てりとりぃ放送局アーカイヴ(2015年1月30日〜2015年2月13日分)

 2001年、ドイツのエイブルトンという会社が「LIVE」っていう名前のPCソフトを発売しました。現在最新版はver9が発売されていますが、登場以来基本性能は変わっていません。ていうか、このソフトの登場は音楽制作の現場に衝撃をもたらしました。同時に、それまでもてはやされたサンプラーという機械をただのゴミにしてしまった(笑)そんなABLETON LIVEを使った音楽制作の例をいくつか見てみたいと思います(2015年1月30日更新分/選・文=大久)


New in Ableton Live 9 (2012)

 まずはその公式デモ動画。LIVEは既存の音源波形を直接そのままリアルタイム加工して音楽を作れる、という類いのソフトです。ちょっと乱暴かもしれませんが、それまで「打ち込み(=MIDI)」で音楽を作る作業は職人のようなストイックかつネクラな修練が必要でしたが、それを一切排除したソフトだったんです。ハサミでテープをチョン切って音楽を作ったアーサー・ベイカーの時代は、今や遠い昔の話ですね。

How to make a hit using samples: Daft Punk / One More TIME

 で、その例をまずひとつ。2000年の大ヒット曲、ダフト・パンク「ONE MORE TIME」です。年月ですでにお分かりのように、実際にDAFT PUNKは「LIVE」を使用していませんが、「LIVE」を使用すれば誰にでもまったく同じ音源を簡単に作れることがこれでハッキリしますよね。説明文にもある通り、元ネタ曲は79年のエディー・ジョンズ「MORE SPELL ON YOU」です。
How to make a hit using samples: Mousse T / Horny

 同じクリエイターによるLIVE解説動画。こちらは98年UKで2位まで上がるヒットとなったMOUSSE Tのヒット曲「HORNY」。何が恐ろしいかと言えば、ここまで「一切の楽器を演奏せず」PCオンリーで楽曲が作れてしまうことかもしれません。えっと、サンプラーていう機械をイジったことがある人ならお分かりかと思いますが、MIDI&サンプラーを使って同じ事をやろうとすると、途方もない労力を必要とします。LIVE恐るべし。こちらの元ネタ曲は76年発表のEW&F「SOMETHING SPECIAL」
Making of The Prodigy / Smack My Bitch Up by Jim Pavloff in Ableton Live

 さて、そんな技術革新を受けて、昨今では1曲に何十〜何百ものサンプルを加工利用することが日常茶飯事となっています。昔は「目立つ部分だけ」に使われたサンプルをクレジットしたものですが、こんな時代になってしまうとそれも無意味/無理、ということになってしまいました。動画はプロディジーの大ヒット曲「SMACK MY BITCH UP」の制作方法と使用サンプルを紹介したもの。
Making Of The Prodigy / Firestarter by Jim Pavloff in Ableton Live

 上の動画と同じ主による、プロディジー「FIRESTARTER」の制作紹介。ここに書くまでもありませんが、既存音源のサンプルを利用して音楽を制作することは基本的に違法です。そんなこともあってこの動画では「絶対にやっちゃダメだぞ」という注意文が冒頭に出てきますね。でもその文はもうひとつの意味を持っています。ここまで病的に「この音のサンプルネタは何か」を研究し、加工方法を研究し、全く同じ音源を作ってみたところで何の意味もないから(笑)。まったく、尊敬に値する「無意味」ですね。


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 今もよく再放送されてますよね。80年の大ヒット・ドラマ「ザ・ハングマン」。子供心に「まったく馬鹿馬鹿しい」とか思いながらワクワクウキウキでこのドラマを見ていた事を今も覚えています。ハードボイルドを装ったドタバタコメディとでも言えそうな(笑)このドラマのエンディングはいつもヒネリの効いた選曲と映像で素晴らしいものが多かったのですが、今回の「放送局」はそんな歴代ハングマンED曲です。(2015年2月6日更新分/選・文=大久)


ヒロスケ/あ・れ・か・ら(80年)

 「ザ・ハングマン」は80年11月に初回放送。以降1年続きましたが、その初代ED曲はヒロスケというシンガーによるアーバン・メロウ・ダンサー「あれから」。これ個人的に大好きなんですよね。既におなじみかと思いますが、ヒロスケは本名文田博資、70年代にクックドールというバンドのシンガーとして活躍した後ソロに転向したSSW(その後NYに渡り、タレントの兵藤ゆきと結婚。93年に西城秀樹が発表した「いくつもの星が流れ」は彼の80年発表曲のカヴァーです)。
滝ともはる/ミッドナイト・フライヤー(82年)

 前作終了後の半年後に「ザ・ハングマン2」がスタートしています。主人公が林隆三から黒沢年男(マイト)にかわり、ますますエロエロな路線に突入(笑)。ED曲は滝ともはるに変わりましたが、こちらもアーバンでちょいファンキーな80'sダンサー。ドタバタなドラマの顛末の直後に差し込まれるこの大都会の景色は、とても印象深いものがありました。
BOW WOW/絆 FOREVER(83年)

 うーん、曲はこれまでとある意味同じ路線なのですが、バウワウ使いますか・・・ 83年からは名高達郎を主人公にした新シリーズがスタート。マイトがいないとピンとこない、という筆者のような視聴者はともかく、ヒロインに早乙女愛を起用、また山城新伍がメンバーに加わり、ナレーションも天知茂が担当するという豪華なシリーズとなりました。
KAJA/ありがたや節(84年)

