なつかしいわけがない。これはぼくが生まれるずっと前。30年も前の音。それなのに、胸をしめつける。深く、音に潜る、暖かい音がした。 「ABCホームソング」、レコードを買っていればかならずどこかでみかける名前。そうか、これはラジオ番組だったのか。そんなこ
とも知らなかった。 2枚組のこのCD、54年から曲と共に1年、また1年、と現代に近づいてくる。それがまた嬉しい。 三木鶏郎作詞作曲、河井坊茶のうたう「かぐや姫」はどこかで聴いたことがあった。はっきりとメロディは覚えている。どこだったか。そうか、思い出した。
あれは今から2年前、三木鶏郎追悼コンサートで聴いたのだった。歌っていた鈴木慶一さんはラジオで、リアルタイムで聴いていたのだろうか。羨ましい。 次々と出てくる美しい歌詞、メロディ、楠トシエのうたう「高原の駅で」、あの最初の歌詞、あの声、メロディで、夏はあなたといっちまう、なんて歌うのだからもう。それに、越路吹雪の力の抜けた声はなんて美しいのだろう。今まで気づかなかった。武井義明の声の魅力。まだまだ書ききれないほど、このヴォリューム、情報量が多すぎる。 さて、つづいて2枚目。ここには60年からおよそ10年間の音が詰まっている。1枚目から1年ずつ、ずっと続いていたはずなのに、2枚目になるとまた違った印象を受けた。四角く小さな部屋から、少し広い部屋
へ移るように。胸の中についた一本のろうそくが電球に変わるように。ただ、贅沢な時間は変わらない。 ザ・ピーナッツに仲宗根美樹、藤田まことに北原謙二。はしだのりひことシューベルツ、由紀さおり、天地総子、キューティーQ、デューク・エイセス、上條恒彦、タイム・5。名前を見ているだけでもお腹いっぱいになってしまいそうな。ただ、ここにダンスホールで踊れるような曲は入っていない。ラジオの前で贅沢を独り占めするための音楽。 「若いってすばらしい」だけが槇みちるではない。 「アイ・ラヴ・ビイ・ビイ」だけがファイヴ・キャンドルズでもない。ここにはそれぞれ「地図をひろげて」、「傷ついた約束」が収録されている。 中村八大作曲、永六輔作詞、朝丘雪路のうたう「お
母さん 口紅を」のモダンな演奏、澄んだ声。越路吹雪「手紙」がラジオで流れたら。 昭和29年から46年、ぼくには想像することしか出来ない。そこはどこも新しい発見ばかりで、楽しくてしょうがない。 (馬場正道=渉猟家/月刊てりとりぃ第25号より転載)
自主制作マンガ界の瀟酒な箱庭
昨年末に、直枝政広さんとお話させていただく機会ありまして、流れでマンガの話になりまして。直枝さん最近よかったマンガありますか?との問いに、「西村ツチカ、いいよね」との即答をいただき、さすが我らが直枝政広!と膝を叩いたものでした。昭和モダングラフィックを現代に落とし込んだようなテクニックに、軽やかな言葉のチョイス。新進マンガ家の西村ツチカは、作品集「なかよし団の冒険」で文化庁メディ
ア芸術祭の新人賞を受賞するなど、増々注目されている傍ら、(本人は無自覚であろうと)現在の自主制作マンガの世界においてもキーパーソンのひとりである。その筋では知られたユーモリスト、ナマエミョウジとのコラボレーション「ふーこーめいび」も、何者からも自由な自主制作ならでは。物体として面白い、爽快な一冊だった。 そんな西村ツチカも寄稿している「ジオラマ」に注目。デザイナーの森敬太が
