てりとりぃ放送局アーカイヴ(2016年9月16日〜2016年9月30日分)

1989年末〜90年初頭にかけて世界中で大ヒットしたエポックメイキングなダンス・ナンバーがあります。ベルギーで作られたダンス・ナンバーが世界中を席巻するという極めて珍しい例でもありますが、当時実はまだ一般的には「ラップ」「ハウス」「テクノ」の境界線がないに等しい、という極めて珍しい「エレクトロ・ミュージック過渡期」でもありました。そんなシーンを象徴する曲だとも言えるでしょう。(2016年9月16日更新分/選・文=大久)


Farley "Jackmaster" Funk / The Acid Life (1988)

 始まりは、やはりハウスの本拠地シカゴでした。ファーレイ・キースというハウスDJがこの年インスト・アルバム『NO VOCALS NECESSARY』を発表、その中に「ACID LIFE」という曲が収録されていました。ローランドのリズムマシンをベタ使いしたこのトラックが、その後シーンを大きく塗り替えることになります。


The Pro 24's / Technotronic (1989)

 89年、上述の「ACID LIFE」をほぼ模倣したトラック「TECHNOTRONIC」が、ベルギーのジョー・ボガートというDJによって制作されました。リズムトラックはほぼそのままですが、上モノシンセのラインにヒネリを加えた、という程度の改作で、クレジット上は一応「まったく別な曲」ということになってます(!)

Technotronic / Pump Up The Jam (1989)

 上記「TECHNOTORONIC」はプロ24という名義でリリースされましたが、その後この曲に新しい歌詞とラップ(ヤ・キッドKによるもの)を加えることになり、再リリースされました。この時の名義はテクノトロニック、曲名が「PUMP UP THE JAM」となりました。そう、世界中で大ヒットしたトラックですね。
MC Sar & the Real Mccoy / Pump Up The Jam (1989)

 そのテクノトロニック版は全英・全米ほか各国で1位を記録しましたが、同曲発売直後にドイツのMCSAR&リアル・マッコイというユニットによってカヴァー・シングルがリリースされています。こちらはドイツとオランダで大ヒットを記録してしまい、時期が近かったために一時期どっちがオリジナルかわからない、という現象もありました。

Space Jam / The tune squad introduction (1996)

 こちらはオマケ。現人神マイケル・ジョーダンが出演し世界中の話題をさらったアニメ映画「スペースジャム」にて、同曲が使用されていますが、映画のサントラ(そちらも大ヒットを記録しましたね)には収録されませんでした。まあテクノトロニックが入ってようがなかろうが、あまり関係ないってくらいのビッグ・プロジェクトでしたが。
Crazy Frog / Pump Up The Jam and Whoop! (2005)

 最後はこの曲のカヴァー。ヨーロッパ中の地上波TVを代表するゴリ押しアニメキャラ(携帯電話の通信サービスCMにてゴリ押しされてる、という点が、日本の何かを彷彿とさせますね)、クレイジーフロッグによるカヴァーです。当初はチンコ丸だしのルックスだったクレイジーフロッグですが、後年そのチンコ描写は自粛気味(笑)。





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 「オリジナルが忘れられがち」な有名曲特集、第2弾です。曲をカヴァーするときって、元曲への思い入れっていうベクトルと元曲を再編集するっていうベクトルが働くわけですが、加えて元曲を利用して一儲け、という魂胆も力学として作用します。いや、もしかしたらその最後のベクトルが一番強いかも。その是非はともかく、とりあえず面白いカヴァー作れよ、とは思いますね。アイドルユニットが「涙のリクエスト」を原曲通りにカヴァーしても、なんら生産性ないですよそんなもん。(2016年9月23日更新分/選・文=大久)


Gloria Jones / Tainted Love (1964)

 ニューウェイヴ少年御用達、というだけではなく、リアンナのサンプリング使用曲が全米を制覇してしまったことでR&Bファン御用達でもあるソフト・セル「TAINTED LOVE」。オリジナルは64年に黒人女性歌手グロリア・ジョーンズが歌ったものです。当時はヒットしませんでしたが70年代中期にノーザン・ソウル・クラシックになり英国で人気を得ました。もちろんグロリアは後にマーク・ボランと恋仲になり一男をもうけた女性。

Jason Crest / Waterloo Road (1968)

 「オー・シャンゼリゼ」というダニエル・ビダルの大ヒット曲(71年)は、ジェイソン・クレストという超B級ブリティッシュ・サイケ・バンドがオリジナルです。キンキー・テイスト溢れるヒネクレ・ソングですね。プログレよりのコアな音ばかり演奏してうだつの上がらなかったバンドに業を煮やしたマネージャーが「もっとポップなの歌えよお前等」とあてがった曲でしたが、結局こちらも売れずにバンドは空中分解してます。

