2014年2月14日(金)

ヒトコト劇場 #37
[桜井順×古川タク]








色褪せぬ幸福感に満ちたルグラン・ミュージカルの最高傑作


 ミシェル・ルグランとミュージカルといった際、誰もが真っ先に思い浮かべるのは、彼の名を世界的に知らしめた64年公開の映画『シェルブールの雨傘』だろう。全編が歌と音楽によって語られる物語は、その年のルイ・デリュック賞、次いでカンヌ映画祭でグランプリを獲得。映画史に残る傑作にしてミシェルにとっては文字通りの出世作となった。オペレッタのスタイルにジャズのイディオムを持ち込んだその音楽は、若きカトリーヌ・ドヌーヴの美貌と相俟って、現在なお多くの人々の心に鮮烈な印象を残している。劇中歌は各国で歌詞がつけられ、今やスタンダードソングとなっているほどだ。同作の監督ジャック・ドゥミの言葉を借りれば〝音楽と言葉の結婚〟がなされた異色作である。ジャックとミシェ

ルの2人は、ジャックの長編デビューとなった『ローラ』(61年)から彼の遺作となった『想い出のマルセイユ』(88年)まで合計11本の映画でコンビを組んでおり、互いが「僕らは双子の兄弟のような関係」と公言してはばからない、いわば義兄弟の関係にあった。それだからこそ彼らの作品においては、互いの生み出す音楽と言葉が分ち難い強い絆で結ばれているのだ。
  そんななか、90年代の幕開きと共に、ジャックが

他界。彼を失ったミシェルは途端に創作意欲を失い、以後、数年間は全てにおいて精彩を欠くようになる。映画や舞台の仕事は激減し、レコーディングが活動の中心となった。
 ところが、もはや誰もがミシェルの新作ミュージカルを目にすることはないと諦めかけた96年11月のこと。マルセル・エイメの短編小説をもとに、気鋭アラン・サッシュ(劇団四季版ではアラン・サックスと表記)が演出、ディディエ・ヴァ

ン・コーヴェレールが台本を執筆してミシェルが音楽を手掛けた異色ミュージカル『壁抜け男~モンマルトル恋物語~』が、ジャック・ドゥミゆかりの地ナントで開幕。次いで劇場をパリのブッファ・パリジャン劇場に移したところ、何と仏演劇界では異例ともいえる一年二ヶ月に渡るロングランを記録したのである。
 色鮮やかで生命力に溢れた音楽、とりわけ市井の人々が声を合わせて歌う楽曲やヒロインのイザベルによる挿入歌には、紛うことなきジャック・ドゥミ映画の世界があった。ミシェルがジャックと共に作り上げた、幸福感に彩られた世界。前向きに、そしてひたむきに生きる歓びを感じさせる楽曲と台詞には、ある種の魔法が潜んでいた。シンプルな楽器編成ながら、奏でられる音楽は奥深く、力強い。

劇中歌には、ジャックの死後しばらくの間ミシェルに失われていた生命力が、瑞々しい輝きと共に再び宿っていたのである。
 同作は、2000年に劇団四季による日本版上演が大成功を収め、03年には『アムール』のタイトルでアメリカ版の上演が実現。惜しくも受賞は逃したものの、トニー賞五部門(作品賞、主演女優賞、主演男優賞、楽曲賞、脚本賞)にノミネートされた。また、06年には韓国版が上演、翌年

すぐさま再演されるほどの人気振りで、各国版それぞれが独自の魅力を放ち、上演を重ねるごとに徐々に熱心なファンを獲得している。
 そんな『壁抜け男~モンマルトル恋物語~』が、ただいま自由劇場(東京都港区・浜松町)で再演中(東京公演は3月15日まで)。未見の方には是非とも足を運んでもらいたい。劇場をあとにした際、きっと幸福感に包まれるはずだ。
(濱田高志=アンソロジスト)
撮影:荒井 健



てりとりぃアーカイヴ(初出: 月刊てりとりぃ#47 平成26年1月31日号)
アキラの草紙〜「ゆらりろ」の謎 

 大瀧詠一さんが旅立ってしまった。残念でならないし、残念以外の言葉がみつからない。   
 「サイダー73」からのおつきあいだから40年になるか。その中の仕事に「ゆらりろ」がある。
 NHKテレビの子供向け情報番組「マルチスコープ」(84年) のテーマソングだった。後にこの作品は「大瀧詠一SONG BOOK2」に「ゆらりろ」の題名で収録された。 
 さて、ここで問題。このタイトルを付けたのは誰か?伊藤だろ?ブー。大瀧さんなのだ。   
 番組テーマの仕事が大瀧さんに入った時、多忙だった(いつもなんだけど)ので、引出しから未公開曲を引っ張りだしてきて伊藤に作詞を依頼した。この時点で曲のタイトルだけは付いていた。「ゆらりろ」と。

 作詞を終えた私は素直にタイトルは「ゆらりろ」のままにした。この言葉のひびきが作詞の内容にぴったりだったから。
 そして、歳月は流れ。今世紀に入って、いつだったか、三木鶏郎企画研究所の竹松さんから質問された。「大瀧詠一さんとご一緒の『ゆらりろ』のタイトルはどなたがお付けになったのでしょうか」「そりゃ大瀧さんですよ。曲を渡された

時にはもう付いていたの」。
 「三木鶏郎先生の作品にも『ゆらりろの唄』というのがありますし、おもしろい一致ですねえ」と竹松さんの言い方はやさしかった。
 『ゆらりろの唄』は47年の作。ダークダックス、藤山一郎、最近では村上ゆき、遊佐未森が歌っている。
 曲想も詞の内容も「ゆらりろ」とはまるで異なる。異なる2曲がなぜか「ゆらりろ」として共存すること

に。謎である。
 私のヨミはこうだ。大瀧さんは三木鶏郎の系譜につながる位置にあり鶏郎研究でも定評がある。
 ある日「ゆらりろの唄」の存在を知り、「ゆらりろ」の語感が脳に沈潜する。沈潜したひびきが未公開曲のタイトルに、とりあえず、定着した…。日本語のひびきにひと一倍関心が強い大瀧さんである。いかにもありそうな話ではないか。
 しかし、である。「大瀧さんは、あのタイトルは伊藤が付けた、とおっしゃってました」と竹松さんは述懐している。 
 「ゆらりろ」は後になって「EACH TIME 20周年記念盤」で「マルチスコープ」とタイトルを変更した。この事情も聞きたいが聞けない。ぽっかりと穴あいている冬の空。
(伊藤アキラ=作詞家)