初期パンク特集をやります。といってもパンクの有名曲をダラダラと並べたのでは芸がありませんね。当放送局担当者なりに考えた結果、ちょっとアカデミックな動画を並べてみようと思います。初期パンクがどんなカンジで広まっていったのか。それをクラッシュ&ドン・レッツとの関わりと共にご紹介してみたいと思います。パンクが実は黒人音楽と非常に関わりが深かった、ということを発見していただけたら幸いです。(2016年1月8日更新分/選・文=大久)
Notting Hill, Ladbroke Grove Riot - London, 1976
まずはこちら。1976年のノッティングヒル・カーニバルの映像です。すっごく乱暴に言ってしまえばノッティング・ヒルのカーニバルは浅草・三社祭みたいなとても歴史・文化的な色彩の濃いカリビアン・カーニバルなのですが、動画からもその様子は伺えると思います。BGMにカリプソが流れてますが、そういう意味で至極正しい選曲です。しかし76年、この地で大きな暴動が発生してしまいました。
The Clash talking about the song "White Riot"
そのノッティングヒルの暴動の模様を扇動的に楽曲にしたのがクラッシュの「WHITE RIOT(白い暴動)」であることは有名ですよね。こちらはクラッシュのメンバーがその「WHITE RIOT」と76年のノッティングヒルの暴動の模様を語るドキュメンタリー動画。クラッシュは「扇動者」と見られることを嫌っていました。それ故あまりこの暴動に関して語る機会は少ないので、ちょっとだけ貴重な動画でもあります。
The Clash / Justice Tonight/Kick It Over
クラッシュのダブ・レゲエ曲。クラッシュがレゲエに染まったのは、彼らの親友でもあったドン・レッツによるところが大きいのですが、この曲を収録した「BLACK MARKET CLASH」のジャケは、前述した1976年のノッティング・ヒルの暴動の最中、機動隊と対峙するドン・レッツの写真をあしらったものであることは有名です。実は当方は数年前にドン・レッツにインタビューする機会があったのですが、彼もまたあの暴動のことを口角泡を飛ばして喋るタイプの人ではありませんでした。当事者のほうがかえって冷静なんでしょうね。
Punk, Reggae, Roxy and Don Letts
ドン・レッツは映画監督でもありますが、70年代後半は映像よりもアーティスト・マネジメントに多くの時間を割いた人物でもあります。彼が手がけたスリッツをメインに、当時のパンク・シーンを描いたドキュメンタリー動画です。ドン・レッツ本人の弁によれば「パンクの90%はゴミ。でも残りの10%は素晴らしい」とのこと。うん、上手いこと言いますね。ちなみに彼の述懐によれば「スリッツはもうとんでもない集団だった。ステージ上でもステージを降りても同じようにハチャメチャ」。
Big Audio Dynamite / E=MC2
ドン・レッツはアーティスト/ミュージシャンとしても活動しましたが、彼の作った音楽をジャンル分けすることは出来ません。あえて言うなら「パンク」ですが、今多くのパンク・ファンの耳にはそう映らないでしょうね。こちらは彼が正式メンバーとして参加したビッグ・オーディオ・ダイナマイト最大のヒット曲。クラッシュのメンバーにヒップホップ文化を叩き込んだのもドン・レッツの差し金で、そしてピストルズ解散後のジョン・ライドンをジャマイカに連れて行ったのもドン・レッツ。そう、実は初期パンクの裏番長だった人なんです、この人。
*動画のリンク切れの場合はご容赦ください。
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