2013年5月24日(金)

ヒトコト劇場 #22
[桜井順×古川タク]








ジャック・ドゥミ回顧展あれこれ(前編)

 二週に渡って掲載したミシェル・ルグラン=ジャック・ドゥミの記事に続けて、その際に書き漏らした事柄を落ち穂広いがてら備忘録的に紹介する。
 4月8日に行なわれたジャック・ドゥミ回顧展オープニング・イベントの当日、私は映画「過ぎ去りし日の…」や「チェイサー」「テス」などの音楽で知られる

作曲家フィリップ・サルドの自宅に立ち寄り、彼の二人の娘、ポネットとリーザを伴って会場に向かった。二人は大のジャック・ドゥミ・ファン、そしてミシェル・ルグラン・ファンなのだ。
 私が初めてフィリップの自宅を訪ねた年に長女のポネットが、翌年にリーザが誕生し、以来パリを訪れる度に二人の成長を見守ってきた。今やそれぞれ16歳と15歳、時の流れの早さに驚くばかりだ。ちなみにその名はフィリップが音楽を手掛けた二つの映画のタイトルから取られている。ポネットは96年公開のジャック・ドワイヨン監督による同名映画、リーザは71年公開のマルコ・フェレーリ監督による同名映画「ひきしお」(原題は「LIZA」)から。赤ん坊の頃から人見知りだった姉のポネットに対して、

妹のリーザは人懐っこくやんちゃな性格で、それは思春期を迎えた今も変わらない。
 タクシーで会場となるシネマテーク・フランセーズへと向かったところ、到着

したのは開場時間午後7時を少し回った頃。会場入り口に敷かれたレッドカーペットの両脇には招待客の到着を待ち構える記者やファンが陣取っている。
 先に到着していた友人のホセとその妻サラと合流し、ミシェルの楽屋で待機しているステファンに電話をかけた。ミシェルがいつになく緊張しているようで、なかなか解放してくれないらしい。そのため我々はしばし受付前で待機することになった。ミシェルの緊張の理由は前回書いた通りだ。
 ホセはスペインでサントラ専門レーベルQUARTETを運営している男で、彼は現在ミシェルが68年に手掛けた映画「華麗なる賭け」完全盤の発売準備を進めている。この数日前、ステファン、ホセ夫妻と会食した時に聞いた話では、ある作品のサントラ音源発掘

の過程で、ひょんなことから「華麗なる賭け」とタイトルが走り書きされたテープが数本発見され、持ち帰って確認したところ、そこには過去に発売されたアルバムのモノ・ヴァージョン、さらには未収録のテイクが複数含まれていたのだという。それらの素材を整理の

上、アルバムは今夏発売される予定とのこと。
 余談だが、会食時に飛び出したゴシップのひとつにこんな話があった。60年代にミシェルのアシスタントを務めていたウラディミール・コスマが、先頃ある媒体の取材に対して〝「華麗なる賭け」と「ロシュフォールの恋人たち」のアレンジは当時ミシェル・ルグランのアシスタントを務めていた私が手掛けた〟と発言したのだという。無論、事実無根の虚言だが、なぜそんな発言をしたのか理解に苦しむ。コスマはミシェルの楽団にヴァイオリニストとして雇われ、その腕を買われてアシスタントとなり、ある時期確かにミシェルのアレンジを手伝っていた。しかし、彼の仕事はその都度アレンジャーとしてクレジットされているし、のちに彼はミシェルの口利きの

お陰で本格的に映画界に入れたのだ。いわばコスマにとってミシェルは大恩人なのである。この発言を受けてミシェルが心を痛めたのは言うまでもない。
 さて、ステファンの到着を待つ間にも会場には次々と招待客を乗せた車が到着する。最も目についたのがジャック・ペランで、車から降りるやその姿はすぐさま閃光に包まれた。近年は「WATARIDORI」や「コーラス」「幸せはシャンソニア劇場から」など

で製作、プロデューサーとして大活躍だが、私にとってはやはり「ロシュフォールの恋人たち」のマクサンスであり「ロバと王女」の青の国の王子である(勿論「ニュー・シネマ・パラダイス」のサルヴァトーレ役も忘れられない)。年齢を重ねたとはいえ、その佇まいも身のこなしもやはり劇中の役柄と同様に爽やかな印象を保ったままだ。
 ほかにもドゥミ映画「想い出のマルセイユ」に出演したマチルダ・メイや「都

