10月25日、愛育社より発売
スタンダードと各界の著名人との交友録を綴った高平哲郎のエッセイに「あなたの想い出」という本がある。名曲とエッセイの素晴らしいコラボレーション作品として、たまに読み返すのだが、中でも「煙が目にしみる」というエッセイが印象に残っている。ヘビースモーカーだった勝新太郎との晩年を回想しているのだが、この曲の解説で、同曲はプラターズのオリジナルではなく、実はジェローム・カーン作曲のミュージ
カルである事を知った。その各章で楽曲解説を書いているのが、和田誠である。 そのスタンダード解説の源流とも言える彼の著書が「いつか聴いた歌」だ。選りすぐったスタンダード100曲をイラストレーションと共に紹介した同書は、77年に刊行後、96年に文庫化されるも長らく入手困難になっていたが、この度、増補改訂版として復刊されることになった。 これは今年2月に発売されたCD「いつか聴いた歌
~スタンダード・ラブ・ソング」共々、本誌編集長のプロデュースによるもので、改訂版では、同CDに収録された楽曲の中から30曲がセレクトされ、その楽曲解説をいわば〈ボーナストラック〉として追加している。 しかし、それらを加えても掲載された楽曲は130曲。実は、「ブルー・ムーン」「きみ微笑めば」「星に願いを」など、まだまだ未掲載の名曲は数多い。さらに言えば、先のCDに掲載された曲の中で何故か3曲だけが、増補改訂版から洩れている。少なくとも、これは入れて欲しかった(それがどの曲かは、是非本書とCDを見比べて見つけて下さい)。 リンダ・ロンシュタットがネルソン・リドルとスタンダード・アルバムを制作した時に、「スタンダードは自分の思考や感情を表現
できる事を痛感した」と発言している。時代を超えて、万人に共有する魅力を持っている楽曲がスタンダードであり、それが数々の唄い手を魅了すると共に、我々リスナーにも新たな魅力を気付かせてくれるのだ。 ※ 最後に、嬉しいお知らせ。そのスタンダードの魅力を体験できるイベント「いつか聴いた歌 トーク&ライブ」が、11月23日(土)に池袋コミュニティ・カレッジにて行われる。出演は和
田誠(構成&トーク)、島田歌穂(ヴォーカル)、江草啓太(ピアノ)、早川哲也(ベース)の4人。作・編曲家でピアニストの島健による音楽監修のもと、和田誠が語るスタンダードの魅力を五感で体感できる絶好の機会。是非とも、足を運んで頂きたい。 (星 健一=会社員) ーーーーーーーーーーーー ●「いつか聴いた歌 トーク&ライブ」についての詳細はこちらをクリック。
連載コラム【ライヴ盤・イン・ジャパン】その6
こんな歌も歌ってみたい ~藤圭子(前篇)~
そのうち演歌も取り上げるなら最初はこの人だな、と思っていたら今回の訃報である。何とも言葉がない。いつの時でも、どこにも属していない、そんな印象の人だった。彼女の歌いたかった歌は何だったのだろう。 彼女は歌手人生の中で5枚のライブ盤を発表している。まずは70年12月、デビュー丸1年を経過した人気絶頂期の『歌いつがれて25年 藤圭子演歌を歌う』。いきなり2枚組であるが、オリジナル曲は冒頭の「圭子の夢は夜ひらく」と最後の「命預けます」のみで、あとは戦後流行歌の数々を、芥川隆行の名調子で「リンゴの歌」から時代を追って並べた構成になっている。「星の流れに」や「カスバの女」はハマり過ぎ、「網走番外地」のディープさも19歳とは思えぬ深さだが、実質的に演歌は半分もなく、
五木寛之が「怨歌」と呼んだ彼女の歌世界を想像すると違和感がある。 翌71年10月リリースの『藤圭子リサイタル』では、さらに様相が異なる。ことに第2部「こんな歌も歌ってみたい」コーナーが印象深く、まず北原ミレイの「ざんげの値打ちもない」。作曲が村井邦彦のせいか、
アレンジも藤圭子の歌の解釈もソウル的で面白く、西野バレエ団をバックに歌う「恋のハレルヤ」は、本家黛ジュンに対抗して16ビート解釈である。そして“私の好きな歌”と本人の前説が入るアニマルズの「朝日のあたる家」は翻訳の男歌で、最高にソウルフルな名唱だ。続く3連ロッカバラ
ード「この胸のときめきを」もカッコ良く、どこまで自覚的だったかはわからないが、藤圭子はサザン・ソウルとかディープ・サウスのブルースと親和性が高いと思う。そして同盤では「圭子の夢は夜ひらく」が早くもジャジーなアレンジに変更。新曲として紹介された「愛の巡礼」のアフタービートのブルージーな愉悦は、今聴いても洒落ている。 また、両方の盤に収録されているカヴァーが畠山みどりの「出世街道」。10歳時に初ステージで歌ったアマ時代の持ち歌で、さすがにべらぼうに上手い。この曲を聴くと藤圭子登場時の衝撃がよくわかる。上手い言い方が見つからないが、ステレオで両方のスピーカーから各々声が出ているはずなのに、その左右のど真ん中からズバーン!と剛速球を聴く側にぶち込んでく
