ディスク・コレクション『日本の女性アイドル』発売によせて
最近の例で言えば〝ももち〟ことBerryz工房の嗣永桃子は、そのアナーキーなブリッコ・キャラと徹底した演技力で大人気ですが、彼女の場合は「そのキャラが笑える」という前提の上に立つ人気/支持であることは否めません。既にデビュー8年目の〝ももち〟ですが、彼女の本名をソラで言える人は、今一体どれ程いるのでしょうか? 日本のアイドル文化、とりわけ女性アイドルという
文化は、ひと際異彩を放つものです。そんなことは昔のアイドルの動画*をチラっとみただけで誰にでも即座にわかることです。異常です。「一体コレは何なのだ?」と外国人に聞かれた場合、ものすごく説明に困る事象でもあります。 9月の終わりにディスクガイド『日本の女性アイドル』がシンコーミュージックより発売になります。アイドルを音盤で紹介する本なわけですが、今回は70〜
90年代にかけて登場した女性アイドルを、1アーティスト1枚ずつ、ベスト盤ばかり(註・例外あり)でズラリと紹介、五〇音順で掲載すれば〝日本女性アイドル図鑑〟になるんじゃね?という企画意図で編纂したものです。そのためアイドル本で尊重される「マニア目線とデータ主義」は今回あえて重視しませんでした。 なぜ70〜90年代なのか、には理由があります。詳しくはあとがきにて当方の考えを書きましたが、簡単に言えば「ウンコしないアイドルか、ウンコするアイドルか」で線引きが出来ると思ったからです。その点で菊地桃子*と〝ももち〟には絶対的な違いがあります。それゆえ本書はCD時代以降のアイドルや現在活躍するアイドルは掲載されていません。つまり「アイドルがウンコしなかった時代」
を紹介する本でもあります。当初本書の帯用に「華麗なるオッサンホイホイ」という文言を考えてみたのですが、当然ながら版元から却下されました(笑)。 さて、実は本書はその殆どを「てりとりぃ」関係者の寄稿で構成した本でもあります。キャンディーズの原稿を担当した高島幹雄さんをはじめ、安田謙一さん、川口法博さん、馬飼野元宏さんも大量のレビューを担当。また鈴木啓之さんには本書の企画から関わっていただき、沢山の助言、資料、原稿をご提供いただきました。原稿を頂いた直後に安田謙一さんからは「ここ数日、アイドル原稿脳だったので、ちょっと考えたくない、というか、正直、なんだか、よくわからなくなってしまったので」と添えて、これ以上の原稿は勘弁してくれという旨の連絡をいた
だきました。おそらく安田さん以外の執筆者の皆さんも同様かと推測します。本書は執筆者の方々の、熱意+愛情+男気だけで構成された、と言っても過言ではありません。感謝です。 「MUGO・ん…色っぽい」とか、「ちょっとエッチな美新人娘(ミルキーっこ)」*などという、今考えると信じられないボキャブラリーが闊歩した異常な世界。いえ、アイドルという存在が既に異常なのだ、という事を探ってみたのが本書です。ぜひお手に取っていただければ幸いです。 「想い出に眼を伏せて、夏から秋への不思議な旅です」*。この夏は丸々本書の作業で費やし、さすがに今大きな疲労感を覚えてます。もう秋スね。ちょっとどっか遠出したい気分です。ポッキー片手に(笑)。 (大久達朗=本書監修者)*「イメージが大切よ〜」: 小泉今日子「なんてったってアイドル」(85年)の一節。 *動画: 参照リンクは、歌番組で松田聖子が歌詞を忘れた時の動画(84年)。その表情に悶絶する人を今も大量生産する一方、多数の海外ユーザーから「理解不能」というコメントも。 *菊地桃子: アイドルはウンコしない、という考え方の極北に位置した歌手。 *「MUGO・ん… 色っぽい」は工藤静香のシングル曲(88年)のタイトル。「ちょっとエッチな〜」は82年デビュー時の中森明菜のキャッチフレーズ。 *「想い出に眼を〜」: 松田聖子「風立ちぬ」(81年)の一節。同曲は松田聖子自身が出演したグリコ「ポッキー」のCM曲。
