てりとりぃ放送局アーカイヴ(2016年12月30日〜2017年1月13日分)


 そしてまた巨星が落ちました。なんということでしょう。ジョージ・マイケルの才能というやつは実は日本で一番著名な彼曲「ラスト・クリスマス」には殆ど存在してません。また、残念なことに彼の話題に関して注目が集まるのは彼のプライベートなことに集中しがちです。そんな悲劇を最後まで拭えずに短い人生を畳んだように思えてなりません。(2016年12月30日更新分/選・文=大久)


Wham! / Nothing looks the same in the light (1983)

 81年にワム!結成。82年デビュー。83年に最初のアルバムを出した頃には既にトップ・アイドルとして賞賛と批判を同じくらい集める大きな存在となっていました。デビュー作はラップありファンカラティーナもデジタル・ファンクもミラクルズのディスコ・カヴァーもメロウ・グルーヴも、と音楽的にはとんでもない内容の怪作でした。


Wham! / Freedom (1984)

 実は音楽的な中身では、ファーストよりセカンドのほうがあからさまに子供っぽく出来てます。ですがソウルマン、ジョージ・マイケルはやはりブッ込んできました。それはモータウン・サウンドです。まんまモータウンを倣った「Wake Me Up〜」と「Freedom」は共に1位を獲得。翌年の「I'm Your Man」も同じ路線でやっぱり1位。ええ、狙ってます。狙って成功したからこそ、中国でライヴをやった最初の世界的ポップスターにもなりました。

George Michael / Kissing A Fool (1987)

 全世界で2500万枚を売ったモンスター・アルバム『Faith』。まるでプリンスのような先鋭的なデジタル・ファンクととんでもない歌唱力を両立させたソロ・デビューでした。そしてその中に収められたジャズ・バラード「Kissing A Fool」でちゃんとリスナーをメロメロにすることも忘れていません。

George Michael / Freedom '90 (1990)

 上で「Freedom」みたいなどうでもいい(笑)曲を載せたのには意味があります。6年後、自分のやりたいように作った「Freedom」はこんな楽曲だったのです(同じ曲ではなく、同名の書き下ろし曲)。誰がどう聴いたってニュー・ソウルの匂いがプンプン漂うファンク。同時に凡百の「オマンチェ」ものの100倍はソウルフルなことも判ります。

Queen & George Michael / Somebody to Love (Live Wembley 1992)

 日本での彼の扱いを見ればすぐ想像できるでしょうが)彼は常に「元ワム!のポップアイドル」という存在でした。そこが悲劇の一歩だったかもしれません。さて、クイーンのこの曲をここまで歌える人がF.マーキュリー以外でいるでしょうか? ちなみにジョージ・マイケルが生涯崇めた存在が、F.マーキュリーとD.ボウイでした。ソウル・ボーイでもありましたが、ロック少年でもあったジョージ・マイケル、2016年12月25日逝去。享年53。




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 年末ギリギリになってまたもや大きな訃報が飛び込みました。ピエール・バルーが82年の生涯を閉じました。本来であれば、当方よりも深く長く彼の音楽や人物に親しんだ人がてりとりぃ周辺にはいると思いますが、僭越ながら本稿では、彼の最も有名な曲「SAMBA SARABAH」の聴き比べをすることで、哀悼の意を評したいと思います。(2017年1月6日更新分/選・文=大久)

Samba Saravah (from Un Homme Et Une Femme)

 映画『男と女』の挿入歌「サンバ・サラヴァ(男と女のサンバ)」。有名な話ですが、この曲は完全ライヴ録音、というか思いつきの一発録りで、しかも録音物はバーデン・パウエルの自宅のオープンリールのテープに入れられたショボいものしかありませんでした。それが映画他で大活躍するのですから、奇跡というのはやはりあるのだな、と感じてしまいます。

Elis Regina / Samba da benção (1968)

 ヴィニシウス・ジ・モラエスが書いた元の曲は「Samba da Benção(祝福のサンバ)」という曲ですが、それの仏語ヴァージョンを作るようヴィニシウスにうながされ、バルーが作ったのが「Samba Sarabah」。こちらは原詞をジャズ・スウィングのスタイルでエリス・レジーナが取り上げたもの。

