2014年8月1日(金)

ブックオフの歩き方


 今日も今日とて書店で新刊チェックをしていると、最新号「本の雑誌」の表紙に〝ブックオフでお宝探し!〟の一文を見つけ、迷わず購入する。一昨年出された同誌の別冊「古本の雑誌」も無類に面白い内容であったが、こういった特集が組まれるのは「本の雑誌」ならでは。永江朗氏やとみさわ昭仁氏らの文章を興味深く読む。知らなかった事実も多く、大いに勉強させてもらった。しかしながら、自分もブックオフに関してはちょいとばかり煩い方である。これまでに四百二十八店を制覇したというとみさわ氏にはとても敵わないが、百店以上は訪ねていると思う。知り合いの方で私と一緒に歩いていて、たまたま通り掛かったブックオフに寄りたいと懇願されて閉口した覚えのある方もいらっしゃるだろう。可哀相

に、病気なんですよ。我が儘言ってごめんなさい。
 初めて行ったブックオフがどこだったかの記憶は定かではないが、おそらく車で町田近辺を流していて入った、今は無き店舗であったと思う。近隣の相模原が創業の地であり本社も置かれていることもあって、その辺りの店はわりと古くから存在していた。以来、ブックオフ歴は既に20年を超える。最初は今までにない形の古本屋さんの登場に驚

いたものだった。価値の高い古書こそ無いものの、相当な品揃えの百円コーナーが嬉しかった。当初はまだCDやビデオ(DVDはまだ存在しない)は扱っていなかったと記憶する。Tポイント制導入前(現在は離脱)は独自の会員カードがあり、買物する度にどんどんポイントが貯まっていったので、かなりの額を還元してもらった。何より画期的だったのは、午前0時まで開いていたことで、夜中

に古本漁りに行けることは夜型の自分にとって夢のようだった。今では23時閉店が標準となってしまったが、それでも有難い。その感謝の念は常に忘れたことがない。 
 ブックオフの面白さは、店舗によって品揃えの特徴が異なるところにある。普通の古書店と同じように、やはり土地柄というものが反映される。さらにはチェーン店でありつつも、店長をはじめとするスタッフの意向もあるのだろう。小説の新刊がよく入ってくる店、文庫の絶版本が頻繁に拾える店、お宝写真集がよく出る店、アート系の在庫が豊富な店、音楽ソフトが充実している店、などなど。売り場面積が広いに越したことはないけれども、小さめでも相性のいい店はあって、何故かそこでの収穫物が多かったりするのである。か

つて旗艦店として君臨した原宿店などは広いうえに品揃えも充実したいい店だったが、七年前に閉店してしまった。洋書が充実し、カフェも併設していた白金台店の昨秋の閉店も非常に残念。都内の今もある店で高評価なのは、珍しくプレミア本を扱ってきた東中野店、早くから文庫の帯を外さずに売り場に出していた吉祥寺店など。いつも賑わっている秋葉原店はさすがに商品のサイクルが速く、新しめの店では新宿の西口・東口店は共に3フロアに及ぶ大型店で品揃えも悪くない。
 常連の方には当たり前のことを言うと、ブックオフは単行本及び文庫本の百円コーナー(現在は税込み百八円)が最も見るべき棚である。CDならば二百八十円のアルバム・コーナーに掘り出し物が潜んでいる。個人的には、このところほ

とんどの店で投げ売りしているビデオソフトを漁るのが楽しい。同じ作品でもDVDは二千円でも、ビデオは百円だったりするので、まだVHSのデッキが健在な方にオススメ。つまりは決して安直な意味のみに留まらず、安い商品の棚にこそロマンがある。最近驚いたのは、レジ前に置いてある無料のオリジナルしおりに、「どこを探しても手に入らなかった絶版本、ブックオフの百円コーナーで感

動の発見」と書かれていたこと。〝絶版本〟という、ブックオフの経営方針とは最もかけ離れた言葉を提示してきたことに軽い衝撃を覚えた。いわゆる絶版本はたくさん売り場に並んでいるのだが、それは買う側の意識であって、基本的にプレミア買取をしていない筈の店側がそこをアピールしてくるのか!という感想。いつの日か、ヴィンテージ本専門のブックオフが出来たらなどと夢想しつつも、そこは一般の古書店の範疇を荒らしてはならないと思う。神保町にブックオフが出来ることは今後もあり得ないだろう。ちなみにこれまで自分がブックオフで買った本や雑誌、CDの量は夥しい数に上るが、売りに行ったことは一度もありません。
(鈴木啓之=アーカイヴァー)



