てりとりぃ放送局アーカイヴ(2014年2月28日〜3月14日分)

 代作騒ぎに揺れた2014年、冬の日本音楽界。長髪にサングラス、髭面に黒ずくめの服といったヴィジュアルがTVやインターネット、週刊誌上を賑わせていたようだが、この問題の真偽・帰結を遠く離れて話を続ければ、ことポップスを愛好する者にとって、たくわえられた音楽家の「髭」には何か特別な興味を抱いてしまう節がある。表情を安易に気取られないためのサングラスも、受け手の心性に一役買ってしまうところがある。いささか強引ではあるが、今回の『てりとりぃ放送局』はそんな着想から選曲させて戴いた。題して「髭とサングラスとポピュラー・ミュージック」。(2014年2月28日更新分/選・文=関根)


Nick DeCaro / Under The Jamaican Moon

 王道もいいところだが、このテーマならまずはここにソフト&メロウの第一人者、ニック・デカロの『イタリアン・グラフィティ』のジャケットを置いておきたい。こちらはスティーヴン・ビショップのペンによるアーバン・リゾート風の一曲だが、楽曲的には同アルバム収録のスティーヴィー・ワンダー「Angie Girl」のカヴァーもお薦めしたい。サビ突入時のコード感、ジェントルな歌声。春を待つカフェの店先をいつも夢想する。

Cooper & Ross / Only The Lonely

 このジャケットを見て戴ければ、ニック・デカロをトップに据えたのも納得して戴けるだろうか。デカロはタキシードに身を包んでいたが、こちらの男性ヴォーカリスト、ジミー・ロスは真紅のスタジャンでポーズを決める。横に控えるキャシー・クーパー嬢のバンダナにも要注目だ。この佇まいからはどうしたって80's産業ロックの薫りを嗅ぎ取ってしまいそうになるが、鳴らされる音は紛うかたなきAOR・ミディアム・フロウター。

Leon Russell / Back To The Island

 伸びに伸びた白髪と髭で、今や仙人のような風貌となってしまったレオン・ラッセルの、これはソフト&メロウ期の一曲。映像優先でこちらを紹介したが、やはり楽曲的には当時の奥方マリー・ラッセルと共に録音した同時期の2枚のアルバム『Wedding Album』『Make Love To The Music』をお薦めしたい。若い時分のスナップや映像をWebで探して戴ければお分かりの通り、サングラスを外した目元は眼光鋭く実にクール。


Wizzard / This Is The Story of My Love (Baby)

 『てりとりぃ放送局』には過去何度か紹介されたと記憶するが、仙人的な髭と言えばやはりロイ・ウッドにご登場願わなくてはならない。このクリップはスペクター・サウンドに影響を受けた氏の楽曲に乗せ、そのキンキーな顔面ペインティングの変遷をランダムに切り貼りしたものと思しい。サングラスこそしていないものの、補って余りある、この人間グラフィティ的存在感。この楽曲自体は大滝詠一フレーズとしても知られる。

Hermeto Pascoal / Music From The Beard - Som da Barba

 冒頭の二人を除き、後半は見た目の奇矯さが立ってしまう人選となってしまったが、前提として共通しているのはいずれも音楽的成熟度が高いと言うこと。ここでご紹介するブラジルの奇才、エルメート・パスコアルのライヴ映像は、それを「全身で表現」してしまっていると言っていい。柔らかなフルートの音がたゆたう中、歯に引っかけたピアノ線を爪弾き、自身の顎髭を指で擦って奇音を奏でる様に最初から度肝を抜かれてしまう。

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 今回の放送局は「ポール・レイヴン」という、誰も知らないであろう名前の男性シンガーの特集です。まあすぐにその正体はバレバレなので「誰も知らない」てワケでもないのですが、あまり世間様には知られていない彼のキャリアをおさらいしてみました。それにしても16歳でデビュー、早熟なのにあまりにも大器晩成、そしてキャリア後半をグダグダなスキャンダルで棒に振る、という文字通りの破天荒シンガーですね・・・(2014年3月7日更新分/選・文=大久)



Paul Raven / Alone In The Night (1960)

 60年に英デッカより発売されたデビュー・シングル。実はポール・レイヴンという名前も芸名で、本名はポール・ガッドさんといいます。物悲しいポピュラー・ボーカル・スタイルのオールディーズ・ナンバーですが、すっごく真面目に歌っているあたりが、その後の彼のキャリアから考えるとすっごく意外ですよね。

Paul Raven / Walk On Boy (1961)

 その後ポール・レイヴン氏はパーロフォンに移籍、ジョージ・マーティンのプロデュースでシングルをリリースしたりしますが全くの失敗作となります。もちろんジョージ・マーティンがビートルズとコンビを組む前の話なのですが。ちなみにこの曲、日本盤シングルも当時発売されています(東芝音楽工業/ポール・ラヴェン名義/HM-1129/B面はミカエル・コックス「ラバーガール」とのカップリング)。

