てりとりぃ放送局アーカイヴ(2012年1月27日〜2012年2月10日分)

 1930年代から60年代にかけて、多くのハリウッド映画音楽を制作したディミトリ・ティオムキン(Dimitri Tiomkin 1894-1979)という旧ロシア出身の作曲家がいます。『不思議の国のアリス』(33年)、『失われた地平線』(37年)、『遊星よりの物体X 』(51年)、『真昼の決闘』(52年)、『ダイヤルMを廻せ!』(54年)、『OK牧場の決斗』(57年)ほか膨大なヒット作を持つ作曲家さんですが、今回は「映画音楽にはまったく無縁」という方でも知ってる人も多いかも、と思われるバラードのご紹介です。近年の有名どころではジョージ・マイケル、ランディー・クロフォード、バーブラ・ストライザンドといった人も取り上げた、そんな名曲「WILD IS THE WIND」のバリエーションをいくつか選んでみました。(2012年1月27日・2月3日更新分/選・文=大久)


Johnny Mathis / Wild Is The Wind (1957)

 『WILD IS THE WIND』(邦題:野生の息吹き)という映画が制作されたのは1957年。そのメインテーマとして、この曲はティオムキン氏によって作られました。歌うのはこの年華々しいデビューを飾ったジョニー・マティス。楽曲の美しさもさることながら、当時22歳の彼の歌は素晴らしく延びやかでソウルフルですね。この年ジョニー・マティスは同曲でオスカーにノミネート。余談ですが、マティスは1982年に自らがゲイであることを公言しています。



Nina Simone / Wild Is The Wind (1959)

 黒人公民権運動、その60年代の牽引者のひとりでもあったジャズ・シンガー、ニーナ・シモン。その政治的スタンスに注目が集まる事も多いですが、もちろん彼女は「LOVE ME OR LEAVE ME」(58年)のヒット以降常に最高に「カッコいい」ジャズ・シンガーであったことは言うまでもありません。59年のライヴ盤『AT TOWN HALL』でカヴァーして以来、「WILD IS THE WIND」は彼女の定番曲となり、後に同名アルバムも制作されました。



Dave Pike Quartet / Wild Is The Wind (1961)

 ニーナ・シモンのバージョン以降、ジャズのスタンダードの1曲となった「WILD IS THE WIND」。こちらはメチャクチャ豪華なミュージシャンによるセッションで生まれたテイク。ヴィブラフォン奏者のデイヴ・パイクがカルテット名義で残した61年作ですが、ビル・エヴァンス(P)、ハービー・ルイス(B)、ウォルター・パーキンス(DR)というグループでの演奏。ヴァイブが生み出す「自然トレモロ効果」ってスゴいですよね。



Patty Waters / Wild Is The Wind (1966)

 パティー・ウォータースは初期フリー・ジャズのシーンで活躍したまさしくフリーキーなボーカル・パフォーマーで、一説ではオノヨーコ氏にも影響を与えた人、と言われています。ベラボウにレアだったことで有名な彼女の作品は近年復刻版が出たりしてジャズ系レコード屋さんをにぎわせていますが、こちらは彼女の66年のライヴ録音版カヴァー。サイケデリックでフリーキー、なので、当然原型を破壊しつくした(笑)アレンジになってます。



Ahmad Jamal / Wild Is The Wind (1968)

 その才能に惚れ込んだマイルス・デイヴィスがバンドにシツコク誘ったものの、その帝王のプロポーズを蹴った、なんてことでも知られるアーマッド・ジャマル(P)。この68年録音はカデットに残されたもので、プロデュースはもちろんリチャード・エヴァンス、そして歌入り、という一風変わったアルバム。なんといってもフラワー&サイケデリックというこの時期のカデット独特の空気感がバリバリで、もはや完全にソフトロックの趣きを携えた「エイジ・オブ・アクエリアス」なカヴァー。



David Bowie / Wild Is The Wind (1976)

 多分世界で一番有名なこの曲のバージョンは、デヴィッド・ボウイによるこのカヴァーでしょう。録音されたのは75年10月で、翌年1月発表。ボウイは60年代の終わりにあの「マイ・ウェイ」の英語化権をめぐってポール・アンカと権利争奪戦をしちゃったような(註・結局はアンカが勝ち、Fシナトラに歌わせて大ヒット)バラード・フェチでもあるので、この選曲も「おお、なるほど」と膝を叩いてしまうチョイスですよね。昨今「絶賛引退中」と報道されたボウイ氏ですが、今のところ彼が最後に人前で歌ったのは、2006年11月9日、チャリティーライヴ「BLACK BALL 2006」にてこの「WILD IS THE WIND」を披露したものでした。



