2015年8月21日(金)

 
「ミシェル・ルグラン自伝」について


 本誌編集長の濱田さんから「ミシェル・ルグラン自伝」の日本語版を渡されたのは、東京に滞在中の七月後半で、刷りたてのほやほやだった。連日取材や九月開催の「アルファミュージックライブ」の打ち合わせでかなりきつい日程のなか、深夜、ベッドにもぐりこんでこの本を開き、ミシェルの世界に浸ることが出来たのは大きな幸せだった。
 ミシェルとの付き合いは四十数年におよび、ミシェルのことは大抵わかってい

るつもりだったが、読んでみて〝そうだったのか〟と改めて知ったことが沢山出てくる。自分自身と正面から向き合い、正直に赤裸々に自分の人生を語るミシェルの物語は驚異に満ちていた。現在と過去を交互に交えながら展開する構成は、作曲家が“コンポーザー”と呼ばれ、物事を整理し、うまく並べ替えたり、新しい工夫をこらして作曲するやり方と似ていて、いかにもミシェルらしい。垂直的に進行する普通の自伝より

はるかに文学的だ。
 冒頭、フランソワーズ・サガンの献辞が現れる。僕はサガンの愛読者で、サガンのスキャンダラスな私生活、スピード狂で尋常ではない賭博者、時には麻薬に溺れる人生、について興味を持っているのだが、サガンがミシェルの人生と音楽をここまで本質的に捉えて文章を書いていることに感動した。全部は紹介できないが一部引用する。
 「なによりも、彼は詩人、抒情詩人であり、〝抒情とは叫びを発展させたもの〟。ミシェルはすべてについて思いのままに、尽きることなく叫び声をあげる。愛について、人生について、悲しみについて、信じがたい幸福ーー音楽という狂気の愛人に彼自身がずっと追いかけられ、さいなまれ、愛されてきた幸福ーーについて。その都度彼女に屈服し、

精気にあふれ、胸を刺す、悲痛な歌の数々を作曲する幸福について。そしてそれらを、人生の中で絶え間なく低い声で自分に歌って聞かせた後で、私たちのために、高らかに歌ってくれる幸福について」
 この献辞は1972年にオランピア劇場で行われたミシェルとカテリーナ・ヴァレンテのコンサートのプログラムに掲載されたもので、濱田さんが発掘してきた貴重な文だ。ぼくはこのコンサートに招かれミシェルの楽屋でミシェルとまだ小学生だったミシェルの息子ベンジャマンが仲良く遊んでいたのを見ている。同じ時期にヴィラ・モリトールのミシェルの家で何回か食事を共にしている。旧式の手回し映写機があって、ハリウッドから送られてくるフィルムを一コマ一コマ見ながら作曲していた。そ

のことは自伝にも書いてあって、今はデジタルとインターネットの時代になって不要になったが、いまだその映写機を持っているそうだ。
 次に感銘を受けたのは、音楽教師ナディア・ブーランジェとの師弟関係のことだ。ナディアは高名な音楽教育者で彼女なしに20世紀前半の音楽史は語れない程の人だ。特にアメリカではアーロン・コープランドなどのクラシック作曲家のみならず、クインシー・ジョーンズやキース・ジャレットなども門下生リストに名を連ねている。ナディアはミシェルの才能に魅せられ、情熱的に教育した。愛する者を鞭打ち、しごきにも似たようなことをして音楽のすべてを教え込んだ。15歳から20歳までのミシェルはこの厳しい教育のためほとんど自由な時間がなかった

という。しかし得たものは大きかったとミシェルは書いている。 
 「最初に極端な厳しさと訓練を課すことによって。ナディアは努力の意味を私にたたき込んだ。映画音楽の作曲をはじめた時から、私にはすべてが容易に感じられた。なんの苦労もなく、三晩続けて作曲に打ちこむことができた」
 もう一つのこの自伝の魅力はいくつか出てくる箴言(アフォリズム)だ。ミシェル自身と、イゴール・ストラヴィンスキーの言葉を引用しよう。
 「私の創作への原動力になるものはアカデミーの燕尾服ではなく、好奇心にあふれた精神と即興性、そして音楽自体の豊かさと多様性だ。そしてもっとも重要なのは、永遠に初心者のままいられる能力である」(ミシェル)

 「芸術は枕の上に新しい場所を見つけることで成り立つ」(ストラヴィンスキー)
 この言葉をストラヴィンスキー自身から聞いたミシェルが解説する。「問題の場所を見つけることは難しいことではない。しかしそれはすぐに生温くなってしまうので、また別の場所を探さなくてはならない。それが生き残るための唯一無二の解決策なのだ」
 ミシェルは言葉を大切にする音楽家だということを再認識した。
(村井邦彦=作曲家)
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●『ミシェル・ルグラン自伝 ビトゥイーン・イエスタデイ・アンド・トゥモロウ』著・ミシェル・ルグラン/共著・ステファン・ルルージュ/訳・高橋明子/監修・濱田高志/アルテスパブリッシングより発売中



結成60周年!コーラスグループの雄、デューク・エイセス
が歌うCMワークスの集大成が「TV AGE」よりリリース!!


