てりとりぃ放送局アーカイヴ(2015年3月13日〜2015年3月27日分)

  実はラジカセってオヤジ達のセンチメントをギンギンに刺激するらしく、今も熱いマニアの方が多数いるんですよね。以前「タモリ倶楽部」でレトロ・ラジカセ特集をやったときは70年代のモノラル・テレコものがメインでしたが、やはりラジカセといえば80年代。ステレオ、ダブルデッキ、倍速ダビング、やはりバブル日本の象徴です(笑)。そんなワケでラジカセCM特集第2弾。今回は「グループもの」を集めました。歌ってるグループ、出演してるグループ、いろいろパターンはありますが、お気楽にお楽しみいただければ幸いです。(2015年3月13日更新分/選・文=大久)



ナショナル ステレオMACムウ(1978)

 ダウンタウン・ブギウギ・バンド出演のナショナル・ラジカセCM。丁度この頃「過去の曲を封印するかどうか」でモメてた時期にあたると思うのですが、CMはコミカルな路線そのままで行ったようですね。ラジカセも78年の製品なので、「レベルメーターが光る!」というとっても原始的なギミックだけでおおいにウリになった模様。

Panasonic Stereo - US TVCM(1980)

 洋モノです。こちらはパナソニック(=ナショナル)が海外向けに制作したラジカセのCM。なんとアース・ウィンド&ファイヤーが登場、ラップをカマしながらデカいラジカセを担いでおります。「担ぐ」=モバイルオーディオ、だから米国では「BOOMBOX」なんていう呼称が生まれたんでしょうね。しかしすでにご承知のように、米国ではラジカセは当時(80年代のヒップホップ・カルチャーを除いて)ほとんど普及しませんでした。
パイオニアRUNAWAY(1980)

 作詞・湯川れい子、作曲&編曲・井上忠夫(=大輔)。誰もがご承知のこの曲は同名ラジカセのCMソングとして生まれました。CMの大ヒットにより音盤化が決定、シャネルズのデビュー曲にしていきなりミリオンセラーを記録しています。このラジカセのCMは、続いて柳ジョージ&レイニーウッド「さらばミシシッピー」の曲を使用したものへと受け継がれていますが、翌81年レイニーウッドは解散しています。
ナショナル The 3rd(1982)

 大ヒットアルバム『NUDE MAN』収録の「逢いたさ見たさ病める My Mind」をBGMに使用した、ナショナルのミニコンポ風ラジカセ「THE 3RD」CMには、サザン本人が出演しています。同年サザンは、同製品のCMの続編に加え、ハンディーカセットプレイヤー(言うなればナショナル製“ウォークマン”)「WORLD WAY」のCMにも出演しています。
ビクター CDian(1988)

 さて、80年代後半になるとラジカセは一気に様変わりを迫られます。CD時代となったことで、本体のメイン・スペックが(カセットやラジオではなく)CD再生機能へと変わることになったからです。CD=デジタルメディア故に、ラジカセにも新しい宣伝文句が用意されました。そのひとつが「重低音」です(他社も同様:例としてこんなのもあり)。こちらは88年、バクチク「JUST ONE MORE KISS」を使用したCM。バクチクは91年にもビクターのラジカセ「CDioss」CMにも出演、そちらでは名曲「JUPITOR」が使用されています。
ビクター CDioss(1990)

 最後もビクターのラジカセ。マルコシアス・バンプが登場、メジャーデビュー曲「オレンジ色の月」のPVそのままの環境で収録されたCMとなってます。ちなみにアキマさん(vo)は今でもこの派手ハデなギターをメインで使用していますが、以前アキマさんチに行ったらもうビクターのラジカセは使ってなかったですね(いや、他意はないですよ。笑)。


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 今回の「放送局」はウォーカー・ブラザーズの特集です。66年の「THE SUN AIN'T GONNA SHINE ANYMORE(太陽はもう輝かない)」が大ヒットしたことでおなじみですが、米国人グループなのにイギリスで大人気、ブラザーズ名義なのに誰も兄弟じゃない、なんていうヘンテコなキャリアの持ち主でもあります。日本でも大人気のウォーカー・ブラザーズですが、今回は「日本じゃほとんど誰も見向きもしない」70年代以降のキャリアをおさらいしてみました。(2015年3月20日更新分/選・文=大久)



The Walker Brothers / No Regrets (1975)

 67年にグループを解散したウォーカー・ブラザーズ。その後スコット・ウォーカーはソロへ転じて欧州中で大成功を収めていますが、74年末に急遽「ブラザーズ」をリユニオン。こちらの曲で75年秋にカムバックを果たしています。曲は68年のトム・ラッシュによるフォーク・ソングのカヴァー。ちなみにこの動画はアルバム・ヴァージョンでして、シングル版でジョン・ウォーカーが務めていたハーモニー部分が、こちらでは女性コーラスに差し替えられています。
The Walker Brothers / We're All Alone (1976)

 んーどうしちゃったんでしょうね。復活以降はアメリカンルーツ音楽的な方向にいろいろトライしていたウォーカー兄弟でしたが、この選曲はどうなの?と個人的に思ったりして。ボズ・スキャッグス作、リタ・クーリッジ他のヒットでおなじみのベタなバラードです。

The Walker Brothers / Nite Flights (1978)

