2015年9月11日(金)

 
盲腸線で異世界へ


 鉄道好きの間で良く使われる単語に「盲腸線」というのがあります。盲腸とは〝役に立たないのに存在する短くて行き止まりのもの〟の意味で、つまり終点のその先に何もない、という短い距離の路線を指します。役に立たないとは失礼な話ですが、東京周辺で例に挙げれば西武鉄道多摩川線(終点・是政)とか、大阪周辺ならJR羽衣線(終点・東羽衣)があります。地下鉄の都営浅草線(終点・

西馬込)とか都営三田線(終点・西高島平)なども該当するでしょう。終点のその先に乗り換えがあったり、終点が賑わっていたり、終点目指して人が多く乗りに行く場合(例・京王線高尾山口)は盲腸線ではありません。東西や南北を結ぶ計画線が、途中で頓挫してハンパなところで終点になり盲腸線が生まれた例もあり、高度成長期以降、鉄道からクルマへと輸送手段が大きく変化した時代とも無

縁ではないのです。
 子どもの頃から乗り鉄&時刻表鉄だったワタクシ、電車に乗って、終点まで行っては帰ってくるということ、ただそれだけを繰り返していていました。幼稚園の頃、京浜東北~根岸線は磯子が終点で、何度も母親に磯子まで連れて行ってもらいました。何しにって、行くだけです。それで帰るだけ。「何が面白いんだろうねこの子は」とよく言われました。その後、洋光台まで延伸され、これも何度か行きました。やがて根岸線は大船まで開通して東海道本線と接続されてしまい、一気に興味を失いました。幼少期より根っからの盲腸線好きだったようです。
 個人的に大好きな盲腸線の1つが、静岡県富士市にある岳南鉄道。元京王線の3000系を改造した一両の電車がコトコト、のどか

な静岡の平地を走る零細私鉄です。しかもスイカやパスモ全盛の折、いまだに硬券! JR東海道本線の吉原駅が始発駅。岳南電車は吉原駅を出るとしばらくJRと併走しますが、ある場所でひゅっと右に曲がり、視界の先には工場街が。富士市といえば『ゴジラ対へドラ』でも有名な田子の浦も程近く。この地域は製紙業が盛んで、今も沿線には製糸工場から伸びる白煙と、独特の紙の匂い、線路脇の工場敷地に置かれた紙の山など、なかなか個性的な沿線風景です。しかも、「ひゅっと横にそれる」これがいい。鉄道というのは、先に幹線を作りあとから支線を作っていった歴史があるので、本線は真っ直ぐで、支線は必ず横にそれるのです。この瞬間、電車は未知の異世界への水先案内人となり、乗ってるこちらの興

奮度数もUP(オレだけかな)。岳南鉄道のカーブの先は、工場の中に突っ込んでいくような『ブレードランナー』感覚がちょっぴり味わえます。
 岳南鉄道はわずか9・2キロの短い私鉄で、その終着駅は岳南江尾。無人駅です。ちっちゃな駅舎と簡素なホームがあるだけ。家がポツポツ。たんぼと雑草の空き地だけ。何もないのが盲腸線の終点の理想形とはいえ、ビックリするぐらい

何もない。その視線の先を猛スピードで走る東海道新幹線の高架が見えます。その向うには富士山が。行きかう新幹線をしばしボーっと眺めてやり過ごしたあとは、再び吉原駅を目指して帰るだけです。旅とは何もないところに行くのが楽しいのだ、と勝手に思い込んでいるのですが、そういう自分には盲腸線旅行が性に合っているようです。
(馬飼野元宏=『映画秘宝』編集部)



ふじみ野のカレー jam3281


 以前、川越にキッチン・ジャワという欧風カレーの名店があった。美味い、量が多い,そして、安いという三拍子揃っており、一時期、会社帰りに毎週の様に通っていた。ここの欧風カレーは味的には、神保町ボンディの系統で、しかも値段がボンディのほぼ半分の値段。それにも関わらず、ビーフやチキンがゴロゴロと惜しげもなく入っているのだ。そして、驚くべきはその量。普通の量ですでに大盛りなので、大盛りを頼

むと通常の量の3杯くらいの飯を食わねばならぬので、中年諸氏にはちょっと危険。そして、もう一つの魅力は、カレー以外も美味いということだ。ピラフや定食も充実しており、特にピラフは私が高校時代に良く通った「プライド」という洋食屋の味に酷似しており、二重に驚いた。近所にあったなら、間違いなく毎日でも通った事だろう。しかし、残念ながら、2013年11月24日、予兆はあったものの突如閉店してしまった。最