主宰する、まだ生まれて間もないマンガ雑誌。マンガを描く側ではなく、装丁する側の主宰というところが面白い。というのも、才能に溢れる市井の作家や音楽家が、その魅力を最適なかたちで提示できるパッケージの創り手と出会えていない例を見ることが、少なくなかったからだ。プロの仕事らしく、かっちりと、少々の心憎いスパイスが加えられたデザインには、下品さや貧しさが微塵もない。北野武映画の飄々としたテイストを彷彿とさせる青春マンガの佳品「森山中教習所」の作者・真造圭伍の参加も嬉しいが、カネコアサイチやerror403といった(不勉強ながら)未知の作家のきらめきを発見させてくれるのも嬉しい。その他、マンガ愛好者ならそれよそれそれそれなのよと歓喜するであろうライン
ナップは、手にしたときのお楽しみということで。義務教育じゃありませんから。のほほんと風通しの良い印象だが、その風力には勢いを感じる、そんな雑誌だ。 個人的なことを言えば、「ジオラマ」の誌面にはミュージシャンが関わる要素もあり、なかではバンド活動なども発生しているとの噂もありますので、マンガ家音源の蒐集家としては、きっちりパッケージ化していただきたい次第です。 (足立守正=マンガ愛好家) * 『ジオラマ』第二号/価格:税込¥950/詳細はツイッターアカウント(コチラをクリック)を参照。
てりとりぃアーカイヴ(初出:月刊てりとりぃ#11 平成23年1月22日号)
アラン・ドロンのことだけを[8]いつの日か銀幕で観たい、幻の佳品『ジェフ』
世間の評価が高くなくても、好きで好きでたまらない佳品……というのがある。アラン・ドロンの映画でいえば、筆者の場合、『ジェフ』(Jeff、1969年)がそれだ。 5億フランの宝石をめぐるギャングの内輪揉めというストーリーの地味さからか、それとも、一度もソフト化されていないせいか(残念ながら筆者もTV吹替版での鑑賞)、この映画のことを語る人に出会ったことがないのが、とても寂
しい。 盗んだ宝石を持ち逃げしたボス(ジェフ)を追って、手下のドロンと、ボスに捨てられた情婦のミレーユ・ダルクが、車で旅をする。フランスから国境を越え、ベルギーへ。跳ね橋、運河、石造りの家並み……しっとりした冬景色をとらえた軟調のキャメラが、圧倒的にすばらしい。朝もやの中、河沿いの並木道を車が行くロングショットなど、まさに“泰西名画”そのもの。撮影JーJ・タルベス、監
督ジャン・エルマンは『さらば友よ』のコンビだが、演出にケレン味の強かった前作とちがって、滋味深い、自然体のタッチで進んでゆく。 田舎町のひなびたカフェに入った二人が、お互いの孤独をにじませながらコーヒーを飲むシーンなど、静かな、何とも言えないムードがある。 カフェの出口にある大きな鏡に、ぐにゃりと歪んだ彼らの姿が映る。「似合いの二人だ」とつぶやくドロン。私生活でも深い仲になったミレーユとは、これが最初の共演。ドロンの黒皮のロングコート、ミレーユの白いタートルネックというファッションもいい感じだが、何より、さりげないしぐさの中に二人の波長が合っているのが観ていてよくわかり、それが映画の出来に貢献しているのだ。
ギターとストリングスが奏でるフランソワ・ド・ルーベの音楽も良い。当初、大御所のジョルジュ・ドゥルリューにオファーがいったが、「ギャングを悲劇的に描いていないのが気に入らない」という理由で断られたとか。 ラストシーンは、ブランケンベルグの、海に面した展望台での、ドロンとギャング仲間の対決。ここでの映像の美しさは、とても筆では表しきれない。 そんなわけでこれは、好きなドロン映画3指に入る、わがご贔屓作。日本公開日の1969年12月20日(土)朝にタイムワープし、東銀座の東劇(旧)の初回に飛びこみたい! と、何度妄想したことか。 いつの日か銀幕で観たい映画NO・1である。 (森 遊机=映画研究家/プロデューサー)