てりとりぃ放送局アーカイヴ(2014年7月4日〜7月18日分)

 ところで「GLAM ROCK」なんていう本を出しておきながら「デヴィッド・ボウイ=グラム・ロック」とか誰かが断定的に言おうものなら口角泡を飛ばして真っ先に大反論する当方。そんなヒネクレモノな性格なのは、やっぱりDB氏本人からの影響でしょう。そんなわけで今回の放送局はボウイ「ソウル・イヤーズ」の特集。もう素晴らしすぎて、涙も絶賛の弁も出尽くした感さえあるこの時期のボウイ氏のソウル・トラックをご覧下さい。(2014年7月4日更新分/選・文=大久)


David Bowie / Aladdin Sane (1974)

 ダイアモンド・ドッグ・ツアーでのライヴですが、アルバム化されている『DAVID LIVE』とは違うソースです。できればオヒマな方は両方を聴き比べいただきたいのですが、特にベースラインのグルーヴ感が違います。いずれにせよ、このラテン・ジャズ色を加味したこのヴァージョンも最高なんですが、アッケに取られお口アングリ、というお客さんの表情も最高です。

David Bowie / I'm Divine (1974)

 さあ、殆ど誰も知らないトラックの登場です。この時期、アヴァ・チェリーという黒人女性シンガーの売り出しを考えていたボウイが彼女のために書き下ろしたデモ曲。もちろん録音はフィリーのシグマ・サウンド。ルーサー・ヴァンドロスも後ろで歌ってますね。この周辺の音源は後にアヴァ・チェリーが実際に歌いましたが未発表でした(近年「アストロネッツ・セッション」という名のCDとして発掘されていますが)。

David Bowie / Footstompin' - I Wish I Could Shimmy Like My Sister Kate (1974)

 74年11月2日収録、翌月4日に米ABCで放映されたディック・キャヴェット・ショウで披露された曲。すでにお気づきの通り、後にジョン・レノンとの共同作業を経てシングル発売され、見事全米1位となった「FAME」の元曲です。「FOOTSTOMPIN'」のオリジナルは、50年代のドゥワップ・グループ、フレアーズの曲。もう2万回くらい書いた気もしますが、サックスはデヴィッド・サンボーン、華麗な踊りを披露してるのがアヴァ・チェリーです。


David Bowie / Fame (1976)

 で、その「FAME」のTVライヴ。口パクですが、この出演は画期的でした。何と言ってもボウイは白人で初めてあの「ソウル・トレイン」に出演したアーティストだったからです。同日「GOLDEN YEARS」も披露しましたが、75年の年末に収録、放送日は76年1月3日でした。「FAME」はジョン・レノンとボウイが一晩飲み明かした夜に「成功したのはいいけれど、儲けは全部マネージャーが持ってってしまう」という点で合意に達した2人による恨みつらみから生まれた曲。

David Bowie / Stay (1976)

 76年1月3日収録、3月に米CBSで放映された「DINAH SHORE SHOW」で披露されたTVライヴ。当時(身長178cmなのに)48kgしか体重がなかったボウイは、この後逃げるように米国を脱出、フランス経由で西独ベルリンに移ります。つまり、ボウイのソウル・イヤーズも(グラム・イヤーズ同様に)実質2年で幕を閉じることになります。それにしてもカッコいい。踊るボウイにキュンキュンしますね。



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 近年はデーモン・アルバーンのプロデュースでアルバムを発表したり、昨年には来日公演も果たしたりとファンを喜ばせたのも束の間、既に世界中で報じられているように、2014年6月27日、ボビー・ウーマックが死去しました。70歳でした。長らくアルツハイマーとの闘病中であることは伝えられていましたが、今回はこの偉大なソウルマンを特集します。なお、彼の姓名の発音に関して、実際に一番近いカナ表記は「ウォーマック」です。(2014年7月11日更新分/選・文=大久)


The Valentinos/ It's All Over Now (1964)

 後にローリング・ストーンズがカヴァーしヒットさせたことで、ボビー・ウーマックの代表曲ともなった同曲は、64年、まだ彼がヴァレンティノスというコーラス・グループに在籍していた時の曲。彼らを見いだしたのがサム・クックであったことは有名ですが、ボビー・ウーマックは同64年録音のサム・クックの名盤ライヴ「AT THE COPA」でギターを担当しています。

Gábor Szabó / Breezin' (1971)

 68年以降、メンフィスでスタジオ・ミュージシャンとしても働いた彼でしたが、70年からジャズ・ギタリストのガボール・ザボとコラボ活動するようになります。71年発表の『HIGH CONTRAST』は後にジョージ・ベンソンが取り上げヒットさせた「BREEZIN'」のオリジナルが収録されてることでも知られますが、同曲を含めて本作で半数以上の楽曲提供したのがボビー・ウーマックでした。

Bobby Womack / Across 110th Street (1972)

 72年、既にヒット曲も多数抱える人気ソウル・シンガーとなったBW。現在でも最も有名な彼の曲はこのサントラ曲でしょう。ブラック・シネマの代表曲にも数えられるこの曲を一躍有名にしたのは、J.J.ジョンソン(同サントラ盤のもう1人の主役)でもなく、むかーし本盤をCD復刻した当方でもなく、『JACKIE BROWN』(97年)で同曲を使用したクウェンティン・タランティーノという変人映画監督に間違いありません(笑)。