ミシェル・ルグラン来日記念特集
ミシェル・ルグランと私【4】
『おもいでの夏』を観たのは中学生の時。中2か中3か忘れてしまったが、場所は早稲田松竹で、たしか「青い体験」シリーズのどれかと2本立てだった記憶がある。そろそろ映画を名画座や二番館に、1人で観に行くようになった年頃。 『おもいでの夏』は、そんなに大した話ではない。でも中坊の僕には忘れがた
い映画だった。1942年。夏休みに避暑地の島へ一家そろって過ごす少年ハーミーが出会った美しい人妻ドロシー。悶絶するほど甘酸っぱい思春期の少年の、年上女性への恋慕。当時、映画少年の通過儀礼でもある「年上の人モノ」で、同時上映の『青い体験』シリーズもそうだったし、『青い珊瑚礁』とか『個人教授』
とか、映画好きの男子なら一度は観ているはずの「思春期映画」の1つでもある。ここで「憧れのお姉さん」ドロシーを演じているのはジェニファー・オニール。きれいでした。 この手の映画は何本も観ているはずなのに、『おもいでの夏』が忘れがたいのは、ミシェル・ルグランのテーマソングのせいだ。マイナーで始まりメジャーに転調し上がりながら、ドラマティックな転調があって、その後も転調を繰り返し下降していく独特のメロディー。それ以上に、1つのモチーフを延々と繰り返すあの作曲スタイル。未だにあの曲を聴くたびにジェニファー・オニールの笑顔や美脚が浮かぶのだから凄い刷り込み効果を発揮している。全編通して流れていたような記憶があったが、あらためて見直すと、音楽自体そ
れほど使われてはいない。ただし、ストーリーの印象深いシーンでは必ず流れる。主人公ハーミーが最初にドロシーの姿を観るシーン。彼女の家を初めて知った時。それ以降、しばらく音楽はかからず、後半になって彼女の家を訪ねたハーミーが、夫の戦死の報告を受け絶望するドロシーの姿をみて、慰めようもないその時、ドロシーがかけたレコードにあわせ泣きながらダンスを踊る2人。ここではテナーサックスによるワルツアレンジで流れる。2人はそのあと一夜を迎えクライマックスとなるが、まさにその
全くの正反対で、ハーモニーからフューグ(フーガの仏語読み)の書式を徹底的に叩きこまれるのがコンセルヴァトワールなのです。例えば『ロバと王女』の音楽を聴いてみて下さい。コーラスなんかはテンションのきいた現代的なハーモニーなのだけれど、バロック様式(ようするにバッハ)
を借りてフューグを書いています。これなんか聴くとルグランはコンセルヴァトワールの卒業生なんだなぁと思います。 また、彼の才能はクラシック作曲家でいうとモーツァルトのような流麗な旋律を書く天才肌なタイプではないかと思います。小さなモティーフを組み上げて確
固としたシンフォニーをつくるベートーヴェンのようなタイプではないことはわかっていただけると思う。作品の全てではないけれど、私はモーツァルトを聞くとオレンジ色のような暖色系のイメージがあるのです。具体的には映画『アマデウス』でも描かれ最後は未完に終わった『レクイエム(死者の為のミサ曲)』の第1曲目。題名のとおりニ短調の荘厳な響きで始まり終始厳しい曲調なのだが15小節から25小節ぐらいのセクション、歌詞「たえざる光」に対応して明るく変ロ長調になるのです。しかし単に長調に転調するくらいは他の作曲家もすること。変ロ長調の響き中17小節目ソプラノがG→Fと歌い、その後同じ音型(Es→D)でオケがエコーとして繰り返すのだが、その箇所が一瞬ト短調の進行になるのだ。