会のひと部屋」に出演したリシャール・ベリ、ドゥミ映画の常連スタッフの面々、それにジェーン・バーキンらが到着しては目の前を優雅に通り過ぎてゆく。会場の一画ではアニエス・ヴァルダが娘のロザリー、息子のマチューと共にテレビ局の取材を受けていた。
 やがてミシェルの楽屋を抜け出してきたステファンに導かれて受付に向かうと、目の前に見覚えのある顔を発見。腰が曲がり恰幅が良くなったものの、目を見ればそれがミシェル・ピコリだとすぐに判った。ステファンがすかさずポネットとリーザを紹介すると「おや、まあ」といった面持ちで彼女たちの髪を撫でながら目を細めている。彼女たちの父親フィリップはミシェル・ピコリ出演作品の音楽を複数手掛けているのだ。
 受付では鍔広の帽子を被

り、双子に扮した案内嬢がお出迎え。会場全体にミシェルがドゥミ映画のために作った音楽が絶え間なく流れ、目を転じれば壁面には映画の場面写真が転写されている。内覧が行なわれている展示室に案内されると、そこにはジャック・ドゥミが幼少時に描いたスケッチや8ミリ映画(人形アニメ)、ジャン・コクトーがエディット・ピアフのために書き下ろした戯曲を基にジャックが監督・脚本・ナレーションを手掛けた「冷淡な美男子」のビデオ上映、さらに進めば「ローラ」や「天使の入江」のスナップやシノプシスが展示されている。
 新鮮だったのがモノクロで撮影された「天使の入江」の珍しいカラースチールで、これが本邦初公開。その傍らにジャックが書いた歌詞の走り書きがあった。同作

に劇中歌は登場しないが、当初ジャックは主演のジャンヌ・モローのために歌を用意していたのだという。
 続いて「シェルブールの雨傘」関連のスペースがあり、そこにはミシェル直筆の譜面やクランクアップ時のスナップ、サントラ盤、各国での評判を伝える雑誌、新聞記事などが展示されて

いた。その一角を抜けると「ロシュフォールの恋人たち」で登場する街角や画商ギュームの画廊の再現、劇中でマクサンスが描いた理想とする女性の肖像画のレプリカなどが展示され、その奥には「ローラ」の後日譚「モデルショップ」にまつわる資料や「ロバと王女」のドレスとそのデザイン画

が飾られている。ほかにも「ベルサイユのばら」「パーキング」「都会の一部屋」「想い出のマルセイユ」といった作品の資料が所狭しと飾られ、最後のブロックにはジャックが晩年に描いた油彩画が壁に架けられているといった具合。
 これまでにも国内外でジャックの活動を振り返る企画は様々な形で行なわれてきたが、今回ほど多面的にその活動を俯瞰出来る機会はなかっただろう。何より彼の直筆によるメモやスケッチの類いがこうして多数公開されたのはファンにとっては喜ばしい限り。本展覧会はこのあと8月まで開催され、その後、LA〜東京を巡回する予定だそうだ。東京で再びこれらを目にするのを今から楽しみにしている。
(濱田高志=アンソロジスト)

前二回の記事で紹介したミシェル宅での発掘素材の一部を、今週の土曜日と来月29日に池袋コミュニティカレッジで行なう〈TVAGE講座〉で紹介します(いずれも18時半開講)。
 今回の目玉は発掘音源の紹介はもちろんのこと、これまでフィルモグラフィ上でしか確認出来なかったミシェル自身による監督作品(26分)。92年に製作されたテレビシリーズのうちの一本で、これが何とミュージカルなのだ。音楽はもちろんミシェル自身が手掛けており、主題歌はミレイユ・マチューとミシェルによるデュエット。今後もソフト化の予定はないので、ご興味のある方は是非とも足を運んでいただきたい。詳細は池袋コミュニティカレッジ(03ー5949ー5481)まで。



大人の遠足〜東京ラジオ歌謡音楽祭の巻

 5月11日土曜日、てりとりぃ同人の皆さまと連れ立って、北区のイベントホール、北とぴあで開催された第7回東京ラジオ歌謡音楽祭に出掛けて参りました。

「ラジオ歌謡」というのは昭和21年から37年までNHKラジオで週5回放送されていた番組で、国民に健全な音楽を届けようとするその精神は現在の「みんなの

うた」に引き継がれております……というのは、出かける前に慌てて調べたことです。今日は東京ラジオ歌謡を歌う会のメンバーが名曲の数々を歌ってくれるそうです。さぁ、開演のブザーが鳴り、幕が開きます!
 出演者の皆さまが勢揃いした舞台を観て、思わずたじろいでしまいました。舞台にはエレクトーン1台と、20数名の歌い手さん。皆さん当時のリスナーとお見受けしました。となるとどなたも優に70歳を超えている計算になります。そういえば会場に向かう途中、ゆっくり歩いているお年寄りを何人も追い越して行きました。「これぞシニアの青春ソングです!」とは現在発売されているCD「決定盤 NHKラジオ歌謡大全集」の売り文句ですが、みんな青春を求めてこの会場に来たのです。