Paul Monday / Here Comes The Sun (1969)

 ジョージ・マーティン制作で2枚のシングルを出すも大失敗、その後スコットランド出身のビート・バンド、ポエッツに参加したり、サックス奏者のバックコーラス隊のひとりとして裏方シンガーとなったり、という活動を5年ほど費やした後、ポール・マンデイと名前を変えてまたシンガーとして復帰。こちらがその名義のシングルで、曲はもちろんビートルズ/ジョージ・ハリソンのカヴァーです。まあ、残念ながらこのシングルも大失敗に終わったわけですが。

Gary Glitter / Rock'n Roll Part 1 (1972)

 しかしまあ、人生はなにが起こるかわかったモンじゃないですよね。「ロックンロール」という名を付けた単純極まりないシングルを出したら、時流(当然グラム・ロックという時流ですが)に乗って、イギリス、フランス、アメリカで大ヒットを記録してしまいました。はい、今週の特集は実は全部このゲイリー・グリッターさんのキャリアとなるワケです。71年、彼は一躍世界のトップ・スターとなってしまいました。


Gary Glitter / Rock'n Roll Part 2 (1972)

 しかも、その「ロックンロール」という曲は1曲をA面・B面に2分割してリリースされたのですが、どちらの面も大ヒットしてしまった、という奇妙奇天烈なチャートアクションを記録しています。動画はTV番組出演時のゲイリー・グリッターのパフォーマンスですが、歌なんかどこにもねえじゃん?と笑えてしまう程のオバカっぷり。最高ですねえ。さて、大変恐縮ですがこのオバカR&R大将の特集は次回にもつづきます。お楽しみに。



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 ゲイリー・グリッター特集・第2弾です。グラム・ロックの時流に乗り一躍時の人となった彼は、このシンプルなズンドコR&R路線で大ヒットを飛ばしまくります。そんなグラマラス・スターのその後を追ってみました。いやーしかしこの人ほど波瀾万丈なR&R人生を送った人もいねえんじゃ?と思えるほど、ムチャクチャです。笑えます。(2014年3月14日更新分/選・文=大久)


Gary Glitter / Leader Of The Gang (1973)

 全英2位を記録した代表曲「DO YOU WANNA TOUCH」を挟んで、こちらの曲は彼にとって初のNO.1を記録した名曲。グラム時代は一貫して「応援団ロック」と呼ばれたこのマッチョなコーラス・スタイルは変わっていません(笑)。動画ではバンドが登場していますが、後にゲイリー・グリッター作品から枝分かれして「グリッター・バンド」という名義でも自らヒットを放つ程の人気を誇ったスター・グループとなりました。

The Glitter Band / Goodbye My Love (1975)

 というわけでそのグリッター・バンド名義によるポップなロック・ナンバー。まるでパイロットかラズベリーズ(エリック・カルメンの)かよ、と思わせる程にストレートなポップ・アレンジに拍子抜けもしますが、ホンノリとグラム時代のゲイリー・グリッター臭がするあたりは、さすがです。
Gary Glitter/ Finders Keepers (1975)

 本人がどんなにギンギラのグラムスターであっても、時代はどんどん流れ変わって行きます。同じことを垂れ流しても、飽きられます。というワケでGGが挑んだのは(ボウイと同じく)フィリー・ソウル路線。75年に発表されたサード・アルバム『GG』は、大ヒットした前2作と異なり最も売れないアルバムとなってしまいましたが、こんなファンク曲が収録されてるというだけで当方は嬉しくなってしまいます。
Gary Glitter / You Belong To Me (1977)

 ボウイは既にソウルを卒業しベルリンに移住、マーク・ボランはこの世を去りました。ロキシーも解散状態でした。そんな77年、ゲイリー・グリッターはこんなイカシたアダルト・オリエンテッドなディスコ・ポップ・ナンバーを発表しています。一応当時は「GGがディスコ・ロックに挑戦」と喧伝されたのですが、ディスコではヒットしませんでした。でもたしかにディスコ時代の流れを組んだと思わしきアレンジにホッコリさせられます。
Gary Glitter / House of the Rising Sun (1996)

 ハッキリ言ってセールスという面では、75年以降壊滅状態(笑)。84年に「ANOTHER R&R CHRISTMAS」というプチ・カムバックともいえるヒットがありましたが、すっかり「過去の人」でした。でも、それでも良かったんです。こちらは彼がまだ「シンガー」だった時期、96年に発売した最後のシングル「朝日のあたる家」。TOTPでのライヴ動画です。本稿では割愛しますが、翌97年以降、彼はスキャンダルによって芸能界をほぼホサれた状態です。同情の余地は全くありません。


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