限定一五〇部のフリーペーパー「月刊てりとりぃ」が創刊されて、丸二年が経過しました。先日二周年を記念して、LDKスタジオ(東京・音羽)にて記念集会が行なわれましたが、「てりとりぃ」執筆陣を中心に関係者数十名が集い、歌あり酒あり歓談あり、のちょっと贅沢なパーティーでした。その「てりとりぃの集い」に参加された方へのプレゼントとして、編集
部では宇野亜喜良さん描き下ろしイラストをあしらったTシャツ&エコバッグを製作したのですが、今回そのTシャツとエコバッグを、若干数ではありますが、ご希望の皆様に販売することにしました。数に限りがありますのでストックがなくなり次第販売は終了となりますが、「てりとりぃ」をご愛読いただいている皆様や、宇野亜喜良ファンの方も是非。(文=編集部)
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音源発見! CDでよみがえる幻のドラマ『お荷物小荷物』
今をさかのぼること42年前、大阪で万国博が華々しく開かれた一九七〇年は、日本にとって「シンセサイザー元年」である。この年にアメリカ製の小型シンセサイザーの輸入が始まり、またたく間にわが国の音楽界を席巻したからだ。この革命的な電子楽器が使われた、もっとも初期のテレビドラマ『お荷物小荷物』。
その貴重な音楽テープがこのたび見つかり、去る7月25日にCD発売された。 『お荷物〜』は70〜72年に放送されたスタジオドラマで、計2シリーズがつくられた(制作は大阪の朝日放送)。主演の中山千夏は「時代の寵児」で役者、歌手、司会者、文筆家と多方面で活躍する、まだ22歳の若き才女だった。
ある一家に復讐するべく素性を隠して家政婦として働きだした、中山千夏演じるヒロイン。『お荷物〜』は彼女の奮闘ぶりをコミカルに描いたホームドラマで、役者が演技の途中で素にもどって今、しゃべったセリフの感想を述べたり、わざとセットの裏側を見せるなど、ドラマ作りの常識を破った「脱ドラマ」演出が人気を得た。またこの番組は、放送当時の日本を浮き彫りにした。一家への復讐に燃える沖縄出身のヒロインと、ひたすら女をさげすむ封建的な一家の男たち。両者の衝突が、本土返還を2年後にひかえた当時の沖縄と日本の姿に重なったのである。 番組は最高視聴率36パーセントを記録し、特に子どもたちに強烈な印象を残した。マンガ家のさくらももこ、音楽家の小西康陽、劇作家の鴻上尚史、宮沢章夫
ら、幼いころにあのドラマから受けた衝撃を公言する現役クリエイターも多い。 音楽担当は、今も活躍するジャズピアニスト佐藤允彦、当時29歳。十代から電子音楽に魅せられ、日本に輸入されたばかりの小型シンセサイザーを買うと、さっそく『お荷物〜』で演奏した。当時のシンセサイザーはまだ単音しか鳴らせなかったが、CD収録の音源を聴くと、その音色は実にユーモラスで愛らしい。 また、計5テイクが収められた主題曲のメロディーは、日本でも大人気だったアメリカの作曲家、バート・バカラックの作風を思わせ、『お荷物〜』の音楽が、流行の最先端を走っていたことがわかる。加えて劇中歌の「あの手この手」と「誰も知らない唄」も初収録。いずれも歌ったのは、同ドラマに出演した俳優の
佐々木剛で当時、彼は『仮面ライダー』で主人公を熱演中で、チビッコたちのヒーローとなっていた。特撮ファンは必聴の2曲である。 CDの副読本として、全60ページのブックレットが付いている。ロングインタビューが掲載された音楽の佐藤允彦、主演の中山千夏は、制作現場で感じた熱気に言及。さらに、初再録された第1話の脚本を読むと「脱ドラマ」とは何かがわかり、作者の佐々木守は、エッセイで「脱ドラマ」の誕生秘話を明かしてくれる。 『お荷物〜』は大胆奇抜な手法で世間をおどろかせ、挑発し、日本の「いま」を笑いにくるんで描いて見せた。番組づくりに注がれた情熱と冒険心は、CD収録された曲たちの生き生きとした演奏からも、十二分に感じ取れるはずである。 (加藤義彦=文筆家)
ウチの本棚
[不定期リレー・コラム]第6回:関根敏也の本棚
日々増え続けるCDやレコードの棚を確保する為、書籍に関してはいつの頃からかすっかり図書館を頼るようになってしまった。幼少の頃に収集していた雑誌や漫画の単行本も、実家から引っ越しをする際に整理してしまい、その大半はどこへ行ったのかさえ分からない。そういったわけで、私の部屋にあるこぢんまり
とした本棚には、ある特定の年代(主に九〇年代である)に購入した青春の蹉跌とでもいうべき書物が埃をかぶった状態で温存されることになってしまった。村上春樹、庄司薫、ポール・オースター、ヘミングウェイ、サマセット・モーム、ドストエフスキー、ペイネ、『ライ麦』、『星の王子様』、『路上』、『うたかたの日
