てりとりぃ放送局アーカイヴ(2017年1月20日〜2017年2月3日分)

 お久しぶりのギター特集。今回はリッケンバッカーていう会社の特集です。何故か筆者はこのギター・ブランドの歴史に関してちょっとだけ詳しくて、それなのにビートルズとリッケンバッカーの関係に関しては「どうでもいい」と思ってる1人でもあります(笑)。以下ではビートルズに関してほぼ触れてませんが、エレキギターの歴史においては「なくてはならない」存在でもある同社のエピソードをいくつか。(2017年1月20日更新分/選・文=大久)


Rickenbacker Factory Tour: Model 330 Guitar & Model Bass Construction

 新しい大統領が何を言おうがそんなことは関係なく(笑)、リッケンバッカー社は1950年代から今だに相変わらずアメリカ国内に工房を構え、手作りで楽器を製造しています。フェンダーやギブソンといった超大手企業が中米〜東アジア〜東南アジアでの楽器製造にシフトする、そんな世界の波とは一切関係なく、独自路線を走るところはやはり興味深いわけです。


Rickenbacher, A 22 Electro Hawaiian Guitar

 リッケンバッカーは1930年代、スティールギターの開発・発売を気に興された企業。もちろん当時はエレキギターなんてありませんでした。ゆえに、実はエレキギターの開祖的存在でもあります。ただしそれが「スティールギター」だったために、一般的なエレキギター・ヒストリーの中では軽んじられるのですが。この20年後に「エレキギター」が発売されるずっと前に、電気的な構造に関してはリッケン社がほぼ完成させていたことになります。

Roger (made in Germany)

 1950年代、リッケンバッカー社はドイツ人クラフトマンのロジャー・ロスマイスルという人を雇い入れます。この人に関しては後述しますが、動画はそのロスマイスルのお父さんヴェンツェル・ロスマイスルという人がドイツで制作・発売したギター。ブランド名が「ロジャー」なのは、息子の名を自分のブランド名にした、という理由でした。

Rickenbacker 375 Capri

 で、息子のほう、ロジャー・ロスマイスルは渡米し、1950年代にリッケンバッカー社に入社します。ここで「カプリ」という名のギターを制作。これが元になり、後に(ビートルズ等の使用で有名になる)同社の有名なギターが出来上がります。トゥーツ・シールマンスが使用したのはこの50年代のカプリで、その写真を見たジョン・レノンがリッケンを入手した、というのは有名な話ですね。


Rickenbacker 360F

 ロスマイスル(息子)は、父親の影響もあって、主にアーチトップ(日本でいうフルアコ)のギターを作りました。が、当時のアメリカのギター市場はエレキ化/ソリッド化に傾倒していたため、エレキギターの開発にも尽力しています。リッケン社のフルアコが「フルアコなのに重くて空洞が少ない」のはその影響です。とはいえ、今日リッケン社製のフルアコは見る機会さえほぼないでしょうが。

この特集、次回に続きます。




*動画のリンク切れの場合はご容赦ください。




 さてそんなワケで前回の続き、リッケンバッカー社特集第2弾です。今回は歴代のユーザーの演奏動画からリッケンの功績を振りかえってみます。何度もクドくてスイマセンが、またしてもビートルズは登場しません。まあいいじゃないスか、そっちはどこにだって出てくるタマですし。(2017年1月27日更新分/選・文=大久)



The Byrds / Turn, Turn, Turn (1965)

 リッケン初の12弦は3本だけ作られたと言われている63年製の360WBで、うち1本はジョージ・ハリソンに贈呈されたものですが、ジョージが映画で使ってる12弦リッケンに感銘を受け、自らバンド結成を思い立ったのがロジャー・マッギンでした。バーズの名曲「Turn Turn Turn」でマッギンが使っているこちらは64年製造の「量産型」360。

The Who / Pictures Of Lily Studio Recording Session (1966)

 1966年のザ・フー「リリーのおもかげ」の録音風景を収めた動画。一般にピートのリッケンといえば3PUの1997(モデル名)を想起させますが、この曲では360の12弦を使ってます。ピートはこの年以降フェンダーやギブソンをメインに使うようになり、リッケンはほぼ手にしていません。まあ当然ですよね。音楽性も変わってきましたし。

