本格派とガラクタの、狂気とポップの、世田谷合戦絵巻
「岡崎京子展 戦場のガールズ・ライフ」2015.1/24〜3/31
つい最近観た、『正しく生きる』という映画は、とても良かった。愛欲や暴力や死が小さな街のなかで煌めく、虚しさ全開の多面形エンターテインメント。長谷川和彦の『太陽を盗んだ男』と(沢田研二ではなく岸部一徳が演じるセンセイが、同じく放射線物質に手を出す主役という意味でも)対と見ても面白い。どこかガーリイな表現と生っぽい現代の描写は、福岡芳穂監督が映画を学ぶ若い学生と
ともに練り上げたからか。陰鬱な話だがやけに清々しく、何だか岡崎京子のマンガを思い出したのだ。 1994年に渋谷のマンションの一室で「岡崎京子展」が催されたのを観たことがある。相当ヒドい展示だった。確か有料のうえ、七尺の大きな板に血を塗りたくったようなものを見せられた気がするが、別の場所の見世物小屋との記憶違いかもしれない。あー、あれはヒドかった(もう、い
いだろ)。で、それを除けば、世田谷文学館で催された「岡崎京子展 戦場のガールズ・ライフ」は、岡崎京子の初めての展覧会だ。ディレクションは、シュルツやヤンソンや水木しげるといった、マンガ関連の展覧会での腕前に定評のある装丁家・祖父江慎によるもの。岡崎京子は、力強く骨太なストーリー作品とともに、ほぼ批評の対象にならないガラクタじみた細かい作品も量産している。そのガラクタ面もまんべんなく配置され、見事なオカザキ感に満ちていた。 岡崎作品は、デビュー時からほぼ読んできた。のほほんとしたホームドラマ『セカンド・ヴァージン』が好きだったが、衝撃といえば『Pink』の鰐皮鞄のくだり(読者はわかるでしょ?)で、あのとき岡崎京子は、流行を振り回すア
イドル作家から、金属バット並の危険な何かを振り回す作家になりつつあった気がする。代表作『リヴァーズ・エッジ』に、流行だけで自分を保ちながら静かに狂ってゆく少女が登場する。『へルタースケルター』にも、流行として存在するために激しく狂ってゆく女が登場する。移ろいやすくて愛らしい流行を、禍々しい凶器として描き、でもあいかわらず作者本人は、お気に入りのあれこれを眼や耳から吸収し、ペン先から吐き出す、その天国と地獄の区別のつかない「流行作家」の生き様が、胸に迫るようだ。 暗室に、『リヴァーズ・エッジ』の原稿が展示されている一画があった。もはや生原稿である意味はない。しかし、「先生のタッチがよく見えないじゃないですか!」とクレームを入れる
者は岡崎ファンにはいないだろう。すべては確かなものではない哀愁を、愛しく思う人が岡崎京子のファンだろうから。 まあ、しんみりすんのもいいけれど、豊富な展示には少々アッパーになる。『好き好き大好き』の坂本志保装丁のトレペカバー、陽当たりのいい棚に置いとくとパリパリになっちゃうんだよね、などと「岡崎あるある」で盛り上がるのも楽しい。展示に「出展不明」となってた短冊は『退屈が大好き』の見返しにあったやつだよね、とかさ。 出口にあった、「ありがとう、みんな。」という岡崎京子からの言葉(新作!)は、戦場に芽吹いた双葉のようで、これには「どういたしまして」と元気に答えたい。 (足立守正=マンガ愛好家)
古本屋で買った本『空飛ぶ円盤と宇宙』
著:T・ベサラム/訳:久保田八郎/刊:高文社
なんだかんだ言って宇宙が好きです。先日、映画館で『インターステラー』を観ながらしみじみとそう思っていました。ちょうど昨年の同じころに観た『ゼロ・グラビティ』のよう危険な宇宙などではなく、もっと未来への希望に満ちあふれたロマンのある宇宙です。「人類にはもっと宇宙へ進出してほしい、でも自分が危険な目に遭うのは真っ平ごめん」という、人類の発展に一切貢献しない身勝手
かつ怠惰な人間にとって、今ほど夜空を見上げるのが楽しい時代はないのかもしれません。 さて、人類がこの広大な宇宙にもっとも期待するものとして、宇宙人の存在があります……などとこの調子で書き続けると、まるで自分が熱心な信奉者のように思われてしまいそうなので言っておきますが、僕自身は宇宙人について「いるといいなぁ」程度のもので、存在についてはまったく信
じておりません。というのも、90年代くらいまで頻繁に放送されていたTVの特番で紹介されていた「宇宙人解剖フィルム」がまったくのフェイクであることを知ったからです。当時僕は、恥ずかしながらこの手の番組に夢中になっていました。しかしよく考えれば、大人が小学生の男の子を騙すなどちょろいものです。散々引っ張ったあげく、核心に触れることは結局なにもわからずに終わるアレのせいで、チャンネルを変えようとする親との仲が険悪になったことまであったというのに! これらのフェイク・ドキュメンタリーの〝つかみ〟の部分で必ずと言っていいほど紹介されていたのが、1950年代にアメリカを中心に起こった〝空飛ぶ円盤ブーム〟でした。ある日の神保町、古本屋の外のコ
ーナーで寒風にさらされていた『空飛ぶ円盤と宇宙』を目にしたとき、上記のような複雑な想いが頭の中を去来しました。 刊行は昭和32年で、まさにブームの真っ最中。中身はUFOと宇宙人との見聞録で、巻末にはやはりUFOの目撃者としてもっとも著名なジョージ・アダムスキー氏の著書の紹介もありました(同じ版元だったのです)。この第1次資料にあたって、もう1度騙されるのか、それとも本気で信じるのかを試してみるのも悪くないだろうということで、この本を手にとったわけです。 件の番組では「疑うべくもない世界の常識」として紹介されていたこれらのUFO目撃談、すべての元凶はここにあるに違いありません……続く! (真鍋新一=編集者見習い)
素敵な手提げアンプ、お持ちですか?
