「おいしいブラジル」(スペースシャワーネットワーク刊)について
2009年にミオーロが日本に上陸してから早7年。ブラジルの高級ワインの存在感は日に日にたかまっている。 日本には現在、ミオーロ、カーザ・ヴァウドゥーガ、サルトン、アウロラ、カーヴィ・アンチーガといった銘柄の高級ワインが輸入されている。これらはシュハスカリーア(ブラジル流のグリル料理シュハスコのレストラン)に置いていることが多いが、近年はブラジル料理店以外でもブラジル
のワインを見かけるようになった。 2015年、「NIKKEIプラス1」(日経新聞)の5月31日づけ「なんでもランキング」<専門家推薦 世界旅行気分に浸れる、あの国のワイン>において、〝クラシック・シャルドネ〟(白ワイン3位)、〝クラシック・タナ〟(赤ワイン8位)と、サルトン社のワイン2種が選ばれたことも、ブラジル産ワインが日本でより注目を集めるようになったきっかけのひとつ
といえるだろう。 「TEXTS OF BRAZIL ブラジルの味」(ブラジル連邦共和国外務省)の中でミオーロ社のカルロス・エドゥアルド・コヘア・ノゲイラ輸出担当取締役は「一般に、ブラジルワインの特徴としていえることは、果実味がしっかりしていて香りがよい、バランスがよくて口当たりが軽い」と語っている。 代表的な名産地はブラジル南部にある〝ワインの郷〟ベント・ゴンサウヴィスで、ここからは、世界のコンクールでさまざまな賞を受賞するワインが生まれている。 ただし、同時にカルロス氏は「産地によってかなり特色は違う」ことも強調している。 日本の約23倍という広大な土地に、多様な気候と土壌を持つブラジル。さらに
は移民大国でもあるこの国では、その土地に根づいた移民がもたらす文化的背景も、土地ごとのワインの性質の違いに大きく関係している。 さて。ワインに続いて、昨今ブラジル国内で注目度ががぜん高まっているのが国産手作りチーズ(ポルトガル語ではケイジョ)で、北東部から南部まで幅広い地域で作られている。生産地ごとに、牛がどんなえさ(草)を食べているか、気候や、土地に根差した文化的背景の違いなどから、実に多種多様なチーズがブラジルにはある。 中でも近年、ダントツの人気を誇るのは南西部南東部ミナスジェライス州のカナストラ地方など山地で作られる「ケイジョ・ミナス・アルテザナウ」。しかしかと思えば、北部パラー州のマラジョー島でも約20
0年前からチーズが作られられているが、1930年代からはバッファローの生乳から作るチーズが名物となっている。 そんなブラジルの食文化の多様性について「おいしいブラジル」(スペースシャワーネットワーク)という本にまとめてみたので興味のある方はお手に取っていただけたら幸いだ。大きく分けて6種類もの多様な生物群系(バイオーム)を持つブラジルの食文化は、底なしの魅力にあふれている。 (麻生雅人=文筆業) ーーーーーーーーーーーー アサイーだけじゃない。ブラジルには、まだまだあなたの知らないおいしいものやスーパーフードがたくさん! ●「おいしいブラジル」麻生雅人・著/ソフトカバー144ページ/1728円/発売中
【ライヴ盤・イン・ジャパン】その21
男性フェロモンも緩急自在~アイ・ジョージ
今回は久しぶりの男性シンガー、アイ・ジョージ。英国領香港で、日本人の父とスペイン・ハーフの母の間に生まれ、大連や上海を転々としながら育った、生まれついての多国籍感覚の持ち主である。デビューが1953年(黒田春夫名義)で、アイ・ジョージとしてのデビューは59年。トリオ・ロス・パンチョス日本公演で前座をつとめ、坂本スミ子とともに日本のラテン・ブームを牽引した大ベテランで、70年代に『夜のヒットスタジオ』に出演した際、五木ひろしから「アイ・ジョージ先輩」と紹介されていたのが、印象に残っている。 今回紹介する2枚のライヴ・アルバムのうち、まずは1963年12月にリリースされた『アイ・ジョージ・アット・カーネギーホール』。何しろ日本人で初め
てカーネギーホールに立った男である。その緊張もまったく感じさせない堂々たる熱唱ぶりだが、選曲も「木曽節」「佐渡おけさ」といった日本の民謡と、「グラナダ」「ムーン・リバー」などスタンダードを混在させて、違和感なく聴かせるのも凄い。ことに素晴らしいのは「サンフランシスコの想い出」で、エデ
ィ・メンスン・オーケストラの演奏するビッグ・バンド・ジャズが、途中でボサノバ!の掛け声とともにリズムがボッサに変わるのがカッコ良すぎである。 朗々たる歌いっぷり、抜群の声量、外国語詞の巧さと、彼の魅力がラテンだけではないことが、この盤を一聴すればわかるが、ハリー・ベラフォンテのカヴァ