Michel Fugain / Une Belle Histoire (1972)

 ご存知サーカス「MR.サマータイム」のオリジナル曲。サーカスがこの曲をカヴァーしたのは1978年なので、オリジナルから6年経った頃になりますが、ミシェル・フガンのスタイルを4声ハーモニーにしただけで十分通用するというリスペクト・カヴァーとなっています。この曲のエンディングの和音、いつ聴いてもハッとさせられますよね。

Otis Clay / The Only Way Is Up (1980)

 ディープ・ソウルの権化のような、あのオーティス・クレイによるウキウキ・ディスコ・ポップ・ナンバー。当時まったく見向きもされませんでしたが、88年にイギリスの女性シンガーYAZZがカヴァーしNo.1を記録させたことで有名ですね。実はこの曲(YAZZ版)は、今年英国で大ヒットを記録したTV番組「he Only Way Is Essex」のテーマとして、再びヒットしています。
Tahra / T' Beyby (1988)

 最後は西アフリカのモーリタニア出身のシンガーによるこの曲。ええ、誰も知らないと思います。80年代末、ワールドミュージックのブームにのって仏VIRGINから世界デビューもした人ですが、この曲、93年にデヴィッド・ボウイが「DON'T LET ME DOWN & DOWN」というタイトルにてカヴァーしています。えっと、筆者は今新しいボウイ本を制作中なんです、という宣伝を兼ねた選曲でした。


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 “シスター”ロゼッタ・サープ。戦前ゴスペル〜ジャズ〜ブルースの大スターの1人です。キャブ・キャロウェイとの共演で人気をはくし、その後「メジャー・レーベルと契約した最初のゴスペル歌手」という肩書きで更に知られた女性シンガーです。ゴスペルの女王マヘリア・ジャクソンは「ブルースは絶望の歌、ゴスペルは希望の歌」と言ってブルースを絶対に歌わなかった、という逸話もありますが、ロゼッタの場合はそんなの関係ありません。なんでもゴザレ、エンジョイしなさい、というスタンスの女性だったのです。(2016年9月30日更新/選・文=大久)


Sister Rosetta Tharpe / Lonesome Road (1941)

 ラッキー・ミリンダーのオーケストラ(この楽団のピアニストが後に「RIDE YOUR PONY」で知られるビル・ドジェットだったことでも有名)のリード・シンガーとして披露しているのが、こちらの「LONESOME ROAD」。ロゼッタは1915年生まれなのでこのとき26歳。ダンサーのパートでもおわかりのように、完全に「コットンクラブ」仕様の曲ですね。

Sister Rosetta Tharpe / That's All

 実は今回の「放送局」は、彼女の歴史をおさらいするのが目的ではありません。彼女はR&Bを歌いながらエレキギターをかきむしる、というギタリストでもあります。そのカッチョイい彼女のお姿をご紹介したく思いまして。エレキギターを使うようになったのは50年代末からですが、そのため彼女はシカゴのモダン・ブルースのヒロインのひとりでもあります。グレッチを弾きまくってますね!

Sister Rosetta Tharpe / Up Above My Head

 こちらは60年代の収録。同曲はロッド・スチュワート、チェット・アトキンス。エルヴィス・プレスリー他ロック・ミュージシャンに数多く取り上げられたものとして知られますが、それらの誰よりもロックしまくっているお姿を拝見できます。バック・コーラスは実際の教会のゴスペル・クワイヤー。

Sister Rosetta Tharpe / Didn't It Rain (1964)

 そして64年、イギリスで行なわれた「アメリカン・フォーク&ブルース」イベントに出演時の彼女。当時オーティス・スパンやマディー・ウォータースと共にヨーロッパドサ周り中だった彼女のワン・シーンです。真っ白のギブソンSGカスタムがイカス。50近くになってこのエネルギーとバイタリティーですから、恐れ入ります。

Sister Rosetta Tharpe with Chicago Blues Allstars

 こちらは60年代末のドイツでのTVライヴ。やっと映像がカラーになりましたね(笑)。ギブソンのバーニー・ケッセル・モデルをかき鳴らす彼女はやはりここでも凄いことになってます。ご覧の体型ですから、実は彼女はこの頃糖尿病を患うようになります。で、1970年に彼女は足を切断することになり、以降ステージを行なっていません。ですから彼女のほぼ最終期のステージということになります。73年に復帰を目指しますが、その直前に肝梗塞で亡くなっています。



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