てりとりぃ放送局アーカイヴ(2015年7月17日〜2015年7月31日分)

 例えば80年代、糸川蛍子「夜明けの仲間たち」やスティーヴン・シュラックス「BLUE DOLPHIN」を聞く度に「ああ朝が始まるな」と脳内が強制リセットされた人は多いかと思います。またその一方、夜通しオフザケをしまくるイビザ島のダンスパーティー等ではチルアウト系の「ドーン(DAWN)ソング」でその日をシメるというパターンが90年代に定着しました。で、今回の放送局は「夜明け」特集。思いつくままに選んでみたのであまり脈絡はありませんが、深夜〜朝方の作業用BGMにでもご活用いただければ。(2015年7月17日更新分/選・文=大久)


Orbital / Belfast (1991)

 91年発表の3作目のシングル「III」は、オービタルにとって最大のヒット・シングルとなりました。91年、まだこういう音楽が「テクノ」「アシッドハウス」「レイヴ」というジャンルでなんだかゴッチャにされて語られていた時期です。アルバムでは「MIDNIGHT」という曲の直後に配置されたこの曲、途中挿入される女性ヴォーカルは、ソプラノ歌手エミリー・ヴァン・エヴェラの声をサンプリングしたもの。

Sade / Cherish The Day (1992)

 この頃のシャーデー、世界で一番カッコいい女性でしたよね。しかもブッチギリで。新曲を出すだけで、新しい写真が公開されるだけで、彼女が何かをするだけで驚きを与える、そんな存在でした。「その日を掴む(SEIZE THE DAY)」ではなく「その日を愛でる(CHERISH THE DAY)」。うーん、なかなかそんな悟りの境地にはほど遠いですね、筆者は。

Enigma / Return to Innocence (1993)

 エニグマのこの曲、実は今でも日本の深夜(スポーツ系)TV番組で定番的に流れていますよね。エニグマは「SADNESS」という世界的ヒットで知られますが、ルーマニア系ドイツ人、ミハエル・クレトゥとそのご夫人サンドラ・クレトゥを中心にしたユニット。(これも何十回も書いた気がしますが)サンドラ・クレトゥさんは70年代末に日本で大人気を誇ったディスコ・グループ、アラベスクのメンバーだった女性です。

The Ballistic Brothers / Uschi's Lament (1995)

 個人的に大好きなジャケ・ベスト10には必ず入る、バリスティック・ブラザーズの最初のアルバム『LONDON FOOLIGAN SOUL』(タイトルも完璧ですね!)。人気DJ、アシュリー・ビードルによるユニットですが、彼にとって最初のヒット作となった本作のクロージング・ナンバーはこの「USCHI'S LAMENT」でした。


Denki Groove / Smoky Bubbles (1997)

 夜明けというのは、夢から覚める瞬間でもあります。ついさっきまで目の前にあった夢が急に遠い昔の想い出になってしまう瞬間でもあります。ハッキリいってワケのわからない歌詞の曲ですが、多分そういうことなんだと思います。名作『A』収録の、砂原まりんテイストの色濃いダウナー曲ですね。
Kyte / Sunlight (2008)

 完全にチルアウト・マナーの曲ですが、KYTEは3人組のバンドです。ポスト・シューゲイザーともチルウェイヴとも呼ばれたりもする彼らのデビュー作(当時まだメンバーは全員20歳でした)収録曲。この後彼らはもっとエレクトロニカ寄りになっていきます。ところで、あれっ以前もこの曲載せたな、と思い出し過去ログをあさったところ「PRIDEテーマ曲集」の時に書いてましたね(笑)。


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 最近「ギタ女(ぎたじょ)」という言葉が使われたりしてます。フォークギター担いで青臭い日々のモンモン(笑)を歌にする若いSSWの女の子が増えたのを指して使われるのですが、まあそんな流行言葉はともかく、今回はマドンナの特集です。マドンナは2000年以降ステージでギターを抱える機会が増えましたが(もちろんそれは年齢的なことに関係すると思います)、彼女がギターを抱えるというのはミック・ジャガーがギターを抱えるのとはワケが違います。なんといってもマドンナですから、マドンナなりのカッコ良さを演出しなければなりませんもんね。というわけで今回は「ギターを弾くマドンナ」を集めてみました。(2015年7月24日更新分/選・文=大久)


Madonna / Don't Tell Me (2000)

 動画中「アタシギターを弾き始めたばかりなの」という言葉も出てきますが、人前でギターを弾くようになったその初期にあたる2000年、人気TV番組「レイト・ショー WITH デヴィッド・レターマン」に出演しアコギを披露するマドンナ。同年彼女はドン・マクリーン「AMERICAN PIE」のカヴァーを大ヒットさせた時期でもありますから、アコギとマドンナが密接な関係にあった時期とも言えます。それにしても、ちゃんと生でこれだけ歌える人、なかなかいませんよね。

Madonna / Material Girl (2004)

 ギターを弾き歌を歌う動画でありながらも、ギター演奏に関して述べることは基本的にありません(笑)。彼女のステージになくてはならないヒット曲「MATERIAL GIRL」ですが、こんな戦時中のピンナップガールみたいな軍服衣装で登場し、大ヒット・ダンス・ナンバーにもかかわらずマドンナは一切踊らずにレスポール・カスタムをかき鳴らすだけで「マドンナ」を演じ切る。その演出の素晴らしさに脱帽します。

Madonna / I Love New York (2006)

