2016年1月22日(金)


ヒトコト劇場 #75
[桜井順×古川タク]









気まぐれ園芸の愉しみ
椿とのつかず離れずの関係

 正月気分がすっかり抜ける一月末。このころから、どんなに暖冬といわれる年でも一番冷え込む季節がやってくる。厳しい寒さは何度経験しても辟易するが、その一方で、この時期だか

らこそ見たくなる植物もある。
 この季節、最も寒さがこたえるのは受験生たちだろう。私自身、冷え込みの厳しい朝などは今も、大学受験をした日々のことを思い

出す。そして、その記憶とセットで頭に浮かぶのが、受験会場の窓から眺めた白椿だ。
 何事もギリギリにならないとおしりに火が付かない私だから、もちろん準備不足。緊張と不安で身も心も冷え切っていた。当然、花をめでるなどという心のゆとりもないはずだった。
 が、暖房のきかない教室で答案が配られるのを待っていると、窓の外からこちらを覗うように咲く椿の白い花々が目についた。
 清らかな純白の花びら、光沢を放つ濃緑の葉、黄金色のしべ。白と緑と黄のリズミカルな競演は、余計な思いも感情も一切伴わない抽象画のようだった。かといって決して無機質ではなく、凛としたたたずまいには冷気をはねのけるようなエネルギーが満ちていた。
 受験生たちの負の感情渦

巻く室内とはまるで別世界。窓の外いっぱいに広がるまぶしい光景に心を奪われるうちに、大学受験などちっぽけなことに思えてきた。そして、いつの間にか心の中にあった焦りや恐怖は消えてしまっていた。
 まあ、どうでもいいや。試験などさっさと終わらせて、早くあっちに行こう。
 休憩時間になると、さっそく白椿を見に行った。椿にしては珍しく大木で、ふっさりと垂れる大輪の花も見事だった。ところが、ふと下に目をやると、花の形をそのまま残して横たわる無数の花々があった。力尽きた落椿の姿を見たとき、初めて、この木に秘められた「情」のようなものを感じた。
 それ以来、私にとって椿は植物の中でも別格の存在になった。ほかの植物のように馴れ馴れしく愛でると

いうより、美術作品のように椿が発するものをひたすら受け取る。
 しかも、その鑑賞は寒い冬に限る。椿の花期は割と長く、真冬から新緑の季節まで見ることができる。冬に咲く椿はむしろ少数派で、長く目にしている椿の多くは春のもののはずなのだが、生暖かい季節に見た椿はなぜか心に留まらない。
 椿を家で鑑賞しようと、種から育てたこともある。公園で見つけた「侘助」と

いうつつましく気品のある品種の赤椿の木。その下に落ちていた実を拾い、種を取り出して鉢に植えてみたところ、翌年は三枚の葉が出て終了。その後、毎年地味に葉の枚数を増やしたが、花が咲いたのは八年もあとのことだった。しかも、その花は公園で見た侘助とは似ても似つかずしどけない姿。挿し木苗を買えば簡単に花を見ることができたのだろうが、この経験は、そうやすやすと私の手に馴染

まない椿の孤高の美を印象付けた。
 それ以降、庭に椿が増えることもなく、かといって冬になれば歩く道々で椿を探し求める片思いのような日々が続いている。
 けれども椿に全く縁がないわけでもない。いくつも受験した大学の中で、合格したのはあの白椿と出会った大学のみ。
 結局、その後四年間、あの椿の大木の前を行き来することとなった。
 このままつかず離れずの関係のままなのか、それとも一歩踏み出して苗を買ってみるか。冬が来るたびに心が揺れるが、白椿を見たあの日のように、ほかのことがどうでもよくなってしまいそうで何やら恐ろしく、今年もなかなか踏み出せないでいる。
(髙瀬文子=編集者)



居酒屋散歩22《茗荷谷・弥助》


 今回は隠れ家的な店。というのも地下鉄・春日駅から歩いて15分くらいの所にある店で、周りは住宅街。共同印刷の裏手で、夜になると周りは真っ暗。特に冬のせいもあって早い時間から暗くなり、飲み屋があるとは思えないような道を歩いてゆく。街頭の明かりを頼りに店に向かってゆくと、ポツンと明るい部分があっ

て、そこが「弥助」。少しホッとする。地元の人でもない限り、飛び込みで入れる店ではないだろう。私は、神保町に勤めていた会社があったので、2駅電車に乗ってこの店まで足を延ばすことがあった。酒と肴がうまいので、今でもたまにだが覗いている。
 今回は、昔一緒に仕事をやった友人が年末に亡くな

ったので、彼を忍んで一杯やろうということでこの静かな店に集まった。私より若く、享年60歳。訃報を聞いた時はショックだった。今から20年も前のこと、「21世紀こども百科」という1冊物のビジュアル百科を一緒に作ったのだ。最初は1冊だったこの本も好評で、シリーズものになり10冊近く作った。「科学館」という本をやった時には、アメリカ取材に行ったこともあって思い出がいくつもある。彼はお酒が好きでよく一緒に飲んだものだ。
 店に入るとすぐの所にカウンターがあり、そのわきに4人掛けの椅子席が並んでいる。集まったメンバーは、彼が「21世紀こども百科」のあと移動で移った雑誌の編集部の後輩と、彼と仲の良かったイラストレイターT氏の3名。付きだしの後に出てきた刺身をいた

だきながら、今は亡き友人に何度も献杯をささげ、だんだん良い気分になって行った。寒い時期だし、今回は少し豪華にとフグを頼んだ。フグ刺しそして、てっちり鍋。鍋をつつきながら、日本酒をコップで飲んで、亡くなった友人の昔話をして話は盛り上がった。時には悲しい気分にもなる時もあり、つい酒が進んでしまい、終わるころには3人とも大分酩酊していた。
 酔った勢いもあったせいか、もう1軒亡くなった友人のなじみの店に行こうということで、表通りに出てタクシーにのった。高田馬場まで来て早稲田通りの駅の少し手前の路地のバーに入る。この店は彼と飲むと必ず寄ったところで、店の主人も彼の事をよく知っている。ここでも、店の人を巻き込んで思い出話を肴に、ウイスキーをかなり飲んで

しまった。終電近くまでいてからお開きにして解散。
 電車に乗って寝てしまったのだろう、気が付いたら最寄駅から急行で2駅先の駅だった。もう上りは電車ないのでそこからタクシーで帰宅。池袋からタクシーに乗った方が安く付いたかもしれない。でも、酒好きの友人がそばに一緒に居たような気がして、気持ちよく酔った夜だった。
(川村寛=編集者)