Baden Powell / Samba Da Benção

 演奏を手がけたのは勿論バーデン・パウエル。ピエール・バルーが彼と知り合ったことから映画「男と女」の成功もあり、「サラヴァ」レーベルも生まれました。上記のエリス・レジーナは82年に、バーデンも2000年に亡くなってます。ピエール・バルーも遂にそちらの世界へ仲間入りすることとなりました。

Pierre Barouh and Baden Powell / Samba Saravah (from Saravah) (1969)

 映画『サラヴァ』の中での、ピエール・バルーとバーデン・パウエルのデュエットによる「サンバ・サラヴァ」ライヴ演奏。新しい音楽=ボサノヴァの誕生に乾杯!という内容の曲であることにまちがいはないのですが、歌詞中「悲しみのないサンバは酔えないワインのようなもの。そんなものは欲しくない」という部分もあります。

Pierre Barouh / Samba saravah (2013)

 最後は2013年のライヴ。お元気そうというか、バリバリじゃあないですか。しかし2016年12月28日、5日間の入院治療の甲斐なく心臓発作で逝去。享年82。奥さんである潮田敦子さんが公にしました。90年代以降よく東京・堀之内にある公民館で小規模なライヴを行なっていたピエール・バルー。一目みておけば、との後悔にかられています。




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 たまには(笑)当欄担当者の得意分野で特集を組んでみようかと思います。今回はミック・ロンソン特集!ロンソンはもちろん70年代初期のデヴィッド・ボウイのバンド・ギタリストとして圧倒的な認知がありますが、今回は彼がそれ以前に参加した音源集です。たまたま現在ボウイ・バブルで変な賑わいを見せるご時世ですが、ソレはソレ、コレはコレ、としてお楽しみいただければ幸いです。(2017年1月13日更新分/選・文=大久)

The Treacle / Stop and Get A Hold Of Myself (1968)

 ロンソンは60年代にRATSというバンドに参加していましたが全く売れず、極貧生活を送っています。毎夜バンで寝泊まりし、地下鉄の水道で飲み水確保と洗濯をしていた、とのこと。そんな中1968年ほんの一時期RATSは「TREACLE」と名を変えてシングルを録音しています(未発表でしたが)。こちらはそのTREACLEの音源。

Michael Chapman / Soulful Lady (1970)

 69年にロンソンはボウイ『SPACE ODDITY』に参加し、その後少しずつミュージシャンとしての仕事が増えるようになります。こちらは『SPACE ODDITY』の参加メンバー、ポール・バックマスター(Cello)の仲介で舞い込んだ仕事。UKアシッド・フォークの奇才マイク・チャプマンのアルバムに参加した時の音源。このセッションでチャプマンのギターの塗装が剥がされているのを目撃したロンソンは、自分のギターにも同じ処理を施すことにしました。

Elton John / Madman Across The Water (1970)

 こちらも『SPACE ODDITY』繋がりのお仕事。プロデューサーのガス・ダッジョンの仲介でエルトン・ジョンの3作目に参加。エレキギターを弾いてますが、結果アルバムには未収録。後にエルトンはこの曲を再録音(ロンソン不在)し発表しますが、このロンソン音源は後にボーナス曲としてなんとか陽の目を見る事になりました。ロンソンの死後ですけどね!

Gilberto Gil / Crazy Pop Rock (1971)

 ジルベルト・ジルが英国滞在中に録音したアシッドなフォーク作『GILBERTO GIL』(4作目)に、ロンソンはエレキギターで参加しています。この時もボウイ『世界を売った男』で共演したラルフ・メイス(Key)との縁での参加でした。


Ronno / 4th Hour of My Sleep (1971)

 前述『SPACE〜』と『世界を売った男』に参加したロンソン。その後またプラプラしてます(笑)。一応自身のバンドRONNOを結成し、シングルを録音しますが、こちらも惨敗してます。ベースはトニー・ヴィスコンティ、ドラムはウッディー・ウッドマンジーなんですが!



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