終日には店の前に何百メートルもの列が出来て、多くの人がその味に別れを惜しんだ。
 その後、ジャワの幻影を求めて、川越近辺を彷徨った。ボンディ川越店、ぽか羅など新たな候補はみつかったものの、ジャワの代替になる店はなかなか見つからない。そんな中で、出逢ったのがふじみ野にあるJam3281だ。カレー同志の「てりとりぃ」編集長が開拓した同店は、ふじみ野のショッピングモールsoyocaのすぐ近くにあり、木造テイストのアーリーアメリカンスタイルの店舗。カレー専門店だが、ディーナースタイルの形式で、長居が出来る落ち着く店内である。だいたい、ビーフかチキンをチョイスし、じゃがいもとアイスティーの英風Aセットが定番。ボンディ等神保町の名店では必

ずセットとして出るじゃがいももバター付で同様に供される。3種のデザート付のセットもあり、女子にも申し分の無いセットもある。現在のところ、都内のカレーの名店と比較しても互角に勝負できる店である事は間違いない。
 既に何度も通っているJam3281だが、まだ未経験のオリジナル・メニューが多くある。次回試したいのが、手鍋カレーとスペシャルカレーだ。手鍋カレーは具材を良く煮込んだもので、〝柔らかお肉と野菜〟〝魚介とトマトの地中海風〟〝季節限定の牡蠣〟など、これからの季節にピッタリだ。そして、スペシャルはミートミックス、シーフードミックス、チーズ、ドライと4種のカレーを楽しめる盛り合わせである。いや~、これは今すぐにでも試してみたい一品である。

と、思っていたらこのJam3281、7月に川越店がオープンしたようですよ。行かねばなりませんね、編集長!
(星 健一=会社員)
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Jam3281○埼玉県ふじみ野市うれし野2-5-18スズキビル2F
写真左○半熟卵と挽肉の焼カレー(期間限定/1365円)



私的作家思考〜秋元文庫SFジュブナイルの思ひ出


 以前紹介した清水義範は朝日ソノラマ刊のソノラマ文庫(現・朝日文庫ソノラマセレクション)から発行していた。ソノラマ文庫は75年に創刊した国内最初期のジュニア小説専門の文庫だったが、その2年前の73年に秋元書店からジュニア小説専門の文庫の秋元文庫が創刊されていた。
 創刊当初は、赤松光夫『三等高校生』(73年)、大木圭『どっちがどっち』(73年)、山中恒『われら受験特攻隊』(73年)などの少女小説が中心だったが、やがて眉村卓『天才はつくられる』(74年)、『二十四時間の侵入者』(74年)、光瀬龍『その列車を止めろ!』(74年)、福島正実『悪夢の呼ぶ声』(74年)など、SFジュブナイルが大きな柱となっていった。NHK「少年ドラマ」シリーズの「未来からの挑戦」

の原作となった眉村卓『地獄の才能』(75年)、「少年ドラマ」シリーズの「その町を消せ」の原作となった光瀬龍『その花を見るな!』(75年)など、ドラマ原作本などのヒット作も生まれ、SFの啓蒙と普及に大きな影響を及ぼした。ほか、秋元文庫の当時のSF名作に、眉村卓『ねじれた町』(75年)、『深夜放送のハプニング』(77年)、『泣いたら死がくる』(77年)、『白い不等式』(78年)、『なぞの転校生』(80年)、『閉ざされた時間割』(80年)、『地球への遠い道』(81年)、『つくられた明日』(81年)、福島正実『真昼の侵入者』(75年)、『地球のほろびる時』(75年)、若桜木虔『未知からの侵略者』(79年)、『恐怖の異次元大地震』(80年)、『二つの影の挑戦』(80年)、『消失

人間の謎』(80年)、『未来変更作戦』(81年)、『次元侵略者を探せ!』(81年)、草川隆『学園魔女伝説』(79年)など。特に眉村卓の諸作品はSFジュブナイルの名作としてのちに全てが角川文庫へ移籍、若桜木虔の作品も「SF学園」としてシリーズ化され人気を博した。

 76年には集英社から集英社文庫コバルトシリーズ(現・集英社コバルト文庫)が創刊される。現在本家の集英社文庫が創刊されるのは77年のことなので、本家より1年前に創刊されていたことになる(コバルトシリーズと同時に集英社漫画文庫も創刊された)。昭和50年代は、この3文庫がしのぎを削って名作SFを刊行、科学小説と呼ばれていたSFに市民権を与えた。現在では、ジュブナイルという言葉の廃れと共に、当時の雰囲気を持ったSF自体が余り書かれなくなっているのは残念だ。
(ガモウユウイチ=音楽ライター/ベーシスト)