『チェイシング・エイミー』(97年)という映画は退屈に感じたけども、マンガ家を主人公に置いたのが興味深かった。読者に郵送するために自著を封筒に詰めながら仲間と雑談する場面をよく憶えている。これがリアルな描写なのかはわからないが、世界照準で超大作映画になるような「アメコミ」の、地べたに近い風景に親近感が湧いた。作家が直で本を売るコミックコンベンションは、日本の同人誌即売会とルーツが同
じだし、だいたいアメコミの印象自体がペラペラな冊子で、まさに「うすい本」だもんね。最近は、海外の意欲的なマンガが、続々と翻訳され書店に並ぶが、各国の自主制作マンガの状況はどうなってるんだろう。 なんてこと思ってたら、『完全形成術(マスタープラスティー)』(13年)というマンガを手に入れた。描いたのはジェームス・ハーヴィー。どうやら日本人ではない。いや、名前じゃわからないからね、リリー
・フランキーとかサガノヘルマーとかいるからね。作風はアングラ寄りのアメコミ調だが、生きた日本語によって翻訳され、画は反転のうえ右開きの造本、しかも文字は縦書きだ。作者はイギリス在住、大友克洋の『アキラ』を、マット・グローニングの『ザ・シンプソンズ』タッチで再現(クオリティ高し)するというプロジェクト「バキーラ」の中心人物で、このイベント自体、特にオフィシャルなものではないらしく、ど
ういう冗談なのかよくわからない。版元のBLACK HOOK PRESSも、横浜にあること以外よくわからない。そこから近日発行というアート誌「WHIG」も、進捗状況はよくわからない。しかし、こうした出版物を日本へ向けて送ろうとする未知の人たちがいることにウキウキする。 全頁四色刷り、画力もセンスも抜群の美麗な冊子。ただ、ひとこと、大先輩格の怪奇コミックス(米国で50年代に悪趣味が過ぎて弾
圧された)を踏襲した含みがあるのか、あまりに他愛のないブラックユーモアで、絵の魅力のみで押し切ったように見えるのは否めない。でも、それ故に楽しみの余地が大きい。何しろ、よくわからないことばかりだもの。お察しかと思いますが、今回、極力ネット検索しないで書いてみました。 (足立守正=マンガ愛好家) ーーーーーーーーーーーー ●『完全形成術(マスタープラスティー)』ジェイムス・ハーヴェイ著(日本語訳)/A4/価格500円/初回版のみ大型ポスター付/著者・ジェイムス・ハーヴェイ=英国を拠点とする漫画家。英国で『ブラック・スレイト・ブックス』を刊行、現在は米国「『イメージ・コミックス』誌にて連載中、そちらは2014年中に単行本化予定。(以上公式HPより抜粋)
Crossbeat Presents「GLAM ROCK」発刊によせて
ディスクガイドの表紙に、自分が大好きなジャケットばかりが並んでて、どれもこれも全曲覚えてるわ、というくらい内容も好き、という本が出るのですからそりゃあ嬉しいに決まっています。自分が監修してるから当然ではありますが、そういうチャンスは人生に1度あるか2度あるか、いや2度はないのかも、と思えてしまう昨今の音楽市況。 とはいえとにかくできました。6月末にシンコーミュージックから発売された
グラム・ロック本。当初は当方のヲタク魂満開で、プチネタの宝庫、重箱の隅を電動ドリルでぶち抜かんばかりの勢いのマニア本、なんてのを考えていましたが、結果としては至極基本的な、といいますか、王道中の王道、ブリティッシュ・ロックのド真ん中をノシノシと歩く名盤を中心にを紹介することになりました。 グラム・ロック。もちろん70年代前半にイギリスで起こったロックのブーム。クロスジェンダー、アート
・ロック、表現の可能性、キッチュでハイプなキャンディー・ポップ、そういった全ての要素を2年間に凝縮したブームでしたが、もちろんその余波は大きくその後に受け継がれています。本の表紙には70年代の名盤ばかりが並びましたが、裏表紙にはイエモンもマルコシアス・ヴァンプも並んでます。つまり、そういうことです。 本書のために当方のウザったい長尺取材にご協力いただいた、元マルコシアス・ヴァンプのアキマツネオ氏は、前後編の2つに分けてロング・インタビューが載っています。また、ジャパンやハノイ・ロックスとの交遊でも知られる本田恭章氏、毛皮のマリーズを経て現在STARBEMSというハードコアバンドで活躍する越川和磨氏のインタビューも掲載。デヴィッド
