2015年2月20日(金)

 
ヒトコト劇場 #57
[桜井順×古川タク]







 
米国音楽の鉱脈を試掘した、地下室の男たち
Bob Dylan & The Band『The Basement Tapes : Complete』

 「スコッチ」ブランドの録音テープで知られる米企業3M社は、ミネソタ州セントポールに本社を構える。もとの社名は「ミネソタ・マイニング&マニュファクチュアリング(鉱工業)」社、その頭文字が3つのMである。鉱業の盛んな地元の原材料を用いて、安定した品質のテープを生産した。1902年創業の同社は現

在地に移るまで、一時期、スペリオル湖畔の港町ダルースに本社を置いていた。ロバート・アレン・ジマーマン、のちのボブ・ディランの生誕地である。
 67年、ニューヨーク州北部、ウッドストックで隠遁生活を送っていたディランは、半年余りにわたって断続的なセッションを行い、その模様は同郷ミネソタ産

のスコッチや、より安価な民生用テープに収められた。これまで数々の憶測や伝説を生み、議論を巻き起こしてきた「地下室テープ」が、去年11月、ついに公式発売された。
 去年、世間を騒がせた偽ベートーベンは、人は音楽を聴くのではなく、音楽をとりまく物語を聞いていると教えてくれた。地下室テープの場合、その物語を紡ぎ出したのは、当事者のひとりロビー・ロバートソンだった。ストーリーテラーとして卓越した才能を誇るロバートソンは、75年発売の『地下室』で、伝説の解釈を示した。アルバムの解説を書いたグリール・マーカスは、それをさらに神話の域にまで高めた。
 おそらく、前年のバイク事故のリハビリを兼ねて、自主トレとして始まったセッションは、マーケットに

出す楽曲のデモ録音、ツアー再開へ向けたリハーサルと、次第にその趣きを変えて行く。ある種ビジネスライクにも思えるその経過からは、辣腕マネージャー、アルバート・グロスマンの影が感じられる。序盤で仕上がったデモ「なにもないことが多すぎる」を、すぐさま子飼いのPPMに歌わせる営業手法は、5年前の「風に吹かれて」と同じ。地下室でセッションが行われていたとき、上の階ではグロスマンが抜け目なくソロバンを弾いていた。
 もちろん伝説が語るように、手慣らしに古いカントリーやブルースを演奏することで、地下室の5人は、無意識のうちにアメリカ音楽の鉱脈を探ることになった。こうして採掘された138個のサンプルは、百万ドルの輝きを放つ宝石から、わずか数十秒の小片まで、

まさに玉石混淆。岩石標本を眺めるように楽しんでいる。ちなみに、ディランたちが地下室で試掘に励んでいたとき、前年のツアー途中に離脱したリヴォン・ヘルムは、メキシコ湾で石油を掘っていたという話もあるが、真偽は不明。
 その後、地下室から出てナッシュビルへ赴いたディランは、アルバム『ジョン・ウェズリー・ハーディング』を発表。ジミヘンのためのデモ録音となった「見張塔からずっと」をはじめ、その簡素な音作りは地下室テープに似ていなくもない。いっぽうロバートソンは、地下室伝来のイメージを練り上げ、「バンド」を一般名詞から固有名詞に変えた。
 やはり地下室セッション最大の音楽的成果は「ブートレッグ」という新規ビジネスを創出したことだろう。当初、音楽業界にとって脅

威と思われた海賊盤が、「ブートレッグ・シリーズ」という利益率の高い商品企画を生み、経年劣化した古テープを宝の山に変えようとは、さすがのグロスマンでも見通せなかったに違いない。その源泉となったテープが公式発売されたいま、過去のブートレッグは、40年余りにわたって小出しにされてきたサンプル盤みたいに思えてくる。
 それにしても、もしディランが事故に遭わず、傑作

『ブロンド・オン・ブロンド』と壮絶なツアー、絶頂期を迎えていた66年のペースで活動を続けていたとしたら、60年代が終わるまでに燃え尽きていたのではないか。偶然のバイク事故によって命を救われたディランが、映画『イージー・ライダー』のラスト・シーンに楽曲使用を認めなかったのも、分かるような気がする。
(吉住公男=ラジオ番組制作)



買いもの日記[5]


 去年、インドネシアで集めていた雑誌がアダルト本だったことを知った。インドネシア、ジャカルタへ行ってブロックMプラザの地

下2階。レコード屋のある階と同じ階に古本屋がある。地下へ降りていく階段のすぐ側にある古本屋がよく行く古本屋だ。ブロックMプ

ラザにたくさんある古本屋でも、ここが一番古い雑誌、マンガが揃っている。店の名前はわからない。最初は、何が欲しいの?と聞かれて、古い雑誌が欲しい。と答えたらものすごく古い、文字ばかりの雑誌を渡されたのだが、今では写真やイラストの多い、ちょうどいい時代の雑誌ばかり出してもらえるようになった。当時、いろいろ出ている雑誌の中でもとくに『ストップ』という雑誌が気になった。おそらく、70年代初期から5年以上は続いていたのだろうか。1971年2月6日で27号、それが1975年1月30日にはもう243号になっている。この雑誌は週刊誌だったのか。そのわりにこの雑誌、古本屋ではなかなか見かけない。毒のある写真と風刺画のようなイラストが面白いこの雑誌は、後期になるとイラスト

に丸みが出てきてぼくの好みではなくなってしまう。70年初期の『ストップ』がぼくの好みだった。
 去年、半年ぶりにこの古本屋へ行くと、キミが探していたあの雑誌、入ったよ。と言われた。ビニール袋に入った大量の平積みの雑誌の中からストップだけを抜く。そこから好みの年代、イラストが入ったものだけを買った。それを持ってレコード屋に行くと、友人たちが、何を買ったんだ? と聞いてくる。この雑誌を買ったんだよ。と雑誌を見せると、中身を見て驚いていた。この雑誌は狂っている。と。なんで? と聞くと、これはインドネシアの昔のアダルト雑誌だよ。と言う。ヌードも何もないこの雑誌はイスラムの多いこの国での一番きわどいエロだったのか。そこには民族別のお尻の形の特徴が出て

いた。ジャカルタ、アンボン、ムナド、スンダ、ジャワ、アチェ、パダン、バタック、バリ、マドゥーラ、ランプン、ブギス。そうそう。こうなんだよ。と友人は笑う。結構当たっているのか。
 他に集めているマンガもある。それが『ニラ』というシリーズのマンガで1巻完結の、雑誌のようなコミックだ。中にはピノキオのニセモノ『シ・ピノ』もある。おじいさんが丸太を一本持ってきて、そこからピノを作るマンガ。驚いたのは、ピノキオといえばすぐに思い出すような話だが、このマンガでは一度も鼻が伸びなかったことだった。他にもピーターパンやバックスバニーの出てくる巻もある。東南アジア独特のゆるいキャラクターがニセモノにはちょうどいい。
(馬場正道=渉猟家)




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