る、そんな声だ。手応えが半端ない。 しかし、ここで忘れてはいけないのが、日本の音楽シーンにおける演歌の位置。70年代初頭、演歌は歌謡曲の中道=ミドル・オブ・ロードよりやや保守寄りに位置していた筈だ。それが時代と共に中心軸が少しずつ洋楽寄り、ポップス寄りに
スライドしていき、必然的に演歌は保守から超保守へとずれていったのである。平たく言えば68~69年頃は鈴木淳、浜口庫之助あたりが中道で鈴木邦彦は革新派だったが、70年代中盤になるとハマクラですら保守になり、鈴木邦彦も中道の位置に来る。といった具合に、歌謡曲の中道は、経年と共
に洋楽志向にズレていくのだ。つまり70年頃では、演歌と歌謡曲中道、洋楽的ポップスとの距離はそんなに遠くない。またこの時期はクール・ファイブや青江三奈、森進一など革新性を抱えた演歌歌手が続々と登場してきた時代である。だから70年の藤圭子がアイドル扱いされたことも、「朝日のあたる家」が好きなことも、都会派ムード歌謡の西田佐知子の曲を歌うのも、不思議なことではないのである。――この項続く。 (馬飼野元宏=「映画秘宝」編集部) ■写真上『歌い継がれて25年 藤圭子演歌を歌う』70年10月23日、渋谷公会堂での収録。編曲は池田孝。 ■写真下『藤圭子リサイタル』71年7月5日、サンケイホールでの収録。演奏は中西義宣とビッグ・サウンズ&ストリングス。
【ヴィンテージ・ミュージック・ボックス】その3
「スターダスト」がスロウ・ナンバーになるまで
ホーギー・カーマイケルによって作曲された「スターダスト」は、センチメンタルなスロウ・バラードとして親しまれている最も有名なスタンダードのひとつだ。上へ下へと動きまわる細やかなメロディーには、一片の羽根が揺らぎながら落ち、また風に吹かれて舞い上がるような儚い浮遊感がある。 意外にもこの曲が生まれた当初は速いテンポで演奏されていた。最初の録音は27年で、ホーギー自身のピアノを含むバンドが演奏した騒がしいツー・ビート・ジャズのインストゥルメンタルだった。ホーギーはこの曲を「バーンヤード・シャッフル」(農園シャッフル)と呼んでいたが「ジョージア・オン・マイ・マインド」の作詞者でもあるスチュワート・ゴレルが「スターダスト」と名づけたと
いう。しかし「スターダスト」はレコードのB面に収録されたこともあり、さして話題にならなかった。 ホーギーはそのレコードを聴いた友人にバラードで演奏したらとアドヴァイスを受け、そのアイデアをレコード会社に持ち込んだが、同じ曲を2枚も出せないと断られてしまった。
29年「スターダスト」は楽譜の出版をしていた実業家のアーヴィング・ミルズの耳に止まった。彼は歌を入れれば売れると見込んで作詞家のミッチェル・パリッシュをホーギーに紹介した。ミッチェルはホーギーの意図を汲みながら「ぼくの星屑のメロディーは、愛の想い出のリフレイン」と
いう歌詞をつけ、別れた恋人を偲ぶ歌に仕上げた。 その「スターダスト」が歌われたのは31年のこと ビング・クロスビーがはじめに歌い、続いてルイ・アームストロングが吹き込んだ。それらはとても聴きやすく、どちらも大いに人気を集めた。しかしまだテンポが速くスロウにはなっていない。スピーディーなダンスが持て囃された時代で、「スターダスト」は多くの歌手や演奏家に取り上げられたが、それらはどれも速いテンポのままだった。 33年になるとホーギーがソロ・ピアノでロマンチックな「スターダスト」を弾いた。そのレコードがきっかけとなったのだろうか、34年にはラス・コロンボがムーディーに歌い上げ、すぐにハリー・ウェルズもスロウで歌った。これらのヒットによってようやく「ス
ターダスト」はスロウ・ナンバーとして定着したのだ。 42年にはホーギー自身もはじめて「スターダスト」を歌い、それ以降彼は頻繁に歌うようになった。ピアノを弾きながらの歌声は、まるで酩酊状態で語っているようにも聴こえ、素朴な人柄が感じられる実に「粋」なものだ。
彼は自伝の中で「スターダストは、夕暮れに母校を訪れて別れた恋人のことを思い出したときにメロディーが浮かんだ。でもこの曲は私が書いたような気がしないし、私の一部とも思えない。ただ曲に出会っただけだ」と語っている。 因みに、ホーギーが憧れて最も影響を受けていたコ
ルネット奏者のビックス・バイダーベックの「シンギン・ザ・ブルース」に「スターダスト」に似た旋律がある。想像だけれど、ホーギーはビックスのその曲が心に焼き付くほど好きで、恋人を想って放心した際に、フッと浮かんで来たのではないか。それが無意識のまま「スターダスト」になったのかもしれない。 (古田直=中古レコード店「ダックスープ」店主) ーーーーーーーーーーーー ●写真上『スターダスト』。46年録音を収録したSPレコード・アルバム。ストリングス・オーケストラの伴奏とコーラスを従えて自作曲を歌っている。 ●写真下『ホーギー・シングス・カーマイケル』。アート・ペッパー、ジミー・ロウルズら西海岸ジャズメンが伴奏。56年に録音された静かなアルバム。
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