2016年3月11日(金)


連載コラム【ヴィンテージ・ミュージック・ボックス】その23
北欧民話「太陽の東、月の西」が歌になると……

 ダイナ・ショア、サラ・ヴォーン、フランク・シナトラなど、多くの歌手が歌い、スタン・ゲッツ、ズート・シムズ、チャーリー・パーカーらが演奏して、耳に馴染んでいるスタンダード・ナンバー「イースト・オブ・ザ・サン」。
 ふわっふわっと漂うようで、どこか物憂げな雰囲気のメロディーに乗せて「太陽の東、月の西にふたりの夢の城を建てよう」と歌われている歌詞には、壮大なる物語が秘められていそうと、かねてから興味を持っていた。調べてみるとこの曲と同名のノルウェー王国の民話があるらしい。それを探して読んでみると、想像していたよりも、もっと空想的な恋物語りだった。あらすじはというと…
 ある日、貧しい家に白クマがやってきて言った。「末の娘さんをボクにくれ

ませんか? 残された家族はお金持ちにいたしますから」。娘は家族のために、いやいや白クマの家へ行くことになった。白クマの家は大きく、金と銀で輝いていた。白クマはいつでも優しく、なんでも願いを叶えてくれる、不満のない生活だった。ただひとつ、白クマは夜寝るときに別の姿へと変身しているようなのが

気になる。しかし、その姿は暗い部屋の中では見ることができなかった。
 ある日、娘は白クマが寝ている間にロウソクを灯して見てみると白クマは若い王子に姿を変えていた。そのあまりの美しさに思わず娘がキスをすると、ロウソクからしずくがたれ、王子のシャツにシミができてしまった。王子は起きて娘に

言った。「私は意地悪な継母の呪いで白クマに変えられていた。でも本当の姿を見られてしまったので、太陽の東、月の西にあるお城に、連れ去られてしまうだろう」と。翌朝、娘が起きると、王子も家も消えてしまった。
 娘は王子を追いかけて、太陽の東、月の西のお城へ向かおうとするが、そこへ行く道は誰も知らない。魔女に尋ねると北風なら知っているという。娘は乱暴な北風に頼み、お城まで連れて行ってもらった。激しい風に吹き飛ばされそうになりながら、娘は必死に北風にしがみついた。ようやくお城にたどり着くと、王子は、醜い姫と結婚させられそうになっていた。
 結婚式の日、王子はシャツについたロウソクのシミを落とした人となら結婚すると言い出した。醜い姫が

シャツを洗うとシミはどんどん大きくなっていった。しかし娘が洗ってみると、シャツはあっという間にきれいになった。それを見ていた醜い姫と継母は激しい怒りのあまり、体がはじけ飛んでしまった。王子と娘は金と銀を持って、太陽の東、月の西のお城から出ていった。
 この民話をアレンジして

34年にプリンストン大学の学生ブルックス・ボウマンが「イースト・オブ・ザ・サン」を作曲した。
 歌のほうには白クマも王子も出てこない。恋人たちが夢見るように「昼は太陽に、夜は月に近づく。そんな城を建てて永遠に暮らそう」と愛を誓っている。
(古田直=ダックスープ店主)
●写真上 サラ・ヴォーン『Hot Jazz』 ディジー・ガレスピーらの伴奏で歌った「イースト・オブ・ザ・サン」。44年の大晦日に録音され、これ以降彼女の十八番に。 ●写真下 フランク・シナトラ『I Remember Tommy...』シナトラは40年と61年に歌っている。どちらも素晴らしい歌唱ですよ。




私的作家思考


 別枠で「70年代B級ハード・ロックの夕べ」というシリーズを執筆しているが、今回は作家編としてB級的な、A級ではないが魅力を放っている作家を紹介してみたい。
 生前人気作家でありながら、最近は余り読まれなくなったと思われる作家のひとりに、里見(さとみとん)がいる。彼の代表作といえば、29年の『安城家の兄弟』だろう。彼の自伝的小説で、『善心悪心』 い

わゆる「昌造もの」のひとつ。兄の有島武郎の心中事件について触れており、有島研究本としても重要な一冊となっている。小津安二郎とも親交があり、小津監督による58年の『彼岸花』の原作は里見の書き下ろしだ。60年の『秋日和』も、里見の小説が原作となっている。兄に武郎のほか、画家の有島生馬を、甥に作曲家の山本直忠と俳優の森雅之を、姪孫(甥の子ども)に作曲家の山本直純を、曽