Lea Roberts / (If You Don't Want My Love) Give It Back (1973)

 同曲はBWのオリジナル(71年)、『110番街交差点』サントラ収録ヴァージョン(72年)、そしてロック・ファンからもソウル・ファンからも愛される名演として、ロン・ウッド版(75年/こちらはBW本人も参加)が有名ですが、あまり知られてない同曲のカヴァーをご紹介。LA出身のソウル・シンガー、リー・ロバーツによるスムース・ソウル・カヴァーで、同盤をプロデュースしたのは(モータウン作品群でおなじみの)ウェイド・マーカスでした。

Bobby Womack & Damon Albarn Perform "Please Forgive My Heart" (2010)

 2010年、デーモン・アルバーン(ブラー/ゴリラズ)との共演を始めたBW。その作品はイギリスのXLレコーディングスから2012年に発売されましたが、結果そのアルバムが彼の遺作となりました。うーん、ゼマティスを抱えたビヴァリー・グレン作品群とか、トッド・ラングレンとの共演とか、スティーヴィー・ワンダーやロッド・スチュワートも参加したという新作(未発表)とか、ノーナ・ゲイがプリンス・プロデュースでカヴァーしたなあ、とか、さすが大物シンガーなのでとても本稿で彼のキャリアをおさらいしきれません。スイマセン。



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 つい先日、日本で撮影されたアヴリル・ラヴィーン「HELLO KITTY」のPVが、なぜか日本以外の海外諸国で大騒ぎになったそうです。問題はこのPVに登場する日本人女性。もちろん演技なわけですけど、その無表情・無愛想な態度が「本当の日本人を侮辱しているのではないか」として英米で大騒ぎになってしまったんですね。アヴリル本人もそうした批判を一笑に付してますが、んー、でもまあ本物の日本人も、実際こんなカンジだと思うんですけどねえ(笑)。というわけで今回は「日本で撮影された海外アーティストのPV集」です。(2014年7月18日更新分/選・文=大久)



Public Image Ltd / This Is Not A Love Song (1983)

 既に有名な映像ですが、83年の来日の模様を収めたライヴ・ビデオ「LIVE IN TOKYO」に収録されたオープニング映像。同作の音盤(LP)のジャケは、新宿東口駅前「カメラのさくらや」前で撮影されていますが、既にこのさくらやが無くなってしまったことがとても残念です。ジョン・ライドン27歳。若いスねえ。

Manic Street Preachers / Motorcycle Emptiness (1992)

 マニックスの1stからのシングル曲。ちょうど渋谷センター街が日本中で有名になった時期に重なりますね。そういえば当時まだセンター街にパチンコ屋がありました。この頃丁度当方は渋谷で働いていて毎日この道を往復してたものですから、つまらない感傷を覚えたりもしますが、そんなことよりもリッチー(後に失踪・未発見のまま死亡宣告されたメンバー)が健在だったことに深い感傷を抱いてしまいます。このPVのアイデアの元は、ポリス「SO LONELY」のPVかと推察されるのですが、いかがでしょうか。

Beastie Boys / Intergalactic (1998)

 日本の60〜70年代特撮ロボットを用いるアイデアは、頻繁に海外アーティストに取り上げられますが、こちらは98年のビースティー・ボーイズのシングル曲のPV。ご覧頂けるように、東京・新宿でのロケとなっております。しかし「オジンガーZ」(91〜93年)が最後の打ち上げ花火となって以降、既にこの「特撮ロボットのパロディー」という手法は、我々日本人にとってはいささか食傷気味でもありますが。

Madonna / Jump (2006)

 マドンナが06年にシングルカットした「JUMP」は、同年発売されたベタ・ディスコ・アルバム「CONFESSION S ON A DANCEFLOOR」に伴うツアーで来日した際に東京で録画されたもので、ご覧のようにそのイメージは新宿・歌舞伎町です。しかし実際に歌舞伎町ロケを行なったわけではなく、すべてスタジオでビデオ録りされました。でも日本でパルクール(街の障害物を全部人力ジャンプでクリアするXスポーツ)してる人、見た事ないですけどねえ。


Jimmy Page in Japan 24/9/1971

 おまけその1。71年初来日を果たした際のレッド・ツェッペリンですが、ジミー・ペイジ先生は8mmフィルムで日本の景色を撮影していました(動画は近年ペイジ先生の公式サイトでアップされたもの)。ファンとしては道玄坂をゆかたで練り歩くお姿とか、日本刀でホテルをめった刺しにするお姿なんかを期待してたわけですが、ファンでない人にとっても1971年の日本の景色をイギリス人目線で記録した、ある意味興味深い映像かと思われます。


Swing Out Sister / Chuo Freeway (2013)

 オマケその2。ユーミンのトリビュート・アルバムの為に録音されたスウィング・アウト・シスターによる「中央フリーウェイ」のカヴァー。楽曲に関してのコメントはここでは避けますが、ええ、それっぽい動画になってますよね。ただし当然ながらこの撮影場所は中央高速道であるワケもなく、イギリスの下道だろうと思われます。




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