てりとりぃ放送局アーカイヴ(2015年6月26日〜2015年7月10日分)

 ABBAの「DANCING QUEEN」。以前にもこの曲を指して「完璧な名曲」と書いたことがありますが、まさにケチの付け様のない1曲だと思ってます。ポップスとして、ダンス・ミュージックとして、時代を移す鏡として、まあなんでもいいのですが、音楽というのはかくあるべき、だと思っております。さてさて、その「DANCING QUEEN」の聴き比べをやろうと思うのですが、さすがに膨大な量が残されておりますので、吟味の上2週に分けてご紹介してみようと思います。(2015年6月26日更新分/選・文=大久)



Carol Douglas / Dancing Queen (1976)

 ニューヨークのディスコ・クイーンであり、あのサム・クックの親戚(いとこ)でもあるキャロル・ダグラス。名盤『FULL BROOM』(77年)収録のカヴァーです。東海岸を代表するソウル・ストリング・コンダクター、ジョン・デイヴィスのプロデュース。フリーソウル・クラシックですが、そりゃあこのカヴァーにもケチを付ける人は居ませんよね。

Marion Rung / Princessa (1977)

 45年ヘルシンキ生まれ、フィンランドの人気女性シンガー、マリオン・ラングによるカヴァーですが、歌詞はフィンランド語に書き換えられ、タイトルも「プリンセッサ」と改題されています。でも基本的に完コピ、ですよね(笑)。
Tracy Huang(黃鶯鶯)/ Dancing Queen (1977)

 海外(主に香港やシンガポール)での活動名はトレイシー・ファン、母国・台湾での名は黃鶯鶯。そちらの音楽事情に詳しくないのでよくわからないのですが、こちらは誰もが認める「完コピ」カヴァー、ですよね。バラード中心の洋楽カヴァーを多く残している彼女ですが、そういう意味では珍しい選曲と言えるかも。。
The Sugarcubes / Dancing Queen (198?)

 ビョークです。シュガーキューブスです。公式発表音源ではなく、シュガーキューブスが残したスタジオ・セッション音源(しかも練習中なのが丸わかり、ですね)。いいですね、バンド始めてみました、っていう青々しい空気がビンビンに伝わります。YOUTUBEで音楽を聞いててこれほど「学校の部室の臭い」を想像させる曲も珍しいかと(笑)。
The JAMs (KLF) / The Queen and I (1987)

 イギリス音楽界の問題児KLF。彼らがJAMs名義で活動してた時のシングル曲「THE QUEEN AND I」はもうモロモロにモロ使いで「DANCING QUEEN」をフィーチャーしています。例によってこのサンプリング使用は完全に無許可で行なわれました。権利関係にウルサいABBAですから、この曲は大問題になり、法的に発禁処分に。ABBAに許可を貰おうとするも当然面会を拒絶されたメンバーは、この曲の盤の現物を自らの手で船の上から海に捨てています。
U2 (with Bjorn & Benny) / Dancing Queen (live / 1992)

 92〜93年に行なわれた「ZOO TV」ツアーでのひとコマです。92年6月11日、スウェーデン・ストックホルム公演において、ゲストとしてABBAの男性2人が出演。U2のメンバーと共に「DANCING QUEEN」をセッションしました。ABBAのこの2人が人前に出たのも数年振りだった、とのこと。



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 ABBAの「DANCING QUEEN」に関しては色々なエピソードが残されていまして、ジョージ・マクレーの「ROCK YOUR BABY」が下敷きになったとか、スタジオでイントロを初めて聞かされた女性メンバー2人はその場で座り込んで泣いてしまったとか、この曲の初お披露目は76年6月18日に国営放送で生放送されたスウェーデンの国王グスタフ16世の結婚披露宴で、とか。名曲ってやつには素晴らしい逸話がつくものですね。さてそんなことはともかく、「DANCING QUEEN」聴き比べ、その2です。(2015年7月3日更新分/選・文=大久)



Sixpence None The Richer / Dancing Queen (1999)

 「KISS ME」「THERE SHE GOES」といった素晴らしいアコースティック楽曲でお馴染みのシックスペンス・ノン・ザ・リッチャー。99年に映画『DICK』(日本未公開ですが、ソフト発売に際して『キルスティン・ダンストの大統領に気をつけろ!』という邦題が付いています)のサントラにこのカヴァーを提供しています。いいですね。ネオアコですね。
Regine Velasquez / Dancing Queen (1999)

 フィリピンの人気女性歌手、レジーン・ヴェラスケスによるカヴァー。アコースティック音色を生かしたR&Bトラックですね。99年に発表されたアルバム『R2K』はほぼ洋楽カヴァーで占められており、ジェフリー・オズボーン。ピーボ・ブライソン、ドナ・サマー、ディオンヌ・ワーウィック、ジョージ・ベンソン、アイズレーズといったR&B楽曲のカヴァーも収録。

A*Teens / Dancing Queen (1999)

 好む好まないに関わらずこの曲のカヴァーを紹介する際こちらを紹介しないワケにはいきません。なんといっても「ABBAのカヴァーをする」というコンセプトのティーン・アイドル・グループ、Aティーンズは母国スウェーデンのみならず北欧、欧州、そして南米のチャートまでも席巻することになったからです。グループ名も最初は「ABBA TEENS」でしたが、ABBAのメンバーから「カヴァーするのはいいけどその名前だけはなんとかしてくれ」という要請で改名したとのこと。
Nils Landgren / Dancing Queen (2004)