しかもその次の小節の2拍目ソプラノはDesの音を歌い(変ロ短調第3度の音、マイナーなキーを決める重要な音。ポピュラーの人から見ればこの音はブルーノートだろうか)一瞬短調の響きが鳴りその後変ロ長調の主和音に達するのである。つまり全体はニ短調の響きが支配している曲調のなかで、あるセクションは変ロ長調の明るい響きが鳴り、そしてそのなかでも更に短調の響きが鳴るという複雑な進行(聴いている分には
スッと聴けてしまうのが天才的というべきか)。そしてこのような要素はルグランの音楽にもある様な気がするのだ。 ルグランのスコアを持ってないので感覚的にしか言えないのだが、例えば『ロシュフォールの恋人たち』の「双子姉妹の歌」。ルグラン自身は軽快で楽しい曲作りを目指したようで、実際そうなのだが、私がこの曲に魅かれるのは一瞬垣間見せる悲しい音の素振りなのだ。それはモーツァルトの音楽の重要な要素と重なる部分があるように思う。「マイナーな響きのなかに入りこむ暖かい音の感触、明るい響きのなかにも憂いを感じる音の動き」。これこそがルグラン音楽の魅力のひとつだと思うのだがいかがだろうか? (軽部智男=「ビブリオテック」スタッフ)
アメリカのジャズに対する人一倍のコダワリと入れ込みを常々口にし、ジャズといえばニューオリンズ派生のものしか認めない、というヒネクレもの、ボリス・ヴィアン。彼は生前アメリカの地を踏むことは一度もありませんでしたが、当時演奏旅行でアメリカを訪れる機会のあったミシェル・ルグラン等から〝アメリカ音楽のトレンド〟を教えて貰っていたそうです。フランスに50年代のロックンロール・レコードをアメリ
カから持ち込んだのがミシェル・ルグランだった、というのはよく知られているところですが、もしヴィアンが「ねえミシェル、ちょっとジョニー・バーネット・トリオのレコード探してきてよ」とか言ってたら、なんて想像するだけでも楽しくなります。 そんなヴィアンが(ウジェーヌ・ミヌーという変名を用いて)スリーヴ裏のライナーノーツを担当した、ミシェル・ルグランの57年発表のEP盤『ジャズ・パノラマ』。ヴィアンいわく「ジャズ史の偉大なる瞬間の数々から着想を得た本作は、忠実な再現による、要約されたジャズの〝響き〟の小史である」。同盤には「聖者が街にやってくる」「ムーンライト・セレナー
デ」といった、それこそヴィアンが好きそうな曲が入っていることにもニヤリとしてしまいます。 また、同57年にルグランはアメリカで『セ・マニフィーク』という12曲入りコンピ盤を発売しています。美女ジャケとしても有名ですが、本作がレコード店の壁を飾るに相応しいのは、
見た目だけではなくその中身も十分な理由に上げられます。50年代にルグランがビッグ・バンドを率いて残したジャズ・スタンダード曲は相当な数になりますが、アメリカ向けに編纂された本作は「フレンチ・カンカン」「ビギン・ザ・ビギン」「アンフォゲッタブル」といった曲が並びます。40年
代のビッグ・バンド・スタイルを踏襲し、どこか熱気と陽気を同時に感じさせる、主旋律がまだジャズの主役であった時代のアレンジが楽しめます。 翌58年、ルグランはNYでマイルス・デイヴィス、ビル・エヴァンス、ジョン・コルトレーン等と名作『ルグラン・ジャズ』を制作します。モードというジャズ革命の前夜に残されたそのアルバムは、既にバップ末期の作風で、ブルースの香り漂うスリリングさに溢れているのはご承知の通りでしょう。 ボリス・ヴィアンが『ルグラン・ジャズ』をどう評価したか、は伝えられていません。まさか「こいつらはアメリカ人になったつもりなんだろうか? 馬鹿にしやがって*」等とは言わないと思うのですが。 (大久達朗=デザイナー)*59年6月、39歳で急逝したヴィアンの最期の言葉。映画化された自著『墓に唾をかけろ』の試写を見ての感想だった。
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