連載コラム【ヴィンテージ・ミュージック・ボックス】その11
兵役に翻弄されたファイヴ・サテンズのリード・シンガー

 ドゥー・ワップ史上に燦然と輝く名曲「イン・ザ・スティル・オブ・ザ・ナイト」で知られるファイヴ・サテンズ。グループのリード・シンガー、フレッド・パリスには「これは俺のグループ!」という思い入れが強くあったはずだが……時代に翻弄された彼の運命をたどってみよう。
 53年に当時高校生だったフレッド・パリスが、自らリーダーとなってはじめたグループ、スカーレッツは東海岸を中心にそこそこ人気を集めていた。しかし、55年にメンバー全員が軍隊に招集されたため、解散を余儀なくされてしまう。
 フレッドは兵役中も週末にはコネチカットの自宅に戻ることが出来た。そこで新たにメンバーを探し、組んだグループがファイヴ・サテンズだ。彼らが契約したスタンドード・レーベル

はスタジオがなく、地元にある協会の地下室で録音したという。56年には、2枚目のシングル「イン・ザ・スティル・オブ・ザ・ナイト」がB面だったにもかかわらず徐々に人気を集め、9月には全国的な大ヒットとなる。この曲はコール・ポーター作曲のスタンダード・ナンバーを改作したもので「夜がまだ夜のうちに

君をきつく抱きしめた」と歌われる、胸を打つスロウバラードだ。
 ところがこの頃、フレッドは兵役で日本に配属されてしまい、サテンズは彼の代役としてビル・ベイカーを迎えて活動を続けていった。それを横目で見ているしかなかったフレッドは相当悔しかったはずだ。自ら作曲し、吹き込んだ念願の

ヒット曲を自分ではステージで歌えないなんて。しかもビルがリードをとった新曲「トゥー・ザ・アイル」がヒットしてしまい、それを機にフレッドは正式にグループを脱退して(させられて?)しまう。
 フレッドは58年に除隊するが、ビルを中心に順調なサテンズにはもう戻れない。めげずにむかしの仲間と別のグループを組み、地元の小さなレコード会社クリックから1枚のシングルを出した。フレッド・パリス&スカーレッツ名義のそのシングルのラベルには、まだサテンズのことを引きずっていて、《オリジナリー・ファイヴ・サテンズ》と小さく印字されている。そしてその音楽もサテンズを思わせるものでB面の「シーズ・ゴーン」は、キーもテンポも、印象的なサビ前のフレーズの歌詞「アイ・リ

メンバー~」もフレッドの悲しい名曲「イン・ザ・スティル~」に似せてある。そして素晴らしい出来栄えなのに、あえてB面に収録したのも「イン・ザ~」になぞらえたのだろう。
 このシングルは当時、ほとんど見向きもされなかったのでプレス数がとても少なく、いまではコレクターの間で高値で取引されてい

る。フレッド入魂の1枚だから、ドゥー・ワップ・マニアはこのレコードを手に入れて、フレッドと苦い人生を共有したいのだろう。
 「彼女は行ってしまった
風と共に」と歌われるこの「シーズ・ゴーン」には、フレッドの、実に苦々しい複雑な思いがこもっている。
(古田直=中古レコード「ダックスープ」店主)
●写真上 ファイヴ・サテンズ『ファイヴ・サテンズ・シング』 「イン・ザ・スティル~」のヒットを受けて制作されたファースト・アルバム。写真の下から2番めがフレッド。
●写真下 フレッド・パリス&ザ・スカーレッツ「シーズ・ゴーン(ウィズ・ザ・ウィンド)」 シングル盤のラベル下にある「オリジナリー・ファイヴ・サテンズ」の表記が物悲しい。結局フレッドはこの後、サテンズに復帰した。




“映画を描いて映画を語る”

和田誠シネマ画集


2001年~2013年にHBギャラリーで発表した、 オスカー受賞作品や映画監督、名作映画のラストシーンなど、 映画をテーマにした絵と、ボーナストラックとして「週刊文春」で発表した映画に触発された絵、 さらに書き下ろしエッセイ「自分史の中の映画」等を収録。

和田 誠・著/装丁
B5判変型上製 272頁
本体3500円+税 ワイズ出版より好評発売中
版元 ホームページ http://www.wides-web.com