[桜井順×古川タク]
ウチの本棚
[不定期リレー・コラム]第2回:馬場正道の本棚
「ウチの本棚」第1回目の大久達朗さんのように、ぼくの家にも本棚がない。 同じ30センチ四方のマス目がいくつもあり、そこにレコードが収まっている。そのマス目のいくつかに本も収まっている。もちろん本ぴったりのサイズではないので、横置き、縦置きなどばらばらに、パズルのように入っているのだ。 その中でもお気に入りの
本を。 まず、偶然実家でみつけた「医家芸術」という雑誌。医者だけが集まって作った同人誌なのだが、今ではもう、通巻600号を超えている。その、座談会アンコール特集を読んだときは衝撃だった。そこには、有名人が医者に囲まれて話をしているのだが、その内容が面白い。植草甚一と、幻覚薬、ドラッグについて話を
していたり、星新一と夢について話しをしていたり。それもそのはず、初代編集者は、あの式場隆三郎だった。いてもたってもいられず、ぼくは事務所を訪ねて、第1号から順に読ませてもらった。そこでもまた衝撃。その、同人誌の挿絵を描いていたのは、棟方志功、それに、山下清だったのだ。江戸川乱歩、土門拳、扇千景、油井正一。まだまだここには書ききれない。式場隆三郎の原稿もまたすごい。ゴッホの研究をしていた彼は、わざわざゴッホを診ていた医者のところまで取材に言っていた。そこには、ゴッホの耳は、どこから、どの深さまで、どの角度から入っていったか、など、事細かに記されている。この雑誌は、日本医家芸術クラブの会員に入っていなきゃもらえない。当時、医者は税金を払わなくてもよか
った。ものすごく金持ちだった。だからこんなにマニアックでお金をかけた本が作れたのかもしれない。 他に衝撃を受けた本、それはフィリピン、マニラで見つけた古い雑誌だった。裕福ではない国の、触ると崩れてしまいそうな悪い紙で出来た雑誌。それはまるで、アジア人だけで作った偽者のアメリカのようだった。60年代のアメリカの雑誌のようなフォント、デザイン、カラー。そこに書い
てある文字ももちろん英語。なのに、そこに写っている人はみんなフィリピン人だったのには驚いた。土臭いような、そこがまた格好よく思えた。ウィークリー・ウーマンズ・マガジン。ミラー。ジ・エイジア・マガジン。と、いろいろな雑誌がある中、ぼくのオススメは、サンディ・タイムス・マガジンだ。骨董屋で、すべて1冊10円くらいで買える。 (馬場正道=渉猟家)
てりとりぃアーカイヴ(初出:月刊てりとりぃ#17 平成23年7月23日号)
アキラの草紙[ニッチモサッチモ]
作詞のオーダーはディレクターから届く。それがレコード会社の人であったり、音楽出版社の人であったり、歌手のプロダクションの人であったり様々ではあるものの、とにかくディレクターから電話がくる。では打合せを、となって話を聞くことになる。 「彼女(歌手)の世界はシカジカ。このところずっ
とカクカクみたいな作品を歌ってきたが、ここでがらりと変えたい」「どのように?」「それがわからないから来てもらったのよ」みたいなやりとりがコーヒーのみながら続く。 最近の音楽業界では作家とディレクターが一対一で話し合い歌を作っていくスタイルはすっかり影をひそめ、ディレクターはやみく
もに作品を集め、作家はわけもわからず提出する、というコンペ状況が当たり前みたいだが、私がせっせと仕事をしていたころは「話し合い制作」が普通に存在していた。 私はこの話し合いが好きで、ディレクターの言葉の断片からその人が何を欲しているのかを察知する術もおぼえていく。 このあたりは私がCMソングの世界に長くいたことと関係がある。広告会社、映像会社、音楽制作会社、そしてスポンサー。関係者の数は多く、みんなが勝手な注文をつける。注文即ち縛り。縛りを抜け出た先に快感があった。おいおい。 フォーリーブスの「ブルドッグ」も打合せから誕生した。都倉俊一さんの曲ができたからとの連絡でCBSソニーに。会議室のテーブルには関係者とカセット
テープと都倉さん直筆の譜面。「じゃ、聞いてみましょう」と酒井政利プロデューサーの開会宣言。曲が流れる。サビにくると都倉さんがヨコモジで歌っている。「えっヨコモジで書くのか?俺」と焦燥感多少。 曲が終わる。が、誰も何も言わない。やむをえず私が口火を切る「酒井さん、この曲のテーマは、例えばなんでしょうかねえ」。酒井さん即答「そうね。ブルドッグね」。がぁーーん!聞かなきゃよかった。 なんでこの曲がブルドッグなんだ、なんでフォーリーブスがブルドッグにならなきゃいけないんだ、フォーリーブスならチワワかシェパードだろうが、と思っても後の祭り。酒井さんのお言葉は絶対である。かくして私はニッチモサッチモドウニモ状態に陥った。 (伊藤アキラ=作詞家)
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