 デッド・オア・アライヴのピート・バーンズが先日57歳で亡くなりました。彼の人生はそれはもう地獄へまっしぐら、と言えそうなものでしたが、57年間まっしぐらに「REBEL REBEL」の世界で生き続けたことは驚きに値します。本稿では彼のバイオとか音楽遍歴を追う事を避けますが、今回はデッド・オア・アライヴの初期音源特集。PWLサウンドで有名なDOAですが、初期はゴリゴリでドロドロなゴス・パンク系だったんです。(2016年10月28日更新分/選・文=大久)
Dead or Alive / I'm Falling (1980)
80年発表のデビュー曲。ピート・バーンズは77年に最初のバンドを(ジュリアン・コープ等と)組んでいますが、そのバンドはシャム69の前座を一回担当したのみで解散したとのこと。何度もメンバーの入れ替えを行い、インディーで最初に出したシングルがこれでした。既にこの頃からKC&サンシャイン・バンド「That's The WAy」等をレパートリーにしてたそうです。
Dead Or Alive / Flowers (1980)
そのデビュー・シングルのB面曲がこちらの「Flowers」。動画は初期のTVライヴ・パフォーマンスですが番組名が特定できません、すいません。いわゆるドアーズ・ワールドのニュー・ウェイヴ的解釈、ということで間違ってはいないと思うんですが、バンド・メンバーに全員後を向かせてしまうていう発想は、ジム・モリソンにはなかったでしょうね・・・
Dead or Alive / Number Eleven (1981)
セカンド・シングル。持ってる持ってる。なんていうんでしょうか、ストラングラーズ的なハチャメチャさあり、ロキシー・ミュージックmeetsインスパイラル・カーペッツていうか、イギリス版G-Schmittていうか、そういう「洋楽好きの男の子が最初に飛びつく要素」が満載のサウンドですよね。
Dead or Alive / It's Been Hours Now (1982)
82年のTVライヴの映像。この前年くらいからバンドは(そう、まだバンドでした)BBCのジョン・ピールの番組等でフィーチャーされるようになり、注目が集まっていました。またこの折りカルチャー・クラブのボーイ・ジョージと共に、アンドロジナス・キャラクターの旗手としても話題となったピート・バーンズ。御承知のように、グラサンをかけたパーカッショニストが彼の(長年の)パートナー、スティーヴ・コイ。
Dead or Alive / The Stranger (1982)
インディー期最後のシングルで、チャート7位を記録した、彼らにとって初めてのヒット・シングルになります。このヒットを受けてバンドはエピックUKと契約、翌年メジャー・デビューとなります。で、その後は既に御承知のようにダンサブルなシンセポップに梶を切ったデビュー・アルバム、その次にPWLと組んで世界的大ヒットをかっとばしたセカンド『Youthquake』へと連なります。
*動画のリンク切れの場合はご容赦ください。
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