ーも得意としていただけに「ダニー・ボーイ」の名唱は、ちょっと本家と比べてみたくなるほど。日本のナンバーでは「中国地方の子守唄」が凄い。こんな太い声で聴かされたら夜鳴きしそうなものだが、その質感は温かく柔らかく、透明感すらある。ちなみに、レコードには収録されていないが「湯の町エレジー」や「サマータイム」、もちろん自身の大ヒット「硝子のジョニー」も歌われていた模様。初日はオーケストラのミスや録音の失敗もあったようで、かつ興行的にも失敗だったといわれるが、内容は素晴らしいもの。 もう1枚の『ライブ・ジョージ』はその10年後、1972年にリリースされた大阪厚生年金会館での収録盤。このバックをつとめているJAPANESEとは、リンド&リンダースの加藤
ヒロシがカナダ人ミュージシャンと組んだグループで、「キャラバンPART1」「同PART2」でのジョージと加藤のギターの掛け合いはスリリングで、サンタナ風のオリエンタル・アレンジがこれまたカッコイイ。久々のヒットとなった「自由通りの午後」も、新生面といえるだろう。この曲はのちに佐藤健らとピー
ス・シティーを結成、S-KENを名乗りバンドやソロでも活動した田中唯士のフォーキーな楽曲。個人的にもっともビビッドだったのが、「別れの朝」の原曲「誰かが歌っている」で、齢40にしてあふれ出る男性フェロモンは、尾崎紀世彦の台頭もなんのその、ベテランの気概に満ちた熱唱であった。そのフェロモン系
熱唱ばかりでなく、軽いヴォーカルも聴けるので、コントロール自在というわけか。後半の怒涛のラテン・メドレーまで音楽ジャンルは相変わらず多彩で、時代の風も無理なく取り入れているあたり、生粋のポピュラー・シンガーなのだ。 (馬飼野元宏=「映画秘宝」編集部) ーーーーーーーーーーーー ●『アイ・ジョージ・アット・カーネギーホール』伴奏=エディ・メンスン・オーケストラ/特別参加=古谷哲也(コンガ・ボンゴ)/編曲=中川昌、北野タダオ/音楽監督=古川益雄/裏ジャケにはサックス5本、チェレスタ、シロフォン、大太鼓など各楽器とマイク(15本)の配置がイラストで描かれている。 ●『ライブ・ジョージ』演奏=JAPANESE(FEAT加藤ヒロシ)
気まぐれ園芸の愉しみ
芽吹きに萌え!
三月。まだ冬の寒さが残る庭に、赤や緑色の「ツンツン」が見え始めた。待ちわびた芽吹きの季節がやってきたのだ。 毎年この頃になると無性にワクワク、むずむずする。園芸という趣味は、「どんな花が咲くかな」「どれくらい生長するかな」などなど、期待感が絶えずあるのが特徴だと思うが、芽吹きの時期の期待感は一年のうちでも最上級であろう。 もちろん、開花直前の蕾
を見るときのワクワク感も半端ではないが、「芽吹き」にはかなわない。何しろ三月の庭には土や枝以外に色がほとんどないから、そこに突然現れるわずかな緑色の点々は、必要以上に際立って目に飛び込んでくるのだ。 さらに、この季節は虫がおらず、雑草もない。この点は園芸家にとって重要だ。ほかに気を散らしたり心配事を抱えたりすることなく、ただ純粋に植物の生長を称
えることができる。そんな心のゆとりがあるのはこの時期だけだ。 そして何よりも「芽」そのものの特別なかわいらしさ。これが見る者をむずむずさせる。 何もない土の中からぷっくりと艶やかな赤芽を出す球根類。ぐんと背伸びをするように、くしゃくしゃの葉を広げ、茎を空に向けてするっと伸ばす宿根草。そして木の芽は、黒々とした枝からわずかに緑がかった芽をぴょこっと出す。 バラにいたっては、枝にぷくんとできた赤い吹き出物のようなものがだんだんと大きくなり、そこから突如小さな葉が割って現れる。まるで桃から生まれた桃太郎のような愛らしさだ。 いつの頃からか「萌え」という俗語が広く使われるようになったが、まさに「芽吹きに萌え」。萌えい
づるものたちへの甘酸っぱい感情が心に萌え広がっていく。こうして、庭を眺める私の頭の中は毎年「萌え」でいっぱいになるのであった。 さて今年も、相変わらず萌える心を胸に庭を歩いていると、ほかの植物とはちょっと毛色の異なる芽吹きを発見した。クロッカスである。 数年前に植えた紫色のクロッカスは、花の少ないこの時期に庭を華やいで見せてくれる、貴重な存在だ。私は花をより強調するため、あえて何十個ものクロッカスの球根をぎゅうぎゅうにくっつけて植えた。そのかいもあってか、強烈な橙色のしべが紫の花の塊の中に際立って、この季節には必ず人の足がここで止まるほど、庭のアクセントになった。私も大満足でこの光景を眺めたものだった。
けれども、考えてみたらクロッカスの芽吹きはこの「花」そのものなのである。 クロッカスは、芽よりも葉よりも茎よりも先に、いきなり土の中から花を開かせる。しかも咲き方は派手で、ちょっと節操がない。葉が出てくるのは、花が終わったあとのことで、その葉も芽生えのみずみずしさはなく、いきなりトウが立っている印象だ。 つまり、花としては十分きれいなのだが、こちらが
求める芽吹きのかわいらしさは皆無なのだ。この「芽吹きの異端派」に対して、これまであった愛情は一気に色あせた。 しかし、変わらず咲き誇るこの庭の功労者に、そんな気持ちを抱くのは不当というものだろう。「木の芽どきは気持ちが不安定になるものだから」とみずからに言い訳しつつ、一抹の罪悪感とともにこの気持ちを胸にしまうのだった。 (髙瀬文子=編集者)