 変わり種です。スウェーデン出身のジャズ・トロンボーン奏者ニルス・ラングレン氏によるジャズ・ファンク・カヴァー(しかもRAP入り)。ラングレン氏は本家ABBAの作品はもちろん、クルセイダーズ、バーナード・パーディー、ハービー・ハンコック等の作品にも参加した経緯を持つベテランですが、80年代以降ソロ・キャリアに転じ、20作に及ぶアルバムを発表しています。
Beat Crusaders / Dancing Queen (2005)

 こちらも変わり種、ですよね。アニメ『BECK』の音楽を担当したことでも知られるビート・クルセイダーズ。彼らがファンのリクエストを募って制作したカヴァー・アルバム『MUSICRUSADERS』収録のカヴァーです。膨大な量の音楽知識と愛情で知られるヒダカ氏ですから、なにか思うところもあるでしょう。機会があれば今度本人にお聞きしてみたいと思います。

Steps / Dancing Queen (2011)

 20世紀末に爆発的な人気を誇ったアイドル・グループ、ステップスはPWLのピート・ウォーターマンが「ABBAのサウンドを最新のテクノ音楽と融合」させんとプロデュースしたグループでした。ステップスは予想以上の大成功を収めるも、2001年に解散。しかし2011年に復活再結成を果たし、ベスト盤を発売したら全英NO.1になってしまって(笑)。ほんと英国人てこういうの好きですよね。俺も好きですけど。



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 ビリー・プレストンの特集です。「5人目のビートルズ」という形容詞はもちろんウソではありませんが、ビートルズと関わりを持つ全然前から既にスタープレイヤーだった彼。また彼の一番有名な作品は(アップルと契約が切れ移籍した)A&M作品であることも見逃せません。そう、つまり60〜70年代のソウル・シンガーとしてトップ・パフォーマーだったわけですね。彼が亡くなって8年以上が経ちましたが、彼の偉業は世界一素敵な彼のアフロヘアと共に忘れることはできません。(2015年7月10日更新分/選・文=大久)


Billy Preston & Nat King Cole / Blueberry Hill (1957)

 まだ10歳だったビリー・プレストン。この頃から教会でオルガンを弾き始めたそうですが、若くして「王様」ナット・キング・コールとの共演がTV番組にて実現しています。ナット・キング・コールが他界したのは65年ですから、その後ビリー・プレストンが世界中で注目を浴びたところを見ずに逝ってしまったことになります。
Billy Preston & Ray Charles / Agent Double-O-Soul (1964)

 当時レイ・チャールズやサム・クックのバック・キーボーディストとして活躍すると同時に63年にソロデビューを果たしたビリー・プレストン(デビューはサム・クックのSARレーベルより)。こちらは64年、17歳のときのTVライヴ映像で、ご覧のようにバックでレイ・チャールズがピアノを弾いています。

Billy Preston / In The Midnight Hour (1965)

 髪を真っすぐに延ばし、ソウル・ヒットを熱唱するビリー・プレストン。映像は65年の米音楽バラエティー番組「SHINDIG!」出演時のもので、曲はもちろんウィルソン・ピケットでおなじみの曲。この曲は翌年プレストンのソロ・アルバムに収録されましたが、そちらのアレンジを手がけたのはあのスライ・ストーンでした。ファンキー・オルガンものの名作として今や有名になりましたね。
Billy Preston / My Sweet Lord (1970)

 ジョージ・ハリソンたっての希望でビートルズとの共演を果たしましたがその期間は1年ほどでした。70年、B4のメンバーがこぞってソロ活動に入りましたが、こちらはご存知ジョージのソロ代表曲のカヴァー。実はジョージ本人はこれを他者(エドウィン・ホーキンス)に提供するつもりで制作しましたが結局実らず、その後に「じゃあやるよ」ということになりビリー・プレストン版が録音されました(ジョージの本人版が発表されたのはその1ヶ月後)。
Billy Preston / Nothing From Nothing (1974)

 アップルからアルバムを2枚発表するもパッとせず、その後A&Mに移籍して発表したこちらの曲はビリー・プレストンの代表曲となる大ヒット曲になりました。最高ですね。曲もそうですが、やはりこのヘアスタイルが。この曲の共同作家でもあるブルース・フィッシャーは、ジョー・コッカー「YOU ARE SO BEAUTIFUL」を書いた人でもあります。
Billy Preston / Heroes (1991)

 89年、リンゴのオールスターバンドで来日した彼を見たときはそんなことを一切感じさせませんでしたが、実は90年代初頭ビリー・プレストンは保険金詐欺にあったり酒浸り&薬浸りの生活に陥り人生のドン底にいました。そんな最中イタリアのダンス系レーベルから発売されたボウイ・カヴァー「HEROES」のハウス・ヴァージョン。結果としてこちらも彼の人生を立て直すのに役立つようなヒットにはなりませんでしたが。90年代末からまた積極的な音楽活動に復帰するも、06年肝臓がんで逝去しています。


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