2016年1月15日(金)

 
私的作家思考[09] タイムスリップ小説


 主人公たちが学校帰りのバスの発車を待っていると、不思議な姿をした少年が乗り込んできてバスを発進させてしまった。そして、そのバスが向ったのは終戦直後の日本だった……。高校生時代に眉村卓『とらえられたスクールバス』を読み、タイムスリップものの小説にはまった。86年には『時空(とき)の旅人』と題されてアニメ映画化、主題歌の竹内まりや「時空の旅人」は、休業から復活した彼女の「もう一度/本気でオン

リーユー(レッツ・ゲット・マリード)」、「恋の嵐」に続く3作目のオリコン・シングル・チャート・ベスト50位入りのヒットとなった。原作本は現在では『時空の旅人』と改題されて発売されている。
 戦時中の東京。主人公は、空襲にあい息絶えようとする隣人から「18年後の今日、ここに来てほしい」という奇妙な頼まれごとをする。そして約束の時、その場所には隣人が開発したタイムマシンがあった。そして、

中から姿を現したのは……。作家の広瀬正の代表作であり、70年代の国内SF長編を代表する作品でもある『マイナス・ゼロ』。主人公は、戦前の時代に放り出されてしまうが、当時の時代の雰囲気が手にとってわかるようにノスタルジックで綿密に描かれており、そこもこの作品の大きな魅力のひとつだ。タイムスリップ小説を読み始めた直後に、この作品に出会えたのは幸運だった。結局この作品ほど高い完成度の作品は無かったが、出会っていなければタイムスリップ小説にはまることは無かっただろう。広瀬は、SF作家としてのほかに、デビュー前は11人編成のビッグ・バンド、スカイトーンズを率い、テナー奏者、編曲家として活躍していた。スカイトーンズには、ラッツ&スターの桑野信義の父である先名信勝

(tp)も在籍していた。また、海外ではクラシック・カーのモデル製作第一人者として知られていた。
 受験のために上京した主人公は、二月二十六日にホテル火災に見舞われた。間一髪である男に救助されたが、そこはなんと昭和十一年で、二・二六事件が起きようとしていた……。宮部みゆき『蒲生邸事件』を手に取ったきっかけはもちろんタイトルだった。蒲生譲二がスペクトルマンとなって地球を守る特撮ドラマ

「スペクトルマン」、三波伸介扮する蒲生剛一刑事が活躍するドラマ「刑事ガモさん」シリーズ、虎族のリーダーの蒲生茂が活躍するドラマ「満福少女ドラゴネット」などに愛着を感じるのと同じように、発売当初タイトルに惹かれて購入してみたが、これが素晴らしいタイムスリップ小説だった。結果、第18回日本SF大賞を受賞、NHKテレビとラジオでドラマ化もされた。
(ガモウユウイチ=音楽ライター/ベーシスト)



今日も今日とて伽哩日和


 気がつけばここ2年ほどで延べ300店越えるカレー屋の敷居を跨きました。北インドから南インド、ネパール、スリランカ、パキスタン、東南アジア、そして欧風、中華風、日本風、はたまた無国籍的なものまで、カレーといっても多岐に亘り、味もスタイルも様々。巡れば巡るほど、行き

たいお店が増えていくという悪循環、いや好循環に。というわけで、今年も元旦からカレー詣です。
 初カレーは高円寺。甥っ子の用に付き合って普段はめったに足を踏み込まない中央線沿線、このディープな街に。南口にも北口にも商店街があり、その商店街を遅めのランチが取れそう

な店を物色しながら、ふらふら散策。庚申通りがそろそろ早稲田通りに突き当たる少し手前に〝一歩は入ればそこはインド〟という看板が下がった「カレーハウスコロンボ」というお店を発見。元旦に開いているのはラーメン屋ぐらいかと、半ば気持ちは麺モードになっていたところに目に入ったカレー屋。吸い込まれるように店内へ。サリーを身にまとった妙齢の女性がお出迎えです。店内を見回すとエスニックな雑貨がいっぱいで、壁には雑誌で紹介された記事の切り抜きやサイン色紙がびっしりです。なんだがインドの香りと共に昭和の香りもする店内。メニューに目をやると「インドマサラカレー」としっかりインドカレーもありましたが、ここはお店一押しの「粟お鶏(あわおどり)カレー」を注文することに