 当時、青春どころか両親さえ生まれていなかった僕はラジオ歌謡をどう受け止めたらいいものかと思いましたが、「たそがれの夢」を聴いて安心しました。国民全員が楽しく歌える曲というラジオ歌謡の性格上、どうしても小学校で歌うのが相応しい健全な曲が多くなります。中には国策と思しきメッセージが盛り込まれた曲もありました。その中でこの純然たるラブソングがひときわ輝いて聴こえます。当時の曲想を現代の感覚と比べるなら、愛のかたちを比べてみるのがいちばんいいようです。
 一旦距離感がつかめてしまえば、サウンドやリズムに耳を傾ける余裕も出てきます。続けて披露された「三日月娘」も非常に刺激的な1曲でした。表現上のモラルが今よりずっと厳しかった当時、どうやって燃

えるような情熱を表現したのか……サウンドをエロくしたのです。木琴のエキゾチックな音色と熱帯の地を思わせる土着的なリズムが印象的でした。
 とはいえ、どの曲も「今さら説明する必要もない名曲でございます!」という感じで進行していくのはさすがに参りました。当日歌われた曲は、昭和21~31年の10年間に発表されたものに集中していたのですが、

僕は辛うじて数曲のレコードを持っているだけ。フィナーレでは配られた歌詞カードを広げて大合唱大会になりました。「えっ、全員歌えるの?」歌えていないのは我々てりとりぃ同人だけでした。覚えやすいメロディーなのでその気になればついて行けるのですが、ラジオというメディアが持つこの世代への浸透力には本当に驚かされます。
 終演後の帰り道、駅のエスカレーターで隣にいたおじいさんの口から「高原列車は行く」のフレーズが聴こえてきました。「高原列車は ランラン ランランラン 行くよ~」。あぁ……もう覚えてしまった。80歳(推定)から25歳へ驚異のロングパス。これでこの曲も生き延びました。向こう50年、ラジオ歌謡の未来は安泰です。
(真鍋新一=編集者見習い




『いつか聴いた歌 和田誠 トーク&ライヴ』のお知らせ
 

2013年7月13日(土)@池袋コミュニティ・カレッジ

演奏=島健(ピアノ)、納浩一(ベース)、島田歌穂(ヴォーカル)
企画・プロデュース=濱田高志
構成&トーク=和田誠

お申込み方法:コミカレ会員の方5/20(月)から、一般の方は5/25(土)より受付。
+ご来店の場合:お申込み日の10:00より(月~土は10:00~19:00、日曜日~17:00)
+お電話(セゾンカードお持ちの方、または銀行振り込み):お申込日の13:00より
+Web(各種クレジットカード):お申込日の10:00より

詳細はリンクをご参照下さい。http://cul.7cn.co.jp/programs/program_635172.html


ウルトラセブンが「音楽」を教えてくれた/青山通 著 

『ウルトラセブンが「音楽」を教えてくれた』に寄せて
 オトナの感受性、記憶力がつき始める7歳の少年として『ウルトラセブン』の本放映を見た著者が、最終回のピアノから受けた深いインパクト。テレビから聞こえたシューマンのピアノ協奏曲と同じ音が出るレコード探しから、本書のための調査に至るまでの著者の人生。これまでの『ウルトラセブン』関連CDの解説書とは違うアングルに驚かされた衝撃作。「第2章 ウルトラセブン 音楽から見たオススメ作品」は、時間が出来たら、DVDを見ながら文字のコメンタリー的に読んでみても面白いかもしれない。(高島幹雄=『ウルトラセブン1999最終章』音楽プロデューサー/パッケージクリエイター)

冬木透氏(作曲家、「ウルトラセブン」音楽監督)推薦!!
「セブンのドラマをもう一度創っているような昂揚感を覚えながら、一気に読んだ。シューマン、リパッティ……巡礼の旅路はM78星雲へ!」

大好評。たちまち三刷! 衝撃の最終回。モロボシ・ダンの告白シーンになぜ「あの曲」が使われたのか──「音楽」を切り口に、ウルトラセブンを読み解いた快作!
四六判・並製・200頁/定価:本体1600円[税別]/絶賛発売中/ブックデザイン:中島 浩/発行・発売:アルテスパブリッシング http://www.artespublishing.com