ヒトコト劇場 #1[桜井順×古川タク]
手塚治虫の構想ノートや幻のデビュー作が復刻!
すべての漫画ファンに向けてのお年玉です。これまで、その存在は知られていたがずっと封印されていた〝漫画の神様〟手塚治虫の創作ノートやデビュー作と考えられる短編が復刻されるのです。 一年前に出た「創作ノートと初期作品集」の第二弾に当たるもので、創作ノート十一冊とスケッチブック一冊、初期作品二冊をBOXにまとめたもの。今回のノートには、構想だけで作
品にならなかったシノプシスなども多く、前回とは違う発見がみられます。もちろん代表作について描かれたものの方が多くあり、例えば「ジャングル大帝」の初期構想メモでは、レオが船中の檻で生まれるシーンで、なんとそこには2匹の子ライオンがいて双子として書かれています。このようにノートと実際の作品を比べてゆけば、優に半年は楽しめると思います。実際、解説小冊子に寄稿している
黒沢哲哉は「ツタンカーメン王の秘宝発掘をするような興奮」をもってノートを見てしまう、と書いています。ちなみに竹内オサム・中野晴行の両評論家の論考もあります。 また、ノートのところどころに見られるメモを発見するのも楽しみの一つでしょう。医学関連の講義メモ、誰かの似顔絵、当時住んでいた並木ハウスの家賃やアシスタントの原稿料のメモなど、探してゆくといろいろあります。 初期作品は十四歳のときに描かれたもので、初めて本になります。このBOXの目玉といえるでしょう。「オヤヂ探偵」と「バリトン工場事件」というタイトルですが、特に「オヤヂ探偵」は初めてペンとインクを使って描いた作品。デビュー作と考えられるので、とても貴重なものです。ま
たこれは、後に主要キャラになる「ヒゲオヤジ」の初登場作品でもあるのです。 前回のノートには一から十までの番号を付けました。今回は続きということで十一から二十二までの番号を付けてあります。ノートは全部で七十五冊あるので、来年は二十三からの番号を付けたノートのBOX3を出したいですね。 本BOXで天才・手塚の若い息吹に触れる幸せを味わっていただけたらと思います。十年後には、これらのノートは、日本文化の宝としてしかるべき美術館・博物館に展示されていることでしょう。 (川村寛=小学館クリエイティブ・編集者) * 版元&手塚プロダクションのご厚意により内容の一部を先行公開!(画像はクリックで拡大します)▼▼
「オヤヂ探偵」©手塚プロダクション
「バリトン工場事件」©手塚プロダクション
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てりとりぃアーカイヴ(初出:月刊てりとりぃ#12 平成23年2月26日号)
気まぐれ園芸の愉しみ 冬の木をめでる
真冬になると、外を歩きたくてたまらなくなる。 出不精だし、特に体を動かすことが好きなたちではないのだがやめられない。なぜなら、これが私の「冬の園芸活動」だからだ。 まっとうな園芸家たちは、長い冬をどのように過ごすのだろうか。 意欲的な人は、翌春に備えて土作りに打ち込むだろう。比較的暖かい地域に住む人なら、少しでも寒さに強い草花を植えて花壇の寂しさをまぎらそうとするかもしれない。だが、最も多いのは、種苗会社のカタログを見ながら春の花壇を夢見て、ひたすら「脳内園芸」に浸る人たちだと思う。 確かに一月、二月ともなると、さすがに寒さが身にしみて、春を待ちわびる気持ちが強まるのは当然だ。まして園芸家ならば、咲き乱れる花の妄想で頭がいっ
ぱいになっても無理はない。 けれども冬には冬なりのよさがある。現実逃避してひたすら花を待つよりも、今ある植物の姿を見つめることこそ、園芸家がすべきことではないか? そこで始めたのが、冒頭に記した「歩く」園芸活動だ。 歩くルートは、なるべく落葉樹の多い公園や街路を選ぶ。葉を落とした冬の木々をめでるためだ。 よく見ると、木の形は実にさまざまだ。いぶし銀のような光沢のある幹を横いっぱいに広げる桜。レース模様のように緻密に枝を広げながら、中心の幹は空へと真っすぐに伸びるポプラ。 落葉した木々は潔い。冬になると衣服を何枚も着こむ人間とは違い、木はすべてを脱ぎ去り寒さに身をさらすのだ。裸になった木は、みずからの生きざまを露わにする。枝ぶりを目で追う
と、木が障害物と戦いながらどちらへ枝を伸ばしたがったのか、その「意思」がはっきりと形を成していることに気付かされる。 園芸をやっていると、植物をつい自分の思い通りに育てようとばかり考えてしまいがちだ。「こんな枝は邪魔だ」と思うと、伐られるほうの痛みも想像せずにバッサリと伐り落とす。生々しい冬の木の姿は、見る者のそんな愚鈍な心をも露呈させてしまうようだ。冬
とは、すべてをそぎ落として本質を露わにする季節なのかもしれない。 ふと木を見上げれば、枝の先端が赤く色づき始めている。もう新芽を出す準備を始めているのだ。 今年も多くの植物を傷つけてしまうだろう。けれども、春が来て花が咲けばそんなことも忘れてしまうのだろうか。せめて植物の「意思」に思いを馳せたいものだが。 (髙瀬文子=フリー編集者)●年々枝ぶりが迫力を増している近所の柿の木。