てりとりぃ放送局アーカイヴ(2015年5月15日〜2015年5月29日分)

 80年代末〜90年代頭にかけて、日本でも大人気を誇った女性シンガー、バーシアの特集。バーシアといえばそれはもうFMラジオ曲御用達、オサレ系アーバン・ポップの筆頭に上げられたことに何の異論もない女性シンガーですが、彼女がブレイク前から長いキャリアを持ったシンガーであることはあまり知られていません。そんなワケで今回は彼女の「ブレイク前」のお姿をいくつか。(2015年5月15日更新分/選・文=大久)


Basia Trzetrzelewska / Piosenka zakochanie (1976)

 バーシア(本名バルバラ・チェチェレフスカ)は1954年ポーランド生まれ。79年、25歳の時にプロの歌手としてアメリカへ渡りますが、それ以前は地元ポーランドで歌手活動を行なっていました。こちらは76年、22歳の時に行なわれたポーランド・オーポール歌謡祭に出演した時のバーシアの歌唱。なんというか、まんま「歌謡曲」ですよね。

Basia / Obłęd w podmiejskiej dyskotece (1977)

 77年、地元ポーランドのバンド「パーフェクト」と録音した音源。ファンキー・ソウルですね。いいですねえ。ポーランド語のことに関して無知なのでよくわからないのですが、バーシア自身のポーランド語(特にRの発音に関して)には「ナマリ」があって、彼女は当時ポーランド語で歌う事にあまり積極的ではなかった、という話も残されています。
Basia / The Night Is Still a Child (Capitol Radio Session, 1981)

 前述の通り、79年にアメリカへ渡り、歌手として新たな道を歩むことになったバーシア。当初シカゴへ移住したそうです。こちらは米国滞在中に録音されたキャピトル・ラジオの番組用セッション。ええもうすっかりジャジーなシンガーとして、そして英語で歌うシンガーとなっておりますね。しかしこちらでも花を開くことはなく、81年にバーシアはロンドンへ移住します。
Matt Bianco / Get Out Of Your Lazy Bed (1984)

 そう、そして遂に世界中がバーシアの歌声を耳にする機会が訪れます。83年にマーク・ライリー&ダニー・ホワイトと出会い、マット・ビアンコへの参加が決定。トリオで制作されたマット・ビアンコの『WHO'S SIDE ARE YOU OWN/探偵物語』は大ヒット作となりました。こちらは同作収録の1曲ですが、カヒミ・カリィのカヴァーでもおなじみですね。
Basia / Time and Tide (1987)

 しかししかし、何があったんでしょうか。85年にはバーシアとダニー・ホワイトは揃ってマット・ビアンコを脱退してしまいます。以降バーシアはソロ・シンガーとして、ダニー・ホワイトは彼女のプロデューサーとして音楽活動を行なうことに。こちらはそのソロ・デビュー・シングル曲で、米ジャズ・チャート1位、ポップ・チャートでもTOP40入りするヒットを記録しました。
Basia Live at Java Jazz Festival (2013)

 さて、最後はオマケです。1時間15分もあるので、オヒマな方だけご覧頂ければと思います。バーシアはその年齢も60を過ぎていますが、今も現役で歌手活動を行なっております。こちらは1年ちょっと前にジャカルタで行なわれたジャズ・フェスへ出演した際のバーシアのフル・ステージ。ええ、その容姿に関してどうこう言う必要はありませんよね。「歌は」何も変わってません。そっちのほうが驚きです。


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 昨今はキラキラネームなどという知性のないワードも闊歩する時代となり、人の名前というヤツは「バリエーション」ではなく「オンリーワン」なものとなりました。戸籍上の名前でなはくハンドルネームのほうがその個人を表す記号として頻繁に用いられる時代、と言えるのかも。さて、今回は人名、特に女性名として最も一般的なもののひとつ「トレイシー」の特集です。ただ単純に「80年代を代表するトレイシーさんを集めてみた」というだけの特集なのですが。(2015年5月22日更新分/選・文=大久)



Tracey Ullman / They Don't Know (1983)

 コメディー女優、トレイシー・ウルマン(TRACEY ULLMAN)。この名前が既に彼女を有名にしたBBCのコメディードラマでの役名をそのまま芸名に使ったものなのですが、もちろん歌手として日本ではお馴染みですね。こちら曲(カースティー・マッコールのカヴァー)は彼女の代表曲ですが、このPVにポール・マッカートニーが出演していることでも話題に。それにしてもこのPVのストーリー、男目線でみるとちょっとヒドイ(笑)。彼女はその後アメリカへ渡り冠番組の司会者として、また「アリーMY LOVE」への出演等で女優としても大人気。たまに今でも歌ってるようです。

The Style Council / Speak Like A Child (1983)

 トレイシー・ヤング(TRACIE YOUNG)。クエスチョンズのヴォーカリストであり、ジャムのラスト・シングル「BEAT SURRENDER」でもフィーチャーされた女性シンガーです。ジャム解散後スタイル・カウンシルの最初のシングルでも大々的にフィーチャーされた彼女はその後ソロ・シンガーに転じますが、こちらの動画はまだスタイル・カウンシルのバック・バンドがクエスチョンズだった時期のもの。90年代以降彼女はラジオ・パーソナリティーとして活躍しました。


The Style Council / The Paris Match (1984)