々』、『百年の孤独』等々の青く痛々しい定番ものから、旅や食、映画に関するライト・エッセイが、往時を偲ばせるように場を占拠している。居並んだ本の前にはポストカードやフライヤー、ルービック・キューブ、ラッセル・ヨーヨー、パックマンのキーホルダー、その他小物が鎮座ましましており、懐旧の書が安易な心持ちで棚から引き抜かれることがないよう、堅いガードで一帯を覆っている。もはや、本棚なのか飾り棚なのか分からなくなってしまったこの棚には、最近、小沢健二作品集「我ら、時」の豪華な化粧箱が加わった。同梱されていた本とCDは別の場所に保管済みだ。 ※ さて、ここまで書いておいて話を覆すようだが、私の本当の本棚は、あるいはベッドの横に無造作に積み
上げられた本や雑誌の山を指すのかも知れない。特に場所を定めた訳でもなく、いつ手にとっても気安く眼を遊ばせることのできる本や雑誌、フリーペーパーの類が、自然この場所に集積されてしまった形だ。 眠りに着くまでのひと時、ベッドの背に置かれたクッションに寄りかかり、手元のCDラジカセで購入したばかりのソフトロックやAORのCDを聴きながら、旅先で買った写真集を眺めたり、旅行書のページを繰
ったり、各種レコード・ガイド本を読むでもなく読むのが私の一番リラックスできる時間である。 そして、いつか書庫のある大きな家に住まう自らの姿を思い描きながら、私は今日も眠りにつく。『夢の住人、夜の旅人』というわけだ。読みかけた本と音楽が導く眠りはこれ以上なく心地良い。 さて、今日の夜間飛行の着陸地はどこだろう。 (関根敏也=リヴル・アンシャンテ)
DANCE YOUR ASS OFF TO DISCO MUSIC
シンコーミュージック・ムック「THE DIG PRESENTS DISCO!」発売によせて
「ディスコ」。最初は踊る場所のことを指した言葉でした。七〇年代になると、クラブ・カルチャーとクラブ・ミュージックを指す言葉になりました。現在では主にレトロな響きをもって使われる言葉になったと思われます。ですが、以前「てりとりぃ放送局」でも書きましたけど、ディスコはパンク・ロックに匹敵する革新性と新しいカルチャーを音楽にもたらした、と信じてやまない当方としては、もの凄く思い入れがあ
ります。リアルタイムで東亜会館やツバキハウスを知らない世代のクセに、です。 この夏「ディスコ音楽」に関するムック本がシンコーミュージックから発売になります。もちろんその最大の契機は、先日ドナ・サマーやロビン・ギブ(ビー・ジーズ)が相次いで急逝した、ということが挙げられます。いいことか悪いことかわかりませんが、その訃報がなければこの本は企画会議にもかけられることはなかったでしょう。昨年
の春にはディスコ・ディーヴァのロレッタ・ハロウェイが亡くなっていますが、その時のニュースは外電として日本のネット・メディアがひっそりと報じた、という程度です。音楽誌で報じられた機会は極めて少ないと言わざるを得ません。 さて、威勢良く「ディスコ!」と表紙に打たれた本ではありますが、もともとディスコ・ミュージックは一本の線を辿っていけばおのずとその概要が理解できる、という類の音楽ではありません。ビー・ジーズもダン・ハートマンもジョルジオ・モロダーもヴィンス・モンタナJRもフランソワ・Kもデヴィッド・モラレスも皆ディスコ・レジェンドと呼ぶべき人達ですが、今例を挙げた人の中には、デカいアフロ・ヘアを揺らす(日本人がイメージしがちな)アフリカン・アメリ
カンはいません。ある意味「黒人も白人も何人も関係なく」世界中の人々が作り上げた〝ソウル・ミュージック〟がディスコだ、とも考えられるわけです。 そして、ディスコ・ミュージックは現在進行形でもあります。ダイレクトにその意志を継ぐハウス・ミュージックがあり、同時に〝進化〟させんとするチルアウト系のクリエイターに至るまで、その新解釈のプレゼンは今後も無限に続くことでしょう。ディスコはなんと言ってもクラブ・ミュージックですから、日替わりでトレンド/評価も変化するという、まさに「生きた」音楽です。ダンス・クラシックは永遠ではありませんが、そのプレゼンが続く限り、「ディスコ・カルチャー」は永遠です。 本書では「日本のディスコ・ポップス」というテー
マで、馬飼野元宏氏に大量の原稿をお願いしました。また「ブラジルのディスコ音楽」というテーマで麻生雅人氏にも大量のレビューをお願いしました。まったく、てりとりぃ関係者はいつも偉大です。その優しさに、感謝です。すいませんこんな無謀な監修者で。今度ちゃんと謝ります(笑)。 そしてこの機会を逃したらもうチャンスはない、と勝手に思い込んでしまった当方の独断で、サルソウルのLPを全部載せちゃえ、という無謀な企画(実際には頁の都合でコンプリートではありません。数枚欠落してます)もあります。 最後に、本書の中では書き忘れてしまったことを書かねばなりません。この本に載っている音楽は、すべて「ノリノリにノリのいい音楽だ」ということです。 (大久達朗=本書監修者)
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