[桜井順×古川タク]
随想 高円寺阿波踊り
そのCDのジャケットには、私の父が写っていた。白塗りの顔、はだけた浴衣、隈取にうっすらと浮かぶ笑み。前方に突き出された右手の構えから、その佇まいはどこか武道家のようでもある。写真そのものに見覚えはなく、過ぎるほどの厚化粧で顔を覆われてはいたが、それが自分の父の姿で
あることはすぐに分かった。『ぞめき壱 高円寺阿波おどり』。それがそのCDのタイトルだ。高円寺阿波踊りに魅せられたワールド・ミュージックの大家、久保田麻琴が、高円寺に在する11連のお囃子をスタジオに招いて録音した作品だという。ジャケットに使われた写真は高円寺阿波踊り黎明期、
昭和33年頃のワンショットと思しい。街の青年部が立ち上げたこの祭りの中心人物のひとりが、誰あろう私の父であった。このCDを発見したのは二〇一〇年八月の渋谷HMV店内の試聴機。20年の歴史にピリオドを打つ閉店イヴェント最中でのことだった。驚いたのは、そのフロアに従事する全ての店員が私の父の写真をネックホルダーに入れていたこと。聞けば「私たちみんなこのアルバムが大好きなんです」という返事。15年前に鬼籍に入った父も、よもや自分の若き日の一葉がこんな形で流布されるとは思わなかったことだろう。 30余人の踊り子が、恥ずかしさの余り競歩の如く商店街を走り抜けたという一幕からスタートしたこの祭りも今年で57回目を迎え、今や一万人の踊り子、一〇〇万人の観客を集めるとい
うのだから隔世の感がある。父が連長を務めていたこともあり、私も中学の頃から鳴り物としてこれに参加。夏の想い出と言えば阿波踊りを抜きには語れない。練習に明け暮れた夏休み。本場徳島への研修旅行。年上の女性連員に仄かな恋心を抱いたのも今となってはいい想い出だ。高円寺本番当日、浴衣に着替えて行きつけの蕎麦屋に行くと、由利徹氏がお決まりのように日本酒をちびちびとやっていて「オイ、帯はもっと腰にしめんだぞ」などと叱咤されたこともある。氏はこの
祭りを毎年楽しみにしていたらしい。余談だが、阿波踊りに熱を入れていた年少者が芸能、音楽界へ進む例も多く、NHK連ドラ主演ということでは『あまちゃん』の大先輩にあたる熊谷真美、昨今は脱原発活動に勤しむ松田美由紀の熊谷姉妹が有名だ。彼女たちは純情商店街、いろは連の出身だが、一方、年代的に全く面識はないものの、私の所属していた飛鳥連にはシンガー・ソングライターの大澤誉志幸がいた。阿波踊りのリズムは果たして彼の作風に影響を与えたか否か。
今年もまた、高円寺に夏の祭りがやってくる。第57回・高円寺東京阿波踊りは8月24日、25日、両日とも17時~20時までの開催。東日本大震災被災、放射能問題に揺れる福島県南相馬の方たちも、踊り手として例年通り夏のひと時を姉妹都市の杉並・高円寺で過ごすはずだ。数々の想いを乗せ、さて、今年はどんな名場面が生まれることだろう。私も観客として楽しむつもりだ。 (関根敏也=リヴル・アンシャンテ) ーーーーーーーーーーーー ■「第五七回・東京高円寺阿波踊り」8月24日・25日/午後5時から午後8時(両日)/小雨決行/JR「高円寺」駅、東京メトロ・丸ノ内線「新高円寺」駅周辺商店街及び高南通りの8演舞場で開催/公式HPはこちら。
常盤新平「銀座旅日記」
先日、文庫で買った常盤新平氏の「銀座旅日記」を読んでいる。今年の1月に惜しくも亡くなられたのだが、久しぶりに氏の著作を読みたくなったのだ。というのも、彼の著作は一時期よく読んでいた。仙台にいる親父と氏は小学校の時の同級生で、当時から最近に至るまで親交があり、氏の著作は毎回、親父に送られていた。直木賞作「遠いアメリカ」、「ニューヨーカーの時代」、アーウィン・ショーの「夏服を着た女た
ち」等は借りて読んでいた。この5月にお茶の水・山の上ホテルで行われた氏の偲ぶ会にも親父は出席し、子供の頃の思い出話を語ったそうだ。 この「銀座旅日記」を見て、思い出すのは氏もファンであった「池波正太郎の銀座日記」だ。装幀や各章の冒頭にイラストが掲載されている点に始まり、日記の中で書かれている鍼や猫の話などは、恐らく池波氏へのオマージュ的意味合いもあると思う。どちらも、
銀座を中心とする日々の活動と交友録が記録されており、特に飲食に関する情報は、思わず追体験したい気持ちになる。氏の日記の中で何度も登場するお店の名前は覚えてしまった。握りも出前もするおばあさんのいる浦安「美佐古鮨」、新宿百人町の小料理屋「くろがね」、かつ丼を絶賛している三軒茶屋「かつ藤」など。残念ながら、既に閉店している所も多いが、営業していればすぐにでも訪れたい店ばかりだ。 そして、感服するのはその行動範囲の広さである。常盤氏は町田市に在住していたので、仮に浦安に行くには少なくとも1時間半はかかるのではないか。そして浦安だけでなく、藤沢、鎌倉、川越などフットワークも軽く、日々出かけている。都内近辺をうろうろしている私には見習わなけれ
ばならないところだ。それに、氏が「旅日記」と銘打ったのは、町田から銀座までの決して近くはない距離を表しているからだろう。 最後に、この日記を読んで、銀座は氏にとって想い出深い地であるという事がわかった。 編集者時代に洋書をイエナで買い求めたり、酒場での交友があった場所というだけではない。氏の人生に大きく関わった二人の女性と出会った場所が銀座なのだ。その地だからこそ、氏は銀座に出かけていったのである。 (星 健一=会社員) ーーーーーーーーーーーー ●常盤新平「銀座旅日記」馴染みの喫茶店で珈琲と読書をたのしみ、黄昏の酒場に人生の哀歓をみる。散歩と下町が大好きな新平さんの風まかせ銀座旅歩き。文庫オリジナル(ちくま文庫)
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