地上波テレビがメディアの王様だった1970〜80年代。この時代を代表するドラマ演出家が、九年前に七十歳で亡くなった久世光彦である。氏の業績を振り返る企画展が、この7月11日より、富山市にある高志の国文学館で始まった。タイトルは『あの日、青い空からー久世光彦の人間主義』という。 久世は1960年、TBSテレビに入社。70年代に『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』『ムー』など、手
がけた連続ドラマが大ヒットした。 その番組作りの特徴は先が読めてしまう予定調和を嫌ったことで、人情ホームドラマの途中に、切れのあるギャグ、勤労少女が口ずさむ劇中歌、意表をついた人気者の特別出演、ハプニング満載の生放送を大胆に放りこんだ。久世は、万人受けする「ドラマ(物語)」の伝統を踏まえつつ、時代の気分を瞬時に伝えられる「テレビ」ならではの面白さを、そこへ意図的に混ぜ
こんだのだ。この手法は「邪道」と叩かれる一方で、「新しさ」や「型破り」を好む世の子どもや若者たちを夢中にさせた。 また久世は、五十代に入ると小説やエッセイの執筆を開始。『一九三四年冬 乱歩』の山本周五郎賞受賞を手始めに、直木賞にも二度ノミネートされるなど、その文才は高く評価され、たくさんの作品を世に送った。昭和という時代を慈しみ、笑い、流行歌、背徳を愛した人でもあった。 今回の企画展最大の特徴は、富山で過ごした「久世の十代」に焦点を当てたことだ。 戦時中、空襲で焼け野原と化した富山の市街地。終戦の日にあおぎ見た夏の青空。戦後になって大量に観た欧米の娯楽映画。寝食を忘れて読んだ小説の数々。そして親友の自殺…。久世
が多感な少年期に味わった「体験」が、のちに手がけたドラマや小説に、どう影響したのか。この企画展は、その答えに迫る手がかりを与えてくれるだろう。 それから展示資料には、初公開の貴重なものが多い。「若いころに年上の女性に書き送った二十数通の手紙は、自作の詩を添えるなど、読み手を強烈に意識した内容。いわば書き手としての久世さんの原点です」(学芸員の小林加代子さん)。 さらに久世と縁の深い人たちも参加。『寺内貫太郎一家』に絶大な影響を受けたと語る映画監督の堤幸彦による講演会、小説家の川上弘美、久世の夫人で作家
の久世朋子らによる座談会、そして久世を師とあおぐ俳優の小泉今日子と、ミュージシャン浜田真理子による朗読と歌のライブなどが開かれる。 「どんな作家にとっても、絵描きにとっても、少年期を過ごした土地というものは、生涯その作品の上に大きな影を投げかけているものだ」。 自伝的エッセイ集『時を呼ぶ声』にそう記した久世光彦。その創作の原点に、この企画展でぜひ触れてほしい。会期は9月7日まで。詳細は「高志の国文学館」で検索を。 (加藤義彦=ライター)高志の国 文学館 http://www.koshibun.jp
SF界を牽引した3大作家の企画盤がCD化!
星新一、筒井康隆、小松左京といえば、SF黎明期だった昭和のSF界を牽引した3大作家だ。個人的な話だが、高校・大学時代は、彼らに眉村卓を加えて四天王と称して、当時文庫で刊行されていた彼らの全作品を読みつくすことを目標としていた。結果、大学の卒論では「星新一論」を執筆したり、初めて就職した勁文社(ケイブンシャ)では小松左京の文庫の再発を担当したりと、一時はSFにどっぷりと使った生活をしていた。そんな折、星新一や筒井康隆のレコードがあると噂を聞き、都内の中古
レコード店を歩き回ってやっと見つけたのが、今回紹介する3枚のアルバムだった。そんな、アルバムが手軽に入手できるようになるのは嬉しいことだ。 『宇宙に逝く』は、小松左京が自ら、演出・構成・出演したスペース・ドラマ。ほか出演は、劇団四季の日下武史と山田三恵。劇伴はジャズ・フルーティストとの横田年昭が、SEはプログラマー集団のRMCがそれぞれ担当をしている。近年の和ジャズ・ブーム中心人物の一人として再評価著しい横田によるオーケストラやフュージョン色強いサ
ウンドと、SEがクロスオーヴァーしたサウンドは単独でも聴いてみたい好劇伴。全体に流れる雰囲気は、同時代に放送されていたFMラジオ・ドラマ「音の本棚」を思い起こさせる。 『文明』は 、筒井康隆の「バブリング創世記」の持つ狂気の世界を音楽化したもので、作曲は山下洋輔が担当。筒井康隆と山下洋輔のコラボレーションは、前年にリリースされた筒井康隆・山下洋輔『家』(76年)に続くものだ。山下洋輔、坂田明、小山彰太を中心とする当時の山下トリオのアヴァンギャルドな演奏