 さあ、個人的に彼女がギターを弾く動画No.1に挙げたいこちらの登場です。どうですかマドンナ。カッコイイにも程がある、というくらいカッコ良すぎ。こういうの見ちゃうと、ギターを弾くという行為に関して上手い下手だけで語る下らない輩はあっちイケ、と思いますね(笑)。ベタベタな70Sディスコ・ボキャブラリーで構成されたこの曲の素晴らしさもありますが、実は昨年当方が作ったあるCDジャケのデザインはこの動画のマドンナにインスパイアされたものだったりします(笑)。

Madonna / Borderline (2008)

 レジー・ルーカス作、初期マドンナの名曲「BORDERLINE」がこんなハードロックで蘇ります。荒っぽい歌い方と歪みまくったギター音とは対照的に、マドンナの声が80年代そのままであることに驚かされます。それにしても、言っちゃいけない言葉(M.F.)を叫んじゃう辺り、うふふ、いつまで経ってもまったく困った女性です(笑)。

Madonna / Hung Up (2008)

 ABBAの曲をサンプリング使用し世界中を驚かせたディスコ・アルバム『CONFESSIONS ON A DANCE FLOOR』は05年発表。当時は例のピンクのレオタードで世界中を熱くさせましたが、08年の『HARD CANDY PROMO TOUR』ではこんなヴァージョンで披露されました。いいですね。下手糞なピックスクラッチに胸が熱くなりますね!ちなみに2001年、カッコつけてギター弾いてたらケーブルが刺さってなかった、というオチャメなミスを披露してしまったこともあります。

Madonna / Don't Cry For Me Argentina (2008)

 最後は再びアコギでこちら。マドンナが映画『EVITA』でこのクラシック・ソングを歌い話題になったのは96年のことで、当時アルゼンチンでカリスマ視されるエビータ役を、あのマドンナが務めることに反対した人々が抗議デモを行なったりもしたのですが、以降このスタンダードはすっかりマドンナ抜きでは語れない曲となりました。このツアーでこの曲が歌われたのは、アルゼンチン公演のみ、でした。さすがマドンナ。やっぱりマドンナ。


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 バリー・ブルーという人をご紹介してみようと思います。よほどの洋楽ファンでないとその名前は知らないかもしれません。イギリスの作曲家/プロデューサーさんなのですが、ご自身名義の大ヒット曲を持つシンガーでもあります。グラム・ロック本の中で彼を紹介してみたことがありますが、もちろんグラム・ロックだけの人ではありません。それでは彼のキャリアをご覧下さい。(2015年7月31日更新分/選・文=大久)




Lynsey De Paul / Sugar Me (1972)

 バリー・ブルーは本名バリー・グリーン(!)。1950年ロンドン生まれ。楽器を演奏したりもしましましたが、音楽業界に入ったのはレコード会社のA&Rとして。60年代のビージーズ(つまりまだビージーズがブレイクする前)を手がけたそうです。で、作家としてのデビューがこちらの曲。リンジー・デポールのデビュー曲にして世界的ヒットとなった「SUGAR ME」を書きました。甘ーいメロのバブルガム・ソングですね。

Big Wheel / Shake A Tail (1973)

 上述曲のヒットを受けて、彼はベル・レコードと作家契約を結びます。ベル・レコードといえば当時ゲイリー・グリッターがイケイケでギンギンだったレーベル。というわけで、こんなグラム・ロック曲を作曲&プロデュースしています。バンド名義ですが実はこの曲のみの単発ユニットで、イギリスでスズキのオートバイを宣伝するためだけに作曲・制作されたシングルでした。


Barry Blue / Dancin' on a Saturday Night (1973)

 そして自身名義で73年にデビュー。もちろんグラム〜グリッター・ビートという当時の流行をベタベタに取り入れたこの曲は全英NO.2になる大ヒットとなります。その後も「DO YOU WANNA DANCE」(7位)、「SCHOOL LOVE」(11位)等のヒット曲を生んでますが、一般的に彼の名は「DANCIN'〜」の一発屋として認知されていることが多いですね。

Heatwave / Boogie Nights (1977)

 自身のソロ・キャリアが一段落(笑)したころ、プロデュース業に舞い戻ったバリー・ブルーですが、実はイギリスが誇る最大のディスコ・ファンクの名曲、ヒートウェイヴ「BOOGIE NIGHT」はバリー・ブルーのプロデュース曲でした。近年も同名のディスコ映画やミュージカルが制作されるほど、イギリスのディスコ文化を語る上で外せない名曲ですよね。

Cheryl Lynn / Love Bomb (1979)

 すっかりディスコの世界にハマったバリー・ブルー。79年にはあのシェリル・リンのセカンド・アルバムを丸々プロデュースで参加しています。とはいえ、実はこの2作目は彼女の作品中最も売れなかった作品となってしまいましたが(笑)。同曲は75年に書かれたリンジー・デポールのカヴァー。

Bananarama / Doctor Love (1983)

 時代は80年代。セックス・ピストルズの追っかけだった10代の少女を取っ捕まえて結成されたユニット、バナナラマのデビューを手がけたのもバリー・ブルーでした。実は彼女達は最初マルコム・マクラーレンにプロデュースしてもらおうと考えましたが拒否され、結果バリー・ブルーがプロデュースしたこのダンス路線で成功することになります。とはいえ、後のPWL時代に比べたらアレですけど(笑)。この曲はポール・ウェラー作曲、トレイシー(・ヤング)も歌ったエレクトロ・ファンク曲。


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