切手について語ろう 泉 麻人 × 足立守正 × 鈴木啓之
街の切手商に通った頃 鈴木 昔はよく大型書店にも切手屋さんが入ってましたね。渋谷の大盛堂とか。 足立 駅前のおもちゃ屋さんでも扱ってたりして。僕が集め始めたのはブームが去りかけの時期でしたけど、まだ商売になってた気がします。 泉 僕の時代は結構デパートに入ってたんだよね。ケネディスタンプとか支店を出してたんじゃないかな。 足立 手品売り場と並んで
たりとか。 泉 そうそう(笑)。僕が一番よく通ってたのは原宿のフクオというお店でしたね。 足立 切手集めを、お父さまから引継いだとかいうことはありますか? 泉 うちの親は集めてなかったですね。ただ、母方のおじいちゃんが、僕が切手を集めてるっていうのを聞きつけて送ってくれた中に、たまたま「月に雁」が入ってたんですよ。 足立・鈴木 ほーう!
泉 状態はあまり良くなかったんだけど。それと「見返り美人」は持ってなくてね、金沢・高岡博覧会の小型シートで妥協しちゃったんですよ。「見返り」を入れ込んだやつで。 鈴木 目打のないやつですよね。それでも高かったんじゃないですか。 泉 でも普通の「見返り」の三分の二くらいの値段だった。当時は千五百円くらいで買えて、弟とお金を出し合って買ったのを憶えてますね。
足立 「見返り美人」の図柄は何年か前にもまた復刻されましたよね。 泉 そう、最近は往年の人気切手を復刻した切手が結構多いんだよね。 鈴木 僕は切手集めのおかげで浮世絵好きな子供になりまして。歌麿や写楽は切手趣味週間、北斎と広重は国際文通週間のシリーズで学びました。文通週間では、東海道五十三次の「蒲原」が断突に高いんですよね。 足立 「月に雁」と「見返り美人」は今でも切手界の
両横綱的存在でしょう。 鈴木 今度の泉さんのご著書(の表紙)でもそのふたつで「少年」の文字を模っているという。これはかなり贅沢です(笑)。 カタログの値段に一喜一憂 泉 当時僕がスクラップしていた少年キングの記事とかを見ると、「国宝シリーズは将来値上がりが期待される。今のうちに買っておこう」なんて書いてあるんだよね(笑)。 鈴木 投機の対象になって
た時期がありましたね。沖縄切手が高騰して問題になったりですとか。 足立 七〇年代頃はそういう意識があって、「さくら切手カタログ」とかを見ると価値が書いてあるんですよね。具体的な数字で。かつてはどうしてもそこに目がいってしまうっていうのはありました。大人になってからはもっとスッキリした心持ちで切手を見ることが出来てるんですけど。昔はもっとドロドロした欲望があった気がします。 鈴木 カタログも2系統ありましたね。微妙に評価額が違ってたりして。 泉 僕が集め始めた六十年代後半は、毎年のように値段が上がるんだよね。五〇円とか百円ずつくらい。だからカタログを見てそれを確認するのが楽しくて。 鈴木 自分の持ってるものが高くなってるぞみたいな。
足立 そういう知識の積み重ねがあった上で、当時の子供たちは目の色を変えて、7円の金魚の深緑色を探したりしたんですよね(笑)。色が少し違うだけで価値が全然違ったり。 泉 おかしいのは件の雑誌記事に金魚の発光切手のことが書いてある。「なお、この切手は(見た目が)普通の切手と変わらないので、信用出来る人から買うこと」 一同 (爆笑) 鈴木 友達同士で交換とかせずに、ちゃんとした切手
商から買えと。 泉 今見ると面白いよね。 初日カバーとストックブック 泉 初日カバーまでは集めなかった? 足立 僕はそっちは行かなかったんですよ。 鈴木 僕はちょっとだけ。 泉 僕は国宝シリーズなんかの頃からはまって、郵便局へ封書を送って、切手に記念印を押して送り返してもらうんですよ。それに後でテーマに沿った絵を描く。 鈴木 僕は切手商で出来合いのものを買ってましたけど、泉さんはご自分で絵も書かれてたんですね! 泉 オリジナルのものを作りたくてね。その流れで風景印も集めたりしました。 鈴木 あぁ風景印!しばらく忘れていたいろんなことを思い出してきました。