・ボウイ、Tレックス、モット・ザ・フープル等の往年のインタビュー・アーカイヴも掲載しています。興味が湧いてきた、という方は、是非お手に取ってみて下さい。 さて最後に。邦楽グラム・ロック・アルバムのレビューにて本書にもご協力いただいた馬飼野元宏氏から、執筆後に頂いた感想のメールを(本人に無許可で。笑)抜粋します。「グラム・ロックは人工甘味料だ、とずーっと思ってたので、日本
のグラムの場合、歌謡フレイヴァーが必須だなーと思った次第で。歌謡曲って着色料豊富な駄菓子、というイメージなんですよね、僕は」。 もうまったくその通り。人工甘味料はそのほとんどが砂糖(ショ糖)の100倍〜700倍もの甘味を持ちます。グラム・ロックのグラマラスな魅力は、ほんの一瞬の輝きに全てを賭ける、刹那の甘味。こっちの水は、甘いぞ。 (大久達朗=本書監修者)SHINKO MUSIC MOOK CROSSBEAT Presents GLAM ROCK/監修・大久達朗/シンコーミュージック刊/A5版・192ページ/2014年6月28日発売/価格:1,800円+税
連載コラム【ヴィンテージ・ミュージック・ボックス】その10
雨音は「リトル・ガール・ブルー」の調べ
リチャード・ロジャースとローレンツ・ハートのコンビが、35年のミュージカル『ジャンボ』のために書いた「リトル・ガール・ブルー」は、タイトルからついマザー・グースのナーサリー・ライム、「リトル・ボーイ・ブルー」の少女編だろうと簡単に考えてしまうが、おそらくタイトルをもじったくらいで、直接の関係はなさそうだ。 さらにこじつけるなら、タイトルと歌詞が似ているのは、同じマザー・グースの、靴を無くして困っている少女を詠った「リトル・ベティー・ブルー」のほうかもしれない。 この歌を何度聴いても美しいと思うのは「きみが若かった頃、世界はきみよりも若く、回転木馬のように陽気で、サーカスのテントは星星に結ばれ…」と、駆け廻るメロディーのヴァー
スから、突然に「指折り数えてみると、悲しかった少女の時代は、とうの昔…」とゆるやかなメロディーのリフレインに変わる瞬間だ。この歌はヴァースを省いて歌ったら、まったく景色が違ってしまうだろう。 フランク・シナトラ、ドリス・デイなど多くの歌手に歌われ、モダン・ジャズではハンク・モブレーの演
奏で、ロック・ファンにはジャニス・ジョプリンで親しまれているが、ニーナ・シモーンがデビュー・アルバムで歌っているものが、もっとも深く染み込んでくるヴァージョンである。 ニーナの「リトル・ガール・ブルー」はイントロが実に印象的だ。大胆にも、大きな意味を持つヴァースを歌っていない。その代わ
りに、クリスマス・キャロルの「ウェンセスラスはよい王様」のメロディーを引用し、それをピアノで弾いている。 「ウェンセスラスはよい王様」は、貧しさで悲しみに暮れる農民に善意を施す王を描いた曲である。ニーナはそれを、少女の頃の悲しみを抱えたまま年を歴た女性の歌である「リトル・ガール・ブルー」に組み合わせることで、その女性を慰めようとしたかのようだ。 そのピアノが美しい。近所から漏れ聴こえてくる、習いはじめたばかりの少女が弾いているような、純真さが感じられる。これを聴くとぼくは、森の奥にぽかりと開いた草原に降り出した雨の情景を思い浮かべる。きっと同じようなイメージを抱く人も多いだろう。 また想像だが、ニーナは歌詞の「あなたに落ちる雨
粒を指折り数える」から、雨を思い描きながら鍵盤に指を置いたのではないだろうか。ピアノの音色が、降りはじめの雨粒みたいにひとつ、またひとつと落ちてくる。そして雨が本降りになった頃、つまりピアノの音がすきまなく重なり合ったところで歌いはじめる。 ニーナの歌声は中性的である。だから年をとった少
女の歌なのか、少年の歌なのか、聴きながらわからなくなってしまう。 ピアノと歌声だけだからダイレクトに音楽を感じることができて、目に涙が滲むほど感動するのだろう。体じゅうにちり溜まった埃が流され、背筋が伸びる。 (古田直=中古レコード「ダックスープ」店主)●写真上 ニーナ・シモーン『リトル・ガール・ブルー』ジャズ/ヴォーカルの枠を超えて聴くべき名盤。ジャケットにはなぜかアルバム・タイトルの記載がない。彼女の芸名は女優シモーヌ・シニョレに因んでつけられている。
●写真下 フランク・シナトラ『ソングス・フォー・ヤング・ラヴァー』 「リトル・ガール・ブルー」を収録した10インチLP。ヴァースを丁寧に歌った名唱である
|