Inga Liljeström / Wild Is The Wind (2006)

 すいません。この人の名前読めません(笑)。文献によれば「インガ・リリエストローム」さんだそうです。歌手ですが、いわゆる舞台パフォーマーとして活躍している方で、オーストラリア生まれ、現在はフランスで活動されているとのこと。エクスペリメンタル/オルタナティヴ/トリップホップ/クラブ・ジャズを基調にした作品を残していて、ビョーク等と比較されることが多いんだそうです。こちらは彼女の3枚目のアルバム『SPRAWLING FAWNS』に収録された「野生の息吹き」のカヴァー。不思議系、ですよね。



Román / Wild Is The Wind (unreleased)

 最後に当方の友人を紹介する、というのも大変恐縮で気が引けますが(笑)、スペイン・バルセロナ在住のアーティストROMANによる同曲の弾き語りカヴァーです。このカヴァーは彼のソロアルバム用に録音されましたが結局ボツにした未発表曲。なぜボツにしたかというと、その後別に新曲を書き下ろし、そちらの曲にあのマイク・ガーソン(ボウイ関係で有名なジャズ・ピアニスト)が参加してくれることになったからそっちをイキにした、という理由でした。


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 アルゼンチン出身の作曲家/編曲家でベブー・シルヴェッティという人がいます。日本では彼の名は圧倒的に「あのサルソウル・ディスコ/ダンス・クラシック“SPRING RAIN”を生んだ人」ということで認知されていると思いますが、実際はもっとラテン系イージーリスニング音楽のコンダクターとして広く活動する人で、2003年にはグラミーを獲得しています。その直後、2003年7月に59歳という若さで彼は亡くなりましたが、そんな彼の「雨シリーズ」をご紹介。(2012年2月10日更新分/選・文=大久)


Bebu Silvetti / Lluvia de Verano (Summer Rain)

 21歳の時にスペインに移住しプロのピアニストとして活動を始めたシルヴェッティ。HISPAVOXというスペインのレーベルに彼の作品が多く残されているのですが、以下は1976年にそのHISPAVOXに吹き込まれた彼のリーダー作『EL MUNDO SIN PALABRAS DE BEBU SILVETTI』に収録されたインスト・ナンバーです。「LLUVIA DE VERANO(=SUMMER RAIN)」。タイトルもそうですが、イントロのピアノで「オッ」と思われた方も多いかと思います。



Bebu Silvetti / Lluvia de Otoño (Autumn Rain)

 こちらは「秋の雨」。同じく76年のアルバム『EL MUNDO SIN〜』収録曲です。このアルバムはスペインで制作・発表された彼のデビュー作になりますが、同76年、アメリカのサルソウル・レーベルがこのアルバムを見出し、エンジニアのトム・モウルトンによりリミックスされ、『WORLD WITHOUT WORDS』というタイトルに改題され、ジャケも変更されて発売されています。



Bebu Silvetti / Lluvia de Invierno (Winter Rain)

 その続編となるこちらは「冬の雨」。「秋」と同じテーマのリアレンジ作品、ともいえると思います。生涯で600曲以上を作曲、200以上のテレビ/映画音楽を制作した、という彼は、晩年は米フロリダに移住します。蛇足ではありますが、ベブー・シルヴェッティの娘さんはアンナ・シルヴェッティという人で、80年代以降ずっとアメリカで女優さんとして活躍されている方だそうです。



Bebu Silvetti / Lluvia de Primavera (Spring Rain)

 そして彼の代表曲となった「SPRING RAIN」。電気グルーブ「シャングリラ」でのサンプル使用を筆頭に、最も世界に親しまれているシルヴェッティ作品であることは間違いありません。右の写真はスペイン盤シングルのジャケですが、こちらの6分弱のバージョンはアメリカ発売に際してサルソウルのトム・モウルトンが再編成したロング・バージョン。この長尺バージョンは77年の編集盤『THE SENSUOUS SOUND OF SILVETTI』にも収録されました。



Bebu Silvetti / Lluvia de Cocos (Coconut Rain)

 最後は「ココナッツ・レイン」。77年の編集盤『THE SENSUOUS SOUND〜』収録の1曲で、ラテン・ムードたっぷりのライトなナンバー。全くの余談ですが、ベブー・シルヴェッティが他界したその前日、2003年7月4日にはバリー・ホワイトが逝去しています。同い年(1944年)生まれの、シンフォニック・ディスコ・ミュージックの巨頭が2人同時に鬼籍に入るというのは、何かの偶然でしょうか。


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