しました。そう、高円寺は阿波踊りの街。こじつけ感満載ではありますが、ご当地カレーということで。
 カレーが運ばれてくる間、壁に貼られた雑誌の切り抜きに目をやると、「店内はサザンの曲がかかり、サザンにちなんだメニューもある…」という記事を見つけました。さっきから店内にはサザンの曲が流れ、メニューには「サザン、シーフードマサラカレー」というカレーも。そういうことだったのかと合点(って、マダムには聞けませんでしたが、サザン好きのインド好きということなのですね)。
 待つこと15分。運ばれてきたのは中央にターメリックライス&十五穀米、左右に鶏ひき肉ピリカレーとチキンマイルドカレーの2種類のカレーがかかっている一皿。バリバリのインドって感じよりはインド風日本

のカレーといった味わいで、とても食べやすい。これが長く街に馴染んでいる所以でしょうかね。美味しく頂きました。お代のうち10円は阿波踊りの実行委員会に寄付されるようです(少しは貢献)。いつ再訪かはわかりませんが、折角なのでスタンプカードも作ってもらっちゃいました。
 そういえば、コロンボっ

てインドじゃなくて、スリランカじゃないの?店内に開店20周年と張り紙があったけれど、ということは、開店は平成8年。昭和の香りって発言は撤回しなければ行けないな、などとツッコミを入れつつ、店を後にしたのでした。
(関口茂=音楽ディレクター)



本場の味らーめん直久


 今年3月31日にオープンする「東急プラザ銀座」。ハンズの新業態店「ハンズエキスポ」や昨年、自由が丘に1号店がオープンしたNYのグルメバーガー「ベアバーガー」などのテナント出店で、既に話題になっているが、2012年までここは、旧数寄屋橋阪急ことモザイク銀座阪急だった。GAPの日本一号店やHMV数寄屋橋もここにあり、セール時にはよく通ったものである。そして、その地

下には「直久」というラーメン屋があった。東京直系の醤油ラーメンで、シンプルで飽きのこない味は、多くのファンを獲得した。500円以下という値段も人気の秘密であったが、4年前の同ビル閉店に伴い、銀座から「直久」の文字が消えてしまった。それに合わせた訳でもないのだが、何故か、私自身も「直久」に行く事が無くなった。
 先日、所用で大久保駅に久々降りたところ、「麺処

直久」の文字が見えた。既に昼飯を済ませたばかりだったが、吸い寄せられるように中に入ってしまった。昔のメニューとは異なっていたが、〝創業以来、守り続けてきた味〟という説明書きの「純鶏らーめん醤油」を迷わずチョイスしたところ、懐かしい味がそこにあった。HPで確認したところ、現在、「直久」は「麺処直久」「らーめん直久」の2業態で店舗展開し、都内でまだ12店舗もあることがわかった。「らーめん直久」では、いまだに470円の低価格で、オリジナルメニューの「とんさいらーめん」も健在とのこと。
 最近のラーメンは「直久」の様な直球な醤油ラーメンが少なくなった。〝魚介系+鶏スープ〟とか〝トンコツ+煮干し系〟などの合わせスープが主流で、ストレートな味が楽しめない。ラ

ーメン食べ歩き全盛時には、そういった新たな創意工夫が見える味を好んだものだが、最近はシンプルで、飽きのこない味が好きになった。純正の醤油ラーメンは、子供の頃に食べた中華そばを彷彿させ、郷愁もそそられる。
 「直久」は、大正3年に山梨県甲府市で日本そば、うどん、中華の店「更科」を開業し、昭和42年10月に「本場の味らーめん直久」を銀座すきや橋にオープンしたのが最初らしい。銀座は「らーめん直久」の創業の地なのである。一時は、銀座松屋、日本橋三越などにも出店していた老舗なのだ。カライライスでおなじみ「ニューキャッスル」が復活したように、「直久」も是非、創業の地、銀座に戻ってきて欲しいと思うのは私だけだろうか。
(星 健一=会社員)