Steppenwolf / Magic Carpet Ride (1969)

 60年代も終わりにさしかかると、リッケンバッカーは「過去の遺物」となりました。以降リッケンの新製品が大々的に持てはやされることは現在に至るまでありません。しかしそれでも頑固なリッケン社は、独自製品を頑にハンドメイドで作り続けます。こちらは1969年、ステッペンウルフの映像で、ボーカルのジョン・ケイはリッケンの381を使用。後にリッケン社は381JKというシグニチャー・モデルを発売します。

The Style Council / You're The Best Thing (1984)

 おそらく1970〜1990年代まで、このPVと86年の「Ever Had It Blue」のPVが、世界で唯一リッケン360Fを目にすることの出来た映像だと思います(当時はYOUTUBEなんてなかったですし)。この曲と先生の教えを守るためにも、当方は360Fを絶対に手放せません。

Johnny Marr and his Rickenbacker 330

 そして80年代のリッケン使いのもう1人の雄、それはジョニー・マーをおいて他にいません。動画は英BBCのギター特番に出てリッケンを語るジョニー・マー。実は彼も今はもうリッケンを使いませんが、動画の中でも本人が「リッケンの12弦こそが自分の理想のギター」と堂々語っています。当方が取材した時は「ギブソンのWネックが欲しいんだ」とか言ってたくせに(笑)。



*動画のリンク切れの場合はご容赦ください。




 70年代英国ロックを代表するベーシスト兼シンガー、ジョン・ウェットンが1月31日にガンで亡くなりました。67歳でした。いわゆるスーパー・ミュージシャンだったので、参加バンド/プロジェクトは途方もない数になりますが、またしてもひとつの時代が完全に終わったことを知らされます。(2017年2月3日更新分/選・文=大久)


King Crimson / Lament (TV Live 1974)

 70年初頭からプロのミュージシャンとして活動を始めたウェットンですが、彼の名が世界的になったのはキング・クリムゾンのフロントマンとなった72年以降。その後同バンドの解散(74年)まで、彼の歌と硬質なベース・プレイは、無くてはならないものとなっていました。

Roxy Music / Out Of The Blue (TV Live 1975)

 正式なメンバー扱いされたことがあまりないのですが、73年からロキシー・ミュージックのアルバムでベースを弾いたのも彼でした。75年にはツアーにも帯同、名作ライヴ盤『ViVa!』でもバッキバキのベースをプレイ。動画は75年のTVライヴ。そりゃあエディー・ジョブソンとウェットンが並び立てば、一気にステージ上は少女マンガの世界と様変わりします。


UK / Nothing to Lose (1979)

 アラホ、ビルブラ等と共に始めたスーパーバンド「UK」ですが、あっという間にバンドはバラバラになり、UKはウェットンのリーダーシップで続けられることとなります。プログレ〜ジャズロック・マニア筋にはファースト(78年)の方が高評価ですが、個人的にはテリー・ボジオがバカテクで叩きまくる、やたらポップになったセカンド以降も大好きです。ジョブソン&ウェットン&ボジオ。そりゃあもう他には何もいりません。

Asia / The Smile Has Left Your Eyes (1983)

 で、最強最大のスーパー・バンド「エイジア」の誕生です。プログレ界の有名人全部集めてバンド作ってみた&誰よりもポップで大袈裟なロックやってみた、というとんでもない企画意図には本当に脱帽。産業ロックもここまでいけばあっぱれです。とはいえこの曲のPV、実は凄く怖いんですよね。

Wetton=Manzanera / Do It Again

 80年代後半、ロキシー時代の盟友フィル・マンザネラと「ウェットン&マンザネラ」というユニットで活動していました。動画はそのユニットによるスティーリー・ダン「Do It Again」のカヴァー。やっぱりね、子難しい面倒くさい演奏も好きだけど、こういう気楽なのも好きな人だったと思うんですよ。ウェットンは今春のエイジアのツアーが告知されていたものの、1月頭に「病気を理由に」不参加がアナウンスされてました。そして今回の訃報の第1報は、盟友ジェフ・ダウンズによって発表されたものでした。合掌。


*動画のリンク切れの場合はご容赦ください。