泉 ストックブックはどんなの使ってました?一般的な半透明のスタイル? 足立 それと今一番ポピュラーなのはテージーという会社の、地の色が黒で、ハウイドマウントみたいな透明なフィルムのやつですね。ポケット式になってる。 鈴木 普通にハウイドマウントなんて言ってますけど、知らない人が聞いたら何のことやら(笑)。 足立 ヒンジとか(笑)。でもハウイドマウントはすごく高くて、お金持ちしか
使えなかったですよね。皆さんアルバム作りまでは行かなかったですか? 切手の本を読むと、テーマ別に集めたものを配置して、解説を添えたアルバムを作ろうとある。それが最終目的になってるんですね。 泉 そこまでは行きませんでしたね。ストックブックに収めて眺めるのが楽しかったかな。 鈴木 僕も同じですけど、専門書には「ストックブックはあくまでも仮住まい」なんて書いてあるんです。 足立 最終形態はアルバムだと。でも僕も仮住まいの方が好きでした(笑)。 * 専門用語だらけの熱い談話はまだまだ繰り広げられましたが、それはいずれまたの機会に。さらに深い切手のお話は、泉さんの新刊『昭和切手少年』で是非お楽しみ下さい!
低山歩きのすすめ(長野県・黒斑山)
私は単行本の編集の仕事をしている。生活は普通のサラリーマンの方に比べれば多少不規則かもしれない。お酒が好きなこともあり、打ち合わせを兼ねて夜遅くまで酒場をうろつきまわることも多々ある。 五〇歳をすぎたころ、体のことも考え休みの日には運動をしようと考えた。かといってスポーツジムへ行ったりジョギングなどをしたりということは気が重い。若いときにやっていた山歩きはどうかと考えて、車で1~2時間ほどの郊外の低山を歩いてみたら、意外と気分が良いことに気づいた。低山とはいえ到達感もあり、降りてきて温泉につかって地ビールなど飲んだ後は実に良い気分になる。このような山歩きを始めてみると、その年は風邪ひとつ引かなかったので余計やる気が出てきた。
特に気に入って1年に何度も登るのが黒斑山という山だ。 夏の避暑地・軽井沢から良く見える浅間山が、カル
デラ地形を持った複式火山だということはあまり知られていない。黒斑山はその浅間山の外輪山で、山頂に登るとそのことが良くわか
る。 高峰高原の車坂峠の駐車場に車をおき、登り始める。登山口は標高1973m。登山道には噴火でできた小石が多く見られ、周りにも火山性の大きな岩がごろごろしている。そんな小石のがれ道を三〇分ほど登ってゆくと、視界の開けた場所に出る。近くの水ノ塔山、籠ノ登山や湯の丸山の姿を眺めながらしっかり水分の補給をする。途中の林道の作る日陰は、疲れた体の気分転換になる。初めのピークの手前にはかまぼこ型のシェルターが2つある。これは浅間山が噴火したときの避難場所だという。このシェルターを右に見ながら登ってゆくとすぐ稜線にでて、急に浅間山が大きく見える。噴煙の様子や山のひだの一つ一つまで良く見える。さらにここを少し下り、でこぼこした山頂目指して
急ながれ地を歩いてゆく。 登山口から1時間半ほど歩いたころにトーミノ頭というピークにでる。この付近から見た景色がこの山一番のお勧めだ。ピークのすぐ先は切り立った崖になっていて少し怖いくらいだ。その崖を下った先には草原が一面に広がっていて、デンとそびえる浅間山麓まで続いている。じっと見ているとその広大な緑の中に吸い込まれて行きそうな気になる。ここは浅間山の外輪山の一部で、黒斑山頂を含む稜線が、ちょうど半円を描いて連なっているのが分かる。その浅間山を右手に見ながら登ってゆくと2440mの黒斑山の山頂に出る。 山頂の景色を楽しんだら、下りはゆっくり歩いても1時間ほどで駐車場につく。 ︵川村寛=小学館クリエイティブ・編集者︶
写真: 黒斑山近くの稜線から見た浅間山。登山道が筋になって見える。