 「いい湯だな」や「女ひとり」を生んだ「にほんのうた」シリーズや、アニメ「鉄人28号」をはじめとするテレビ主題歌など、誰もが口ずさめる多くのスタンダード・ナンバーを歌い続けてきたデューク・エイセスは、CMソングや企業のPRソング、社歌などのレコーディングも膨大な数に

及ぶ。これまで様々なアルバムが編まれてきたにも拘わらず、それらを纏めたものは意外にもなかったが、この度、濱田高志企画・監修によるTVエイジ・シリーズの一枚として、待望の作品集が完成した。昭和30年の結成から60周年にあたる今年、前々から企画されていたという画期的なアル

バムが実現に至ったことは実に意義深い。
 デューク・エイセスのCMソングといって思い出されるのは、世代によって異なるだろう。『鉄人28号』をリアルタイムで見ていた方であれば、主題歌の最後に連呼される〝グリコ〟のメッセージは強く印象に残っている筈だ。また、発売元の日清食品がスポンサーだったことからTV番組『ヤングおー!おー!』のテーマソングにもなっていたカップヌードルのCMソング「ハッピーじゃないか」は、70年代初頭に青春時代を過ごした向きにはすっかりお馴染み。ほっこりさせられる「かに道楽」は、関西在住者のみならず、広く知られている歌だ。
 全40トラックに及ぶアルバムは、70年の新しいコカ・コーラの歌「ビッグ・ニュー・ライフ」から始まる。

作詞・作曲のなかにし礼=鈴木邦彦は、レコード大賞を受賞した「天使の誘惑」などの黛ジュンの一連の楽曲、さらにこの前年には奥村チヨ「恋の奴隷」をヒットさせていたコンビであった。大阪万博が開催された年に相応しい、未来志向の洗練されたアレンジが光る。続いては雰囲気をガラリと変えて、日本生命「モクセイの花」。これは「ニッセイのおばちゃん」と言った方が通りのよさそうな、最も良く知られたCMソングのひとつ。そして傑作「かに道楽」が早くも登場する。作曲はもちろん〝浪花のモーツァルト〟ことキダ・タローであるが、今回はこのほかにも氏が手がけた「えび道楽」や「先斗町 いづもや」も収められており、キダファンには嬉しい収穫である。殊に、リズミカルに「四条、鴨川、東山」と

魅力的な地名が謳われる「いづもや」の唄を聴くと、無性に京都へ行きたくなってくる。
 代表作3曲を頭で聴かせた後は、古いところから年代順に作品が並ぶ。コマソン王・三木鶏郎作曲の「ラビーの唄」はビールのCMとおぼしいが、まるでアニメ主題歌の如きキャッチーなメロディが耳に残る。ビールといえばサントリービールの歌「いっちょ飲もうぜ」も男声コーラスの楽しさが活かされた面白い楽曲だ。飲料や食品以外にも、車に家電に医薬品、どんな対象物にも、彼らの歌声はピタリとマッチしており、購買意欲をかき立てる役割を果たしたに違いない。おそるべし安定感。個人的には「白鶴」「スキー正宗」など清酒のCMソングとの相性は特に抜群なのではないかと思われる。作家陣は、

作詞に岩谷時子、永六輔、山上路夫、伊藤アキラ、阿久悠ら、作曲には先述以外にも、中村八大、いずみたく、桜井順、小林亜星ら、錚々たる面々が腕を競い合う。作品の数は小林亜星が圧倒的に多いが、他にもいずれ劣らぬ秀作がズラリと居並んだ、なんとも贅沢なアルバムである。
 終盤では純然たるCMソング以外、社歌や県・市の歌なども収録。いずれも勇ましい曲調、力強い歌声で前向きな気持ちを喚起させる。これらの歌もまた、日本の高度経済成長時代を支えてきた大切なメロディであったことを実感せざるを得ない。デューク・エイセスは東芝レコード所属だったことから、ここに収められている東芝音楽工業の歌「青い空に歌おうよ」を歌っているが、それ以外にも飯田信夫の作曲による東京

