[山上路夫 × 村井邦彦 × 日向大介 × 宇野亜喜良]
仕事はよろず 引き受けましょう。大小遠近 国籍問わず。委細面談 叩き屋稼業。
在仏ブラジル人打楽器奏者 エヂムンド・カルネイロ インタビュー
古くからブラジル音楽が広く好まれてきたフランスへは、これまでにも数多くのブラジルの音楽家が移住したり長期滞在して、活動してきた。バーデン・パウエル然り、タニア・マリア然り。最近も、フラヴィア・コエーリョというカリオカ女性歌手がパリでアルバム・デビューを果たしている。 近年、そのタニア・マリアのバンド・メンバーとし
て活躍している打楽器奏者エヂムンド・カルネイロも、現在、パリで活躍するブラジル人音楽家だ。 サンパウロ州のマカウバウというところで生まれたエヂムンドは、ブラジル本国では80年代に、カンピーナス市やサンパウロ市で活動。アナ・ヂ・オランダや、一時タンバ・トリオのメンバーだったこともあるマエストロ、ラエルシオ・ヂ・フレイタスなどと共演して
いる。 「ラエルシオ・ヂ・フレイタスのビッグバンドで演奏していたときは、世界中の音楽と出会う機会が多かった。アート・ブレイキーとか、前衛ヴァイオリン奏者のローリー・アンダーソンとかね。アンダーソンにビリンバウを教えたのも楽しい経験だったよ」 これらの活動が、エヂムンドが広く世界に目を向けるきっかけになった。 「次第に私は、音楽は〝世界共通語〟なんだと考えるようになった。日々、いろんな発見をする中で、どんどん新しいものを自分の音楽に取り入れて、もっとユニバースな音楽を作っていきたいと思うようになったんだ」 88年、パリへ旅立ったエヂムンドはアルチュール・アッシュや、アルチュールの父で俳優でもあるジャッ
ク・イジュランなどのレコーディングに参加する傍ら、台頭しはじめていたクラブ・ミュージック・シーンとも交流を持つようになる。エレクトリック・ミュージックとの出会いは、当時〝アブストラクト・ヒップホップ〟とか〝トリップホップ〟と呼ばれていたサウンドを提示していたオラーノ(写真右は96年のアルバム「オラーノ」。LIOの妹エレナ・ノゲラも参加!)での演奏だった。 「今では珍しくないけれど、私が演奏したビリンバウの音がサンプラーで繰り返されていくのが当時はとても
面白かった。それからはボブ・シンクレアやサンジェルマン、ゴタン・プロジェクトのフィリップ・コーエン・ソラルなど、DJやトラックメイカー達とも仕事をするようになったんだ」 そんなエヂムンドの最新ソロ・アルバム「ザ・ハンズ」(写真左/トゥピ・レコーズにて配信中)は、まさに彼の目指すとおりユニバースな作品だ。 「例えば〝タンボーリス〟という曲は、ハービー・ハンコックのアレンジも手がけているピアニスト、クラウス・ミューラーと一緒にニューヨークで作った曲。
曲自体はジャズだけど、ブラジルに伝わるいろいろなリズムを使っている」 マラカトゥと呼ばれる、ペルナンブッコ州を中心に伝わる音楽や、ビリンバウの音、サンバのリズムなど、ブラジル各地のリズムを混在させた作りもまた、国外からブラジルを俯瞰して見ているエヂムンドらしい。国外に出たことで、より、自身のルーツに自覚的になったという。 「もちろんカンピーナスにいた頃から自分のルーツであるアフロ・ブラジル文化には常に意識的だったし、商業的な音楽活動だけでなく、カンドンブレー(※アフリカ文化に起源を持つ宗教)の儀式でも打楽器の演奏を受け持っていた。オーセンティックな演奏を、私は常に大切にしている。 しかし、ミュージシャンとして現代的な音楽や世界
中