 まだまだ続くハングマン。84年の第4シリーズは主人公に名高達郎、植木等が復帰、佐藤浩市が加入、ゴッド(大ボス)にフランキー堺を起用しています。そしてED曲にも大幅な路線変更が行なわれました。しかもカヴァーです。守屋浩の「有難や節」(ハマクラ作詞・作曲者不明)をレゲエでカヴァーしたものが起用されました。実はこのくらいブっ飛んでる曲のほうが、ドラマにはピッタリなんですけどね。MJ「スリラー」をパクった(笑)このダンスグループは零心会。余談ですが、三池崇史の名がスタッフクレジットに入ってますね。
零心会/零心会のズンドコ節(86年)

 零心会は主に渋谷〜原宿で活動していたた路上パフォーマンス集団で82年結成。83年に活動方針を巡って分裂し、その片方があの有名な「一世風靡」となります。86年の第5シリーズではリーダーが山本陽子、当時ワイドショーを賑わせた火野正平も参加。またナレーションは当初中山千夏が担当しましたが、放送中に彼女が参院選に出馬することになり、途中から春やすこに変更されています。
火野正平/だまって俺についてこい(87年)

 87年の第6シリーズ。実はこのシリーズは主人公・名高達郎が(当時の婚約破棄騒動で)急遽降板することになり、半ば緊急打ち切りになったシリーズです。ED曲は火野正平の名曲カヴァー「だまって俺についてこい」でした。その直後に渡辺徹を主人公に起用した新シリーズ「ハングマンGOGO」がスタートしますが、そちらでも同じくこの曲がED曲に使用されています。


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 世の中にはどうでもいいコトにひたすら心血を注ぐ当方のような音楽バカというのが存在します。今回は「世界のファズ史」。ファズっていう機材のその始まりの頃のお話、つまりファズがどうやって広まっていったかを検証してみたいと思います。昨年春に発売された「VANDA」誌にて書かせていただいた「FUZZとポップスの歴史」を踏まえた内容となりますので、本をお持ちの方はそちらも参照していただけると幸いです。ところでこの原稿を書くにあたり、我が家にファズ(自分用=所蔵品)が何個あるか数えてみたら、50ケを超えてましたね。ええ、異常です。(2015年2月13日更新分/選・文=大久)



Marty Robbins / Don't Worry (1960)

 世界で最初のFUZZ音(とされているもの)がコレ。カントリー・ポップ・シンガー、マーティー・ロビンスの大ヒット曲「DON'T WORRY」の間奏のギター・ソロ部分です。ギターを弾いているのは、ロイ・オービソン「OH PRETTY WOMAN」でもギターを担当したグラディー・マーティン。この音はレコーディング・コンソールが故障していたことに由来する「事故的」なサウンドでしたが、「コレは使えるぜ」と録音エンジニアのグレン・スノッディーという人が採用を決定しました。

Grady Martin / The Fuzz (1961)

 そのギタリスト、グラディー・マーティン氏は翌年自身の名義でこんなインスト曲をシングル発売しています。その名もまんま「THE FUZZ」。ここで聴ける歪んだサウンドは、上記「DON'T WORRY」と同じレコーディング・スタジオ/コンソールを用いて録音されたもの、と考えられます。

Ann-Margret / I Just Don't Understand (1961)

 61年、アン・マーグレットという美人女優(当時「女エルヴィス」として売り出された人)がシングル曲「I JUST DON'T UNDERSTAND」を発表しています。プロデュースはチェット・アトキンスですが、曲はもの凄くドス黒い(笑)R&Bソウルですね。ここでギターを弾いているのはビリー・ストレンジというイケメン・ギタリストで、彼が用いたファズはレッド・ローズという電気技師が製造したカスタムメイドのファズでした。


Bob B. Soxx & The Blue Jeans / Zip-A-Dee Doo-Dah (1962)

 ビリー・ストレンジ氏は売れっ子セッションマンでしたが、こんな曲でも彼のファズ・ギターが披露されています。1962年11月に発売された、ボブBソックス&ブルージーンズというコーラス・グループのシングル「ZIP A DEE DOO DAH」。ヘンテコな曲のタイトルでも想像できる方もいらっしゃるかもしれませんが、この曲はフィレス・レコードからのシングル・リリースで、もちろんプロデュースはフィル・スペクター。

The Ventures / The 2000 Pound Bee (1962)

 前述のレッド・ローズ氏がカスタムメイドしたファズは、その後ベンチャーズの手に渡ります。最初に挙げたマーティー・ロビンス「DON'T WORRY」を聴いたベンチャーズが、自分たちでもあの音を出してみたいと思い、レッド・ローズ氏に相談したことが契機だそうです。んで、出来上がったのがこの曲。サーフ・ガレージ、ですねえ。この曲は業界内で結構な影響力を誇ります。なんといってもジミー・ペイジ氏がファズを欲しいと考えたのは、この曲にノックアウトされたから、ですから。

Link Wray / Rumble (1958) on "It Might Get Loud"

 最後はオマケ動画。実はファズ音が誕生する以前から歪んだギター音は存在しました。それはこのリンク・レイのギター音のように、過剰入力された真空管アンプが生み出す歪みでしたが。動画はジミー・ペイジも出演したギター馬鹿専用映画『IT MIGHT GET LOUD』の1場面。「RUMBLE」を聴いてウキウキ&ニヤニヤするジミー・ペイジ先生でした。



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