が過ぎてから25年以上が経った今、当時はできなかった聴き方をすることで、リアルタイムの方々にとっても新たな発見があるのではないでしょうか。本書がそんな皆様方と、未来の奇特な若者たちを繋ぐ1冊になることを願ってやみません。 (真鍋新一=編集者見習い)
住めば都:A Change Has Never Come
住民投票の翌日、通勤バス車内の雰囲気は、とくに変ったところはなかった。大阪市が廃止されずにすんだ安堵も、特別区設置が否決された失望も、感じられない。いつもと同じ月曜日の朝。投票結果は賛成69万票、反対70万票の僅差だった。一方的に決着がついたわけではないし、息詰まるデッドヒートというのでもない、なんとも微妙な感じ。要するに、大阪市民の総意は賛成・反対どっちつかず、判断に迷った挙げ句の果てということだろう。今回は
投票用紙に「賛成」「反対」のどちらかを記入する二者択一だったが、もし「わからない」あるいは「どっちでもいい」を選択肢に加えていたら、おそらく最大得票を獲得していたと思う。 そう、正直に言って例の構想そのものは、どっちでも良かったのだ。実現してもしなくても、日常生活に大した影響はない。賛成派も薄々それに気づいていたから、最後はバラ色の未来を説くことをあきらめ、否決=政界引退という、市長の信任投票に持ち込んだ。
つい1年前にも、似たような出直し選挙をやったばかり。さすがの大阪市民も、そろそろ飽きが来ていた。 市内24区ごとの投票結果は、南部と西部の13区が反対、中心部や北部の11区が賛成と、きれいに南北に分断されていた。賛成区を青、反対区を赤で色分けした新聞紙面は、歴史の教科書で見たアメリカ南北戦争の勢力図を思わせる。わたしが住んでいるのは市内最南部、住吉区の北のはずれ。アメリカなら、ルイジアナ州シュリーブポート辺りの位置か。南北戦争当時はルイジアナの州都として、南軍の拠点となっていたシュリーブポート。1963年10月、ツアーで同地を訪れたサム・クックは、白人専用ホテルで宿泊を拒否される。その体験から生まれたのが、名曲「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」。2008
年、この曲を応援歌代わりに大統領選を戦ったバラク・オバマは、アメリカ国民に「チェンジ」と呼びかけた。残り1年半、任期満了による「チェンジ」で、やっと大統領が公約を果たそうとしているいま、当地では「チェンジ・オオサカ」が合言葉だったが、結局「チェンジ・ハシモト」でオチがついた。 住吉区を含め、南部の反対区は市内でも昔からの町並みが残り、高齢者の多い地域だ。最近、バスに乗っていて思うのは、車内で見かけるお年寄りの姿が目立って少なくなったこと。かつて70歳以上の大阪市民には、地下鉄・バスに無料で乗車できる「敬老パス」が支給されていたが、現市長が有料化を断行。現在は年間3千円の負担金に加え、1回あたり50円の利用料が必要となっている。行動の
自由を制限され、古びた家の中でストレスをため込んでいた高齢者の多くが、その憂さを晴らす投票行動に出たとしても無理はない。出口調査の年代別データでは、70歳以上の年齢層で反対が大多数を占めた。シルバー層の反発は、構想の息の根を止める「銀の銃弾」となった。 バスの窓から大阪城が見える。投票日から4百年と10日前の1615(慶長20)年5月7日、夏の陣で徳川に敗れ、豊臣家は滅亡した。長い目で見れば、いまに至る東京一極集中、相対的な大阪の衰退は、ここから始まったと言えるかも知れない。それでも、自らを犠牲に戦国の乱世を収めたのち、やがて訪れた泰平の天下で、大坂の町人は風流な上方文化を生み出したのだった。 (吉住公男=ラジオ番組制作)
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