1950年代西独ダイナコード・アンプの世界
先日「てりとりぃ放送局」にて某女性アイドルが持つラジカセを「素敵な手提げ、お持ちですね」て表現すんのはどうなのよ?(84年のナショナル「ラブコール」CM)とか書きましたが、実は当方はラジカセというヤツにそれほど入れ込んだタイプではありません。しかししかし、大昔の「手提げ型アンプ」には愛着があったりします。いや、ただ好きだっていうだけなんですけど。ちょっとそれらを
紹介してみようと思います。ダイナコードというドイツのメーカーが1950年代に発売した、お洒落な手提げ型アンプ達です。 プロオーディオ機器のトップブランドとして今もユーロ圏で絶大なシェアを誇るダイナコード社ですが、同社が民生機として最初に出したヒット製品は52年発売のギターアンプKV6でした。…えっと、今「ギターアンプ」と書きましたが正式にはギター専用ではあ
りません。ギターの入力端子もマイクの入力端子も、そしてテープ(=ラインレベル)の入力端子も備えたコンボ(=スピーカー一体型)アンプだったからです。 その後、ここからヘッド部を取り出し、純然たるアンプ機能のみの商品が開発されていきます。まだ一般家庭にレコード・プレイヤーもない時代。主にギターやマイクといったハイZ信号の増幅、そしてラジオやテープの信号増幅に用いられたというモデル、MV15が発表(55年)されました。同機種は翌年回路がリファインされてSV17というモデル(15W/56年発表)になりました。ともに入力段にECC83が2本、整流管にEZ81、出力管にEL84が2本という真空管構成。その大きさは幅20cm、高さ15cm、奥行き10cmほどしかありませんが、死ぬ
程重く(5・5kg)、可憐な女性アイドルが気軽に手にするにはとても困難を伴うアンプです。 さて、50年代末のオーディオの世界にはステレオ化の波が押し寄せました。世界初のステレオアンプは58年に日本ビクターから発売された巨大なコンポ(STL1S)だそうですが、同じ58年、独ダイナコードからはST6という手提げ型ステレオアンプが発売になっています。先ほどのSV17の爽やかなメタリック・グリーンも素晴らしいのですが、こちらのメタリック・ピンクも素晴らしい発色で(アンプなのに)まず目が癒されます。ST6は6W出力を2系統備え、出力段のEL84を各系統に1本ずつ割り振ることでステレオ化を実現。そして何より、当然ではありますが当時はハンドワイアードの時代。
この小さな筐体の中の配線が全部(プリント基板ではなく)手作業だ、というところがすごいです。 とても丁寧な手作業を駆使して作られた50年代ダイナコード製品。当方の所持するこれらのアンプは輸入後にすべてプロのリペアマンによる回路チェックと再生修理を行ない、現在も完璧に使用できるようにしましたが、こうした古いアンプは現代のアンプ職人泣かせのブツで、修理後に随分グチを言われたものです。バナナプラグや6Ω&15Ω出力なんていうレトロな規格もそうですが、昨今のオーディオの世界ではもはや絶滅した古い構造と規格、それらを小さな手提げの中に押し込んだ、文字通り歴史の重みもズシリと感じられるアンプです。どんなにリペアマンから嫌われようと、当方はこれらのアンプ
を愛さずにはいられません。 最後にオマケでもう1台ご紹介。59年、ダイナコード社は上記アンプのラスボスとでも言えそうな巨大アンプMV75を発表しました。入力信号のミックス機能を持つこのアンプは6つの入力すべてに2バンドEQを
装備、75W出力のモノPAアンプです。PAアンプなのにこのルックス。もう当方の胸はキュンキュンしまくりです。ただし重量は上の手提げ型の6倍もあり、移動の際に腰をヤラかしてしまう可能性もあります。 (大久達朗=デザイナー)
|