芝浦電気の社歌や、いずみたくが作曲した東芝府中工場の応援歌なども彼らが歌ってレコード化(いずれも非売品)されていたことを付記しておきたい。最後のライヴ・メドレーで最高の比較広告が出てくるのに注目されたし。
(鈴木啓之=アーカイヴァー)
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●「デューク・エイセスCMWORKS」ユニバーサルミュージックより絶讃発売中。UPCY7036 定価3240円(税込)
●貴重なCM集、デューク・エイセスの功績を伝える「もう一つの」音楽史。初CD化音源多数収録予定。活動60年にして初のCMソング集となる決定盤!彼らがテレビ草創期の60年代から近年にかけて録音したCMソング集を集大成した企画盤。



クリア・ヴォイスと、ピュアでナチュラルな感性と。
『とみたゆう子 アーリーデイズ・ベスト』が発売!


 中京圏出身の女性シンガー・ソングライターには1つの傾向があるようだ。高木麻早、八神純子、門あさ美、岡村孝子、そして今回紹介するとみたゆう子。いずれ劣らぬクリアなヴォイスと、ピュアでナチュラルな感性を聞き取ることができるだろう。一言でいえば「素直な作風」なのである。

 そういったタイプの女性シンガー・ソングライターが多く輩出される理由は、中心地である名古屋の、大都会でありながらのどかな地方色が融合した独特の生活環境が影響しているのではなかろうか。名鉄電車に乗って名古屋からからひと駅離れるとすぐ高い建物がなくなり、2-3駅進むと

 もう田園風景がちらほら見えてくる。首都圏や関西圏にはこの感じはない。そこに集まる各種女子大・短大の自由で伸びやかな校風もまた、女性たちのナチュラルな感性を育むのだろう。彼女たちのおっとりした雰囲気、見たものや受け止めたものをそのまま音にする方法は、こういった環境から生み出されたものだろう。
 とみたゆう子は高校時代からアマチュア活動をはじめ、名古屋の金城学院短大進学を機に79年、クラウンから「緑の家族のご招待」でプレ・デビューし、81年に「セプテンバー・ガール」で正式にデビューを果たした。海を舞台にした自然志向の楽曲と、シティ・ポップ寄りのサウンドの両輪を発表し続け、アレンジャーに水谷公生や町支寛二、大谷和夫ら腕利きミュージシャンを配しているが、その

中心にあるのは芯の通った美しいヴォーカルである。初期はミルキー・ヴォイス、のちにクリスタル・ヴォイスと呼ばれたその声から生み出される楽曲は、素朴で伸びやかだが洗練された感性を持つ、中京圏ならではの特性を秘めている。
 このたびリリースされた『とみたゆう子 アーリーデイズ・ベスト』は、クラウン在籍時の全シングルA面に加え、アルバムの代表曲、人気曲を収録したベスト・アルバム。彼女の楽曲には1つの特徴があって、たとえばこのアルバムに収録された「うけとめてダーリン!」は83年発売の4作目のアルバム『SHAMPOO』に収録されたビート・ポップだが、この曲の英語バージョン「CATCH ME!」がほぼ同時にシングル発売(B面)されている。同じく本作に収録さ

れているライト・ボッサ「シベールの日曜日」は、アルバム『TIME』収録版と、ハーフベスト『ポートレイト』収録版では歌詞が違う。本ベストには未収録だが「のっぽのボーイフレンド」「ファニー・レディー」など、彼女の楽曲にはこういった歌詞違いの収録がけっこうあり、詞を変更することで楽曲を成長させていく、彼女独特の創作スタイルなのだ。そして自作自演者らしく、デビュー曲から順に収録された本盤を聴いていくと、少女から大人の女に変貌していく1人の女性の成長記録として

楽しむことができるのだ。
 彼女の作品は、コアなファンに支えられてはいるものの、大きくフィーチャーされることは少なかった。商業主義的な作風とは無縁だったこともあるが、その分ピュアで原初的な魅力が気に触れることなく初期のまま留まっており、30年余を経た現在でも、まったく古びることなく、清涼剤のようにすっと耳に入って心に溶け込んでくる。あまり前に出るタイプの音や人ではないのだが、80年代はこういう地味だがクリアな音楽もちゃんと世間に届いていた時代だったのだ。ぜひ聴いてみて、音でリラクゼーションしてください。
(馬飼野元宏=『映画秘宝』編集部)
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とみたゆう子『アーリーデイズ・ベスト』日本クラウンより発売中