姪孫(姪孫の子ども)に作曲家の山本純ノ介を持つ。昭和時代中期までは人気作家だったのにも関わらず、現在入手可能な小説は『恋ごころ 里見短篇集』など、講談社文芸文庫3冊のみ。
 独創的な想像力で摩訶不思議な話を生み出した橘外男。彼の代表作といえば、直木賞を受賞した38年『ナリン殿下への回想』だろう。第二次世界大戦直前を舞台に、インドの皇太子殿下と売れない作家が奇妙な友情を深めていくユーモア小説。77年に現代教養文庫より「異色作家傑作選」と名打って、夢野久作、小栗虫太郎、久生十蘭、山田風太郎、香山滋、日影丈吉と並んで選集が組まれ、3冊のアンソロジーが編纂されたうちの一冊。表紙は花輪和一によるもの。映画の原作も一作あり、55年に刊行された

『私は前科者である』を原作として、57年に同名の映画が古川卓巳監督により制作された。
 探偵小説や時代小説を執筆したほか、探偵雑誌『ぷろふいる』の編集長を務めた九鬼紫郎。九鬼澹(くきたん)、三上紫郎などの名義も使用していた。代表作といえば、60年に出版された推理小説『キリストの石』で、62年に土居通芳監督により『嫉妬』のタイトルで映画化された。また、75年の『探偵小説百科』は、一時古本店にゾッキ本として大量出回っており、資料としても重宝できる書のため、その時に手にしたことのある方も多いだろう(筆者もそのひとり)。九鬼の著作に関しては、全て品切れの模様。時代を築いた作家であるのに残念な状況だ。
(ガモウユウイチ=音楽ライター/ベーシスト)



居酒屋散歩24《新高円寺・北彩亭》


 先日、新高円寺にある友人のやっている画廊に行った。というのもここでやっている落語を聞くため。この画廊では美術品の展示のほかに、各種のイベントを時々やっていて、気が向くと足を運ぶところだ。最初の付き合いは「高田堂」という芸人の作品を展示する企画だった。高田文夫を主人としてビートたけし、立川談志などの芸人の名品・珍品を集めたもの。私はこの展示物の画集をつくって

参加した。7~8年ほど続いたとても楽しい会だった。もう20年も前の事になるから、この画廊との付き合いもかなり長くなる。落語が終わると打ち上げがあったが、この日は軽く挨拶程度で済ませ、一緒に行った日経新聞の飲み仲間と画廊をでて2〜3分の青梅街道へ行くと、もう夕暮れ。
 「北彩亭」はこの画廊の帰りに時々寄る青梅街道沿いの店で、地下鉄の出口の近くにある。入口は狭く、

明りのついた低い看板が階段のそばに立ててあるだけ。2階に上がるとすぐドアがある。店内は細長く、厨房前のカウンター席に向かってテーブルが並んでいる。席は余裕のあるレイアウトなので落ち着いて座ることが出来き、くつろげるのが良い。着くとまずはビールをたのんで、本日のおすすめのメニューを見る。季節の物があったのですぐ頼んだ。ビールを飲みながら待っていたのはソラマメ、タラの芽の天麩羅そしてムカゴ。いずれも今年初物。春の芽吹きをいただくのは元気が出るようでうれしい。どれもビールに合うが、特にムカゴはなかなか行ける。ビールをしばらく飲んだ後は、日経の友人は日本酒を、私はホッピーに変えて、馬刺しをたのんだ。ニンニクでいただく馬刺しはパワーがもらえるようで気分が昂

揚し、酒が進む。
 その後お刺身を頼んだ時に私も日本酒にして、ブリ,マグロなどを味わった。〆にスパゲティーを頼んで、お酒もワインにした。この店は酒の種類もたくさんあるが、料理も和洋各種あるのが特色だろう。隣にいた客は鍋をつついていたが、寒い夜にはもってこいだ。ただこの夜は満腹なっていたので、最後に御新香で日本酒をいただいてから店を

出た。
 青梅街道を渡って新宿方面の地下鉄に二人とも乗った。10分もしないうちに新宿三丁目へ。ここでどちらからともなく下車。花園神社方面へ歩き、ゴールデン街へ。日曜日だったのでいつも行く店は開いていなかった。それで適当に選んだ店のドアを開けた。素面の時は新しい店のドアを開けるのは一瞬躊躇するが、酔った時はそうでもない。若い(と言っても私から見たらだが)ママさんがカウンターの中に。客は一人しかいなかった。ラム酒をロックで飲んだのだが、なかなかいい雰囲気だったので2杯ほどお代わり。でも、明日は月曜日だし、深酒はせず1軒で帰宅。日曜日で静かなゴールデン街は、いつになく情緒を感じる佇まいだった。
(川村寛=編集者)