クリスチャン・ミュージックのクリエイターでもあるデイヴ・ポープが、ポップ路線に思い切り舵を切って製作した78年作。もちろん宗教色濃い楽曲も沢山ありますが、「WE'RE ALL ALONE」なんかに混じってこのレスリー・ダンカンのカヴァーも収録されてました。プロデュースを担当したのはクリフ・リチャードでした。
Morgana King / Love Song (1979)
いきなりの4ビートで驚きますよね。ジャズ・ヴォーカルの第1人者モーガナ・キングの79年録音カヴァー。本曲収録のアルバム『EVERYTHING MUST CHANGE』はポップ・カヴァーを多く含み、ビリー・ジョエル「素顔のままで」、ジョージ・ベンソン「THIS MASQUERADE」等も収録。同年彼女はビリー・ホリデイのトリビュート・ライヴに出演し、ハリウッドボウルでのコンサートも成功させています。
イギリス・リヴァプールのお話です。とはいえユルゲン・クロップ氏を迎え入れたリヴァプールFCの話でも、ビートルズの話でもありません。かの地が生んだチョイとアタマのオカシな音楽家・ビル・ドラモンドとその周辺にタムロしたミュージシャン達を特集してみようと思います。以前タイムローズ「DOCTORIN THE TARDIS」特集をやったこともありますが、そちらも併せてお楽しみいただければ幸い至極に存じます。(2016年1月15日更新分/選・文=大久)
ビル・ドラモンドはリヴァプールの町をフラフラしてるある美少年に目を付けました。それがジュリアン・コープという青年でしたが(笑っちゃいますが、これジュリアン・コープ自らそう発言しています)、彼をフロントマンとしたバンド、ティアドロップ・エクスプローズをZOOレーベルからデビューさせています。ちなみにこのバンド、初期ザ・スミスのプロデューサーでもあったトロイ・テイトも参加しています。 Strawberry Switchblade / Since Yesterday (1984)
そんなワケで自らがフロントに立つ訳ではなく、裏方としてリヴァプールの音楽シーンを闊歩したビル・ドラモンドでしたが、その手腕が買われて80年代には英ワーナーで外部ディレクターとして雇われることになりました。そしてぶっ放したのがなんとストロベリー・スウィッチブレイド(!)。素晴らしいですね。彼女達はグラスゴーの出身なのでリヴァプールとは関係ありませんが、ドラモンド自らマネージャーも買って出、ワーナーで大成功を収めた2人組です。 Brilliant / It's a Man's Man's Man's World (1986)
そしてこちらも同じく英ワーナーでビル・ドラモンドがA&Rを担当したユニット、ブリリアント。元キリング・ジョークとか元アイスハウスとか、周囲の音楽家をかき集めて作ったユニットで、残念ながら大したヒットには至りませんでしたが(全英58位)、このレゲエ・ポップ曲は実は記念碑的な作品でもあります。それはこの曲は後に世界中を席巻するあのストック・エイトキン&ウォーターマンが初めてプロデュースを担当した曲だったからです。 Bill Drummond / Julian Cope Is Dead (1990)
最後に余談となりますが、ドラモンドは05年以降5年連続で毎年「NO MUSIC DAY」というイベントを主催しています。イベントとは言っても大したことはしないのですが「音楽のない日」を提唱し各メディアに「音楽をかけるな」と主張しデモ活動を行なっています。本人いわく「一切の音楽が存在しない1日。それがあって初めて人間は必要な音楽が何かを真面目に考える事ができる」。うん。どこも間違ってはいませんよね。素晴らしいです。