ヒトコト劇場 #67
[桜井順×古川タク]
戦後70年特別企画 黒木和雄監督作品一挙公開
戦争レクイエム
戦後70年。何かときな臭い日本の政治状況の中、都内各名画座では、映画によって戦争を考える特集上映
が開催されるが、神保町の岩波ホールでは、2006年に逝去した黒木和雄監督の「戦争レクイエム三部作
」ほか、計4作品と短編1作を上映する。 黒木和雄といえば、70年代に映画を観始めた世代には忘れられない名前である。あの時代、今よりもっと沢山の名画座、二番館が東京の町に溢れていた。そこでかかる日本映画の代表的なプログラムに黒木の『竜馬暗殺』と『祭りの準備』があった。両作品とも、若さの焦燥や情熱をスクリーンに刻み付け、映画少年たちに熱く静かな感動を与えた青春群像劇の傑作である。ほかにも『日本の悪霊』『原子力戦争』など、近代日本史と戦争、戦後社会のあり方を一貫して追求するその作風は、声高に社会正義を問うものではなく、被害者意識に満ちた悲劇調でもない。静謐で端正な映像だが、観終わった後に「お前はそれでいいのか」と問いかけてくるような、深く
知的な感動がある。 今回上映される〝戦争レクイエム三部作〟は、井上光晴原作による、長崎の原爆投下の前日から直前までの庶民の生活を描いた人間模様『TOMORROW 明日』(88年)、敗戦の影が忍び寄る1945年の九州・宮崎を舞台に、監督自身の少年期の体験を描いた『美しい夏キリシマ』(02年)、原爆投下から3年が過ぎた48年の広島で、生き残った負い目を抱きながら静かに暮らす娘と、幽霊となって現れた父の交流を描く井上ひさしの戯曲の映画化『父と暮せば』(04年)の3作。遺作となった『紙屋悦子の青春』も、戦時下の恋愛を深く静かに映し出した作品。いずれも戦争が人の心に大きく影を落とす様を、丁寧なタッチで綴っている。 これらの上映作でまず注
目すべきは、女優たちの美しさ。『TOMORROW 明日』は群像劇なので明確なヒロインこそいないが、佐野史郎と新婚初夜を迎える南果歩の奥ゆかしさ、産気づいた桃井かおりの生命力の強さ。『父と暮せば』の宮沢りえの凛とした風情と、日本女性らしい清潔感。『紙屋悦子の青春』の原田
知世の、やわらかい光に包まれた清楚な美貌。そう、かつて日本映画は画面から滲み出る〝静かな美〟がその特徴の1つであった。幾多の名匠が作り出してきた、今は失われつつある邦画の美学は、黒木作品にも宿っている。そして、黒木映画の常連・原田芳雄が、三部作すべてに出演しており、
『美しい夏キリシマ』では厳格で強権的な明治生まれの男を、『父と暮せば』では死んで幽霊となり娘のもとに帰ってくる父親を軽妙洒脱に演じ好対照のキャラクターをみせた。個人的な感想だが、原田芳雄の魅力を最大級に引き出したのは黒木和雄であったと思う。 いずれも、最終回には黒木の短編映画『ぼくのいる街』が併映される。昭和天皇崩御の89年に製作、45年1月の東京空襲で亡くなった銀座の少年が現代に蘇えるといった佳作。岩波映画出身の黒木はPR映画を数々監督しており、短編の名手でもあったのだ。そして『TOMORROW 明日』の劇中で流れる二葉あき子の「古き花園」を聴くと、あの時代、人々が失ったものの大きさに気づかされる。 (馬飼野元宏=『映画秘宝』編集部)
連載コラム【気まぐれ園芸の愉しみ】
益虫と害虫の攻防
ある朝、ベッドから起き上がり、ふと枕を見て仰天した。 枕が黒い。いや、よくよく見ると、それは自分の髪の毛だった。 ここ一年ほど出産と育児に追われ、少し離れたところにある庭に行くことが難しくなり、植物と触れ合う時間がめっきり減ってしまった。髪が大量に抜けるのは、育児疲れよりも、むしろ園芸生活から遠のいたことによるストレスのせいかもしれない。
今の自分は、まるで水やりを忘れられてひからびた鉢植えのよう。子どもに栄養は与えても、自分自身の栄養補給は忘れていた。 そこで、あまり手のかからない草花や、小さなベランダでも育てやすいハーブ類の苗をいくつか鉢に植えて、育てることにした。 「目を癒すには緑色が一番」と思い、特にハーブ類を多めに植えたのがよかったのか、心も身体も次第にさっぱりとしてきた。また、料理に使えるコリアンダー
(パクチー)やチャイブもぐんぐん育ったので、滅多に作らない東南アジア料理に挑戦することもでき、思いがけない楽しみが増えたものだった。 が、ルンルン気分もつかの間、梅雨の季節が到来すると「奴ら」が現れた。蠢く緑色のつぶつぶ。そう、アブラムシである。 「あ、二、三匹いるな」と思って指でつぶしたときには、もう時すでに遅し。翌日には、そこらじゅうの植物にみっしりとへばりついている。 園芸家のことを「グリーンフィンガー」と言うのは、「害虫」であるアブラムシをごっそりと搾り取って、指が緑色になるからだというが、そんな駆除の仕方も、奴らの繁殖のスピードに比べれば、「三歩進んで二歩下がる」程度のもの。特に、葉茎の細いコリアンダーに
ついた奴らを、植物を傷めずに手で取るのは難しいことだった。 しかし、ある日突然、思わぬ刺客が登場したのである。大きさは五ミリほど。赤地に黒い点があり、羽のない、イモムシに脚がついたような姿の虫がコリアンダーのそこここに見える。そして、なんとその虫はアブラムシを食べているではないか。調べてみると、虫の正体はアブラムシの天敵であり「益虫」と呼ばれるテントウムシの幼虫だった。 なんとなく気持ち悪く感じていた虫が、テントウムシの子どもとわかったとたん、愛らしく思えてしまうから不思議だ。挙げ句の果てに、幼虫からサナギ、成虫へと成長する姿が見たいからと、餌になるアブラムシをも大事に取っておく始末。手のひらを返したようなもてなしぶりに、テント
ウムシもアブラムシも戸惑ったことだろう。 やがて幼虫はサナギとなり、コリアンダーの葉にくっついて動かなくなった。その頃には、アブラムシは幼虫に食べ尽くされたが、一方で、アブラムシもコリアンダーの養分を吸い尽くしていた。 結局、東南アジア料理を作ることができたのは数回。癒しのために植えたはずの植物たちも、途中から「益虫対害虫」観戦の場と化してしまった。あとに残ったのは、虫たちの攻防に巻き込まれ、無残な姿となったコリアンダーだけだった。 ちなみにテントウムシのサナギは、サッカー女子W杯決勝の真っ最中に羽化して旅立ったらしく、その勇姿を拝むことは叶わなかった。そして私の枕も相変わらず黒々としたままである。 (髙瀬文子=編集者)
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