2015年12月25日(金)


ヒトコト劇場 #74
[桜井順×古川タク]









『柳原良平の仕事』刊行記念特別寄稿
アンクルトリスとの夜

 いまもハイボール缶のCMで吉高由里子と絡んでいるアンクルトリス、僕が初めて意識的に眺めたのは西部劇をテーマにしたCMだったと思う。例のスイングドアをバタッと開けてガンマン姿のアンクルトリスがバーに入ってきて、クイクイッとトリスウイスキーを一気飲みするような内容だったはずだが、そこに流れる「♬オーウエスタン オーウエスタン 西部の男〜」なんていうマカロニウエスタン調の曲が印象的だった。

本書「柳原良平の仕事」によると1968年制作のCMのようだから、僕は小学6年生の頃。ぼんやりながら「ザ・ガードマン」の間によく観た記憶がある。そう、当時わが家はテレビがカラーになって間もない頃で、このアンクルトリスが酒を飲むにつれて、顔が肌色からピンクにサーッと変わっていくのが面白かった。
 そんなアンクルトリスのCMや新聞広告、ノベルティグッズをはじめ、長年コンビを組んできた山口瞳、

開高健ら作家の本の装丁、レアな漫画や絵本まで…柳原氏の数々の作品を大型A4判のカラーで掲載した本書、めくっているだけでも楽しい。「トリスを飲んでHawaiiへ行こう!」のキャッチフレーズなども含めて、ある時代(いわゆる高度成長期)の記録にもなっている。
 ところで僕は、一度だけ柳原氏とお会いしたことがある。本書にも表紙が紹介されている「サントリークォータリー」誌の1999

年60号(春の宵ゆらゆら東京・大阪)という特集で、僕の文章にアンクルトリスのイラストを寄せていただいた。取材先の浅草の居酒屋「一文」には柳原氏も同行、その後流れた名門バー「パーリィ」でのやりとりが書かれているので、ここに文章の一部を抜粋しよう。
     ◇
 画伯が暮らしている横浜にも、何軒かの馴染みのバーがあるらしいが、ここもかなり気に入られた様子である。お宅は、港を見下ろす山手町の一画だという。
ーいつ頃からですか?

「ちょうど三十年…」
ー三十年っていいますと、いしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」の頃?
「そうそう、アレがハヤってたときに引っ越したんだ…」
     ◇
 氏は当時67歳。「アンクル・トリスのイメージにぴったりの浅草のバーを出て、柳原画伯は少々名残惜しそうな素振りで、横浜行きのタクシーに乗っていった」と締めくくっている。別れ際のシーンがいまも目に残る。
(泉麻人=コラムニスト)
●「柳原良平の仕事」は玄光社より好評発売中(定価・二千円+税)



連載コラム【ヴィンテージ・ミュージック・ボックス】その22
93歳以上の方に聴いてみてほしい「ザ・クリスマス・ソング」

 ナット・キング・コールの名唱で、広く知られているクリスマス・ソングの定番「ザ・クリスマス・ソング」は、暖炉のような温かみのあるムーディーなスロウ・ナンバー。タイトル通りのこれぞ「ザ・クリスマス」な曲である。
 ♪栗が暖炉の火で焼かれて…(チェスナッツ・ロースティング・オン・アン・オープン・ファイヤー…)という歌い出しが印象的だ。アメリカでは暖炉で栗を焼いて食べることが冬の風物詩? 日本で言えば石油ストーブでお餅を焼くように? この冒頭の歌詞は副題にもなっている。
 この曲は、歌手のメル・トーメが作曲したこともよく知られている。44年の夏にトーメは、4行のクリスマスの詩が書かれたメモを見つけた。それは共同作業をしていた作詞家のロバー

ト・ウェルズが、冬のことを考えていれば暑さを忘れられるかもと書きなぐったものだった。トーメはそれに詩を加え、メロディーをつけ、40分間で曲に仕上げた。夏の暑さが産んだクリスマス・ソングである。
 トーメもウェルズもまだ駆け出しで、人脈もなく、この曲は発表されずにいたが、トーメは46年の5月、

カフェで演奏を終えたナット・キング・コールに会いに行き、直接歌って聴かせた。大いに気に入ったコールはすぐに録音することにしたという。(こういう逸話って多いですね。)
 コールは「ザ・クリスマス・ソング」を4回録音している。46年6月の最初の録音はレコード会社から反対されて発売されなかった

が(89年にCDで発表)、その2ヶ月後、トリオに弦楽四重奏とハープを加えて再録音。これが11月に発売されるとたちまちヒットを記録し、その後、毎年クリスマス・シーズンが来る度に売れるクリスマス・ソングの定番になった。53年の8月にはネルソン・リドル編曲のフル・オーケストラで3度目の録音がされた。
 もっともよく聴かれている4度目のヴァージョンは61年3月に録音された。53年版を元にピート・ルゴロが編曲し直している。これはコールの集大成アルバム『ザ・ナット・キング・ストーリー』のために録音されて、それに収録されていたが、60年のクリスマス・アルバム『ザ・マジック・オブ・クリスマス』の1曲を「ザ・クリスマス・ソング」と差し替え、タイトルも改めて再発売されてから、

世界中で愛される名曲になったのだ。
 「ザ・クリスマス・ソング」が46年にSPレコードで発売された時の副題は、曲の締め括りの言葉でもある「メリー・クリスマス・トゥー・ユー」であった。後半の歌詞に♪ありきたりの決まり文句だけれど、1歳から92歳の《子ども》にこのシンプルな言葉を贈り

たい~とあって、「ユー」は聴いているほとんどの人を指している。子どもも年配の方もクリスマスを楽しみにしているって意味なのだろう。しかし93歳以上の人は? もしかして93歳になってクリスマスを迎えたら、ようやく理解できる何かがあるのかなあ。
(古田直=『ぼくはもっぱらレコード』好評発売中)
●写真上 ナット・キング・コールのクリスマス決定盤『The Christmas Song』 ぐっとくる名曲だが、ほかのトラディショナルとのマッチングはいかに? ●写真下 作曲者メル・トーメがはじめて歌ったヴァージョンを採録した54年のライヴ盤。こちらも素晴らしい歌唱であります。