をバックに、難解な詩の朗読をのせている。山下トリオは、当時に名盤『砂山』(78年)を同メンバーでリリースしていた時期だけあり、緊張感溢れながらもどこかユーモラスな演奏が繰り広げられる。カップリング「寝る方法」は、筒井康隆書下ろしの朗読。観客の素直な反応が笑いを増幅させる。このあと山下トリオは解散するも、「筒井康隆全集」プレゼントとして、筒井康隆・山下洋輔『ジ・インナースペース・オブ・ヤスタカ・ツツイ』(85年)を制作した(のちに単品でリリース)。 『星寄席』は、星新一のショートショートを古今亭志ん朝と柳家小三治が落語化。「戸棚の男」と「四で割って」は『おかしな先祖』(72年)に、「ネチラタ事件」は『ちぐはぐな部品』(72年)に収録。中でも
「ネチラタ事件」は、当時友達同士の間でも話題になった抱腹絶倒の名作。こういった台詞が笑いのキーとなる作品はCDでは面白さがいっそう増す。同路線の「友好使節」も落語で聞いてみたいもの。好評を得て、翌年にも桂米丸・星新一・深町純『SF寄席』(79年)がリリースされた。 3作品とも「AMAGING3」と題され、78年に同時リリースされた。LPは中古市場で人気で、中でも『星寄席』は和田誠によるイラストも相まって高価がつ けられている。 (ガモウユウイチ=音楽ライター/ベーシスト) ーーーーーーーーーーーー (写真上から)●小松左京『宇宙に逝く』 ●筒井康隆『文明』 ●星新一『星寄席』/いずれもビクターエンタテインメントより7月22日に発売。
『アトム ザ・ビギニング』単行本第1巻発売
今の時代に生きていてなにが悲しいかといえば、手塚治虫先生がすでにこの世になく、どんなに長生きをしたところで「手塚先生の新作」は一生読めない、ということです。未読の手塚作品を求めて古本屋やマンガ喫茶を練り歩くのも悪くはないですが、新作が次々と生まれるコミックの最前線からは遠のいていく一方……『鉄腕アトム』の舞台である21世紀に暮らしていながら、まったく未来に生きていないこの態度を思う
と、我に返って言いようのない寂しさに駆られます。あ〜ん、時代の流れについていけてない人にも楽しく読める手塚先生の新作マンガを出してぇ〜! と、無茶苦茶を叫んだ僕の目の前に、刊行されたばかりの『アトム ザ・ビギニング』の第1巻が現れました。手塚先生の遺志を継いだ ゆうきまさみ(コンセプトワークス)、カサハラテツロー(漫画)、手塚眞(監修)の3者が原作の設定を借りて、昨年末から月刊『ヒー
ローズ』で始めた新プロジェクトです。これは映画で言うところの〝プリークェル〟だな、『バットマンビギンズ』や『カジノ・ロワイヤル』のように、有名な作品に新設定をたっぷりと盛り込んで、ゼロからお話を語り直すという、あの手法だとすぐに思いました。 大学でロボット工学を研究しているヤング天馬博士とヤングお茶の水博士が、自我を持つロボット〝シックス〟を開発したことをきっかけに、様々な事件に巻き込まれていく……というお話なのですが、説明が下手な上にあらすじだけでは魅力が伝わりませんね。実を言うと、読み始めてすぐ、ライトノベルのような説明気味のセリフや、萌えの塊みたいなオリジナルキャラが目について少し戸惑ってしまったのですが……いや、待ってください! 肝心な
ことは、過去の作品にルーツを持つ各キャラが、現代の雰囲気にどうマッチしているかどうか、ではないでしょうか? そして、作者の手を離れても立派に自立できるキャラを生み出した手塚先生の造型が、ストーリーにどう活きているか。結果として、現在のラノベや萌えの源流としての手塚作品を再確認することになりました。天馬博士とアトムとお茶の水博士、3者に待ち受けている未来を重ね合わせつつ、お好みの声優さんの声で各キャラのセリフを脳内再生しながら読むと実に愉しいです。第1話の終盤で〝シックス〟の活躍を見たヤングお茶の水が思わず涙しながらつぶやく「ベヴストザイン・システム理論」。その時点ではその言葉がなにを意味するのかサッパリわからないのに、僕は心のなかで新ヒーロー
の誕生を祝いながら、ヤングお茶の水と一緒に涙を流していました。無論、躍動感溢れるロボット描写については文句のつけようがありません。ところでヒーローの本場、マーベル・コミックスではスタン・リーという92歳の偉人がいまだに采配を振るっているそうですが、アメコミの世界では1つの作品が複数の書き手によって違った解釈がなされるのはごく普通のことです。もし、近い将来『鉄腕アトム』もそうなったとしたら……それはそれですごく興味があります。 (真鍋新一=編集者見習い)『アトム ザ・ビギニング』01 こんにちは、科学の子(HC ヒーローズコミックス)(原案:手塚治虫、コンセプトワークス:ゆうきまさみ、漫画:カサハラテツロー、監修:手塚眞、協力:手塚プロダクション、刊:小学館クリエイティブ/560円+税)
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