 スコット・ウォーカーの「癖」みたいなモンがまた強烈に出てきました(笑)。アーティスティックでダークなユーロピアニズム、とでも言えばいいのでしょうか、まるで70年代初期のブライアン・イーノ作品かよと思わせるようなアルバム『NITE FLIGHTS』のタイトル曲は、それはもう新しいモノ好きのスコットさんここにアリみたいな名曲。というか実際にこのアルバムの最初の4曲はスコットがほとんど1人で作った曲なのですが、今聴いてもカッチョいいです。この曲は93年にデヴィッド・ボウイもカヴァー
Scott Walker / Rawhide (1984)

 シンセもバリバリ、ニュー・ウェイヴ色もバリバリの『NITE FLIGHTS』でしたが、案の定といいますか、ウォーカー・ブラザーズ最後のアルバムとなりました。以降再結成はナシ(笑)。そんな中またイギリスに戻りソロ活動に転じたスコット・ウォーカーですが、80年代に彼がリリースした作品は84年の『CLIMATE OF HUNTER』1枚のみでした。こちらも(多彩なジャズ系ゲスト・ミュージシャンを迎えて制作された)アート・ロックな1枚で、インプロ主体の作品となってます。
Scott Walker + Sunn O))) / Soused (2006)

 その後95年に『TILT』を、99年に『POLA X』という映画のサントラを制作したスコット・ウォーカー。アートでアヴァンギャルドな作風は年を追うごとにギンギンに研がれていっております。なんと2006年にはあの4ADに移籍して(!)アルバム『DRIFT』を発表しています。ちなみにその後、こんなカンジのエクスペリメンタルなアルバムをほぼ毎年一枚ずつリリースしてるという、彼の長いキャリア中最も勢力的な活動期に入っています。SUNN O)))は「サン」と発音するノイズ〜アンビエント系のグループで、スコットは彼らと頻繁にコラボしています。


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 ダンカン・ブラウンというSSWの特集をやってみます。ブリティッシュ・トラッドの流れを組む耽美派、美しいハーモニー・ワークに定評アリ、更に美男子、という、もうそれだけで女の子のハートをキュンキュンにさせちゃうようなシンガーですが、サイケ〜パンク〜ニューウェイヴという時代の流れにいつも敏感に反応した彼の音楽はそういうキュンキュンワードだけでは語れないものがあります。そんな彼の側面をいくつかご紹介。(2015年3月27日更新分/選・文=大久)


Duncan Browne / Give Me, Take You (1968)

 アンドリュー・オールダム率いるイミディエイト・レーベルよりデビューしたダンカン・ブラウンの処女作。美しいジャケも最高ですが、当時のイミディエイトのサイケ〜ソフトロック路線をマンマ反映したフォーキーな作品となりました。元々ハーモニー生成が得意だった彼は、自身作のみならずティム・ハーディンやナイス(キース・エマーソンの)等でもその手腕を発揮しています。

Duncan Browne / Journey (1972)

 案の定、ですが(笑)イミディエイトでは商業的成功とは無縁でした。オールダムと金銭面でも決裂し同レーベルを離脱。サイケな路線から徐々に離れ、(当時の)ポール・マッカートニー的なアプローチを目指すようになります。そんな中72年に発売され、彼の最大のヒット曲となった「JOURNEY」。本曲を含めたセカンドは、ミッキー・モスト率いるRAKレコードから発売されました。

Metro / Criminal World (1976)

 76年、ダンカン・ブラウンはバンド活動に勤しみます。ピーター・ゴドウィンというこれまたイケメンのヴォーカリストとメトロというユニットを結成。もうフォークだなんだという世界とは無縁の、シンセバリバリのユーロ・ニュー・ウェイヴの世界です。適切な形容ではないかもしれませんが、乱暴に言えばコンプレックス(吉川&布袋の)みたいなモンでしょうかね。実はドラムを叩いてるのはサイモン・フィリップスだったりします。同曲はボウイが83年にカヴァー。

Duncan Browne / The Wild Places (1978)

 バンド活動と並行してソロ活動も行なった、と各文献には書いてありますが、実際にはメトロというバンドはアルバム一枚で決裂しています。そんなアタリもコンプレックス的といいますか(笑)。こちらは78年に発表されたダンカン・ブラウンのソロ曲。大ヒット、とはいきませんでしたが、イアン・マシューズやバリー・マニロウ(!)等多くのカヴァーを生んだ、代表曲のひとつ。この曲は91年に再リリースされ、ドイツではTVCMで使用。それを受けてヨーロッパでヒットを記録しました。

Duncan Browne / American Heartbeat (1979)

 もはや(英トラッド・ロックのクラシックとして有名な)イミディエイト時代の面影はなく、79年のソロ作でもニューウェイヴ感バリバリのユーロ・ロック作品となりました。こちらもメトロからの流れでサイモン・フィリップスがドラムを、そしてキーボードを担当してるのはトニー・ハイマスだったりします。とんでもなく屈強な布陣ですが、音楽はやはりダンカン節とも言えるややナヨっとしたもので(笑)。

Duncan Browne / Theme from Travelling Man (1984)

 ダンカン・ブラウンは80年代半ばに、英グラナダTV制作のドラマ「トラベリング・マン」の音楽を担当しています。このテーマ曲は84年に英シングル・チャート入りしましたが、彼にとって最後のヒット曲ということになります。この後前述した「WILD PLACES」の再評価等もありましたが、ダンカン・ブラウンは93年にガンで亡くなりました(享年46)。



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