 またスタカンですが、別のトレイシー嬢が登場。ご承知の通り、スタカンのファースト・アルバムにはエヴリシング・バット・ザ・ガールのご両人がガッツリと参加しており、こちらはトレイシー・ソーン(TRACEY THORN)嬢がメイン・ヴォーカルを取っています。最近EBTGの話題を聞かなくなりましたが、彼女は14年公開の映画「THE FALLING」のためにソロ名義で楽曲を提供、また今年になってから雑誌にコラム連載を始めた、とのこと。

The Primitives / Crash (TV live / 1988)

 トレイシー・トレイシー(TRACY TRACY)という麗しい女性シンガーをフロントに据えたプリミティヴズのメジャー・デビュー曲。まだ彼女が真っ赤なロングヘアだったインディー時代はよりガレージ色の強いダークなバンドだったのですが、このルックスとキャッチーなメロで一躍トップバンドに。しかしバンドは長く続かず92年に解散。その後こんな「あの人は今」番組に登場し、視聴者をビックリさせましたが、バンドのベーシストの急逝を機に2009年再結成、活動を再会し今もアチコチ世界中を駆け巡っています。

Manic Street Preachers / Little Baby Nothing (1992)

 曲は92年のマニックスのものですが、もちろんここでの主役はフィーチャーされた女性ヴォーカリストのほう。80年代を代表する「トレイシー」と言ったらもうそれは彼女しかいません。波瀾万丈の人生を送るロリータ・ポルノの大スター、トレイシー・ローズ(TRACI LORDS)。1968年生まれの彼女は、10代半ばにして全米で最も有名なセクシー女優に。86年に発表された愛染恭子との共演作「THEエロス」に出演した時もまだ彼女は17歳(!)でした。しかし年齢詐称(もちろん10代であることを隠してた)が発覚し嵐のようなバッシングを受け、18歳でその道を引退しています。


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 先日『映画秘宝』誌にてスライ・ストーンのドキュメンタリー映画のレビューを担当させていただきました。いやあスライ・ストーン面白いですよね。ボウイさんは10年程ヒキコモリをやっていましたが、なんたってスライの場合は20年以上ヒキコモリだったわけで。今もご健在だということだけでもスゴイ(!)ですが、「アレ?オレのスマホどこいった?」なんてセリフがスライ・ストーンの口から聴くことになるとは驚愕です。さて今回はそのスライの名曲「HOT FUN IN SUMMERTIME」の聴き比べ。そうですね。もうすぐ夏がやってきますね。(2015年5月29日更新分/選・文=大久)


Sly and the Family Stone / Hot Fun in the Summertime (1969)

 まずはオリジナル。「グレイテスト・ヒッツ」収録曲ですが、当時新曲でした。まさに人気も実力も絶頂の1969年夏の発表曲。SUMMER OF 69、ですね。この年の夏といえば、ウッドストック・フェス中日(土曜)の深夜3AMからステージに登場し50分にわたって強烈なファンクをブッ放した彼らは一躍時代の寵児になりました。


Alessi / Hot Fun in the Summertime (1979)

 甘いマスクとメロメロにメロウな歌声で一部のファンからアイドル的人気も誇った、ビリーとボビーの双子デュオ、アレッシーによるディスコ・カヴァー。しかしなんでまたディスコなんでしょうね。本作収録アルバム『WORDS & MUSIC/邦題ゴー・オールナイト』はポウリーニョ・ダ・コスタが全面参加、プロデュースを担当したのは(ジャージー・ボーイズでお馴染み)ボブ・ゴーディオ、それとニック・デカロだったりするのですが。

Dayton / Hot Fun In The Summertime (1982)

 オハイオ出身のエレクトロ・ファンク・バンド、デイトンによる82年のこのカヴァーは、同曲カヴァーの中でも最も有名なものとなりました。いやあ80年代ってカンジですね。デイトンはアシュフォード&シンプソン等とツアーを回ったりしてたこともあり、当時のソウル〜ファンクのトレンドの移り変わりを最前線で学んだようで、翌83年にはロジャー(ZAPP)プロデュース曲もヒット。

Hall & Oates / Hot Fun In The Summertime (1985)

 85年、当時まさに人気絶頂(そういえばポール・ヤングがH&Oカヴァーで大スターになったのもこの年)だったホール&オーツですが、同年夏、アメリカの建国記念日に行なわれたチャリティー・コンサート(このライヴの収益金はあの自由の女神像の修復費用にあてられた)の最後の曲はこのスライのカヴァーでした。なんか、今見ると出演者全員のヘアスタイルがもの凄くヘンですよね(笑)。
Manhattan Transfer / Hot Fun In The Summertime (1995)

 95年に発表されたマントラのアルバム『TONIN'』は、全曲コラボでカヴァーをやるという企画作でしたが(余談ながら、本作に参加したローラ・ニーロにとっては生前最後の歌声となりました)、ここで収録された「HOT FUN〜」のカヴァーではリード・ボーカルにチャカ・カーンを迎えてのコラボ・カヴァーとなりました。ちなみにこの動画、YOUTUBEのコメント欄にチャカ本人がコメントを寄せていますね!
Alan Hewitt / Hot Fun In The Summertime (2009)

 最後は現代スムース・ジャズ・ヴァージョンで。フュージョン・キーボーディスト(と書きましたが、近年は復活ムーディー・ブルースでも鍵盤を担当している模様)のアラン・ヒューイット氏。09年発表作『RETROACTIVE』収録の、まさに爽やかなカヴァー。アラン・ヒューイットのHPを拝見して知ったのですが、膨大な量のTV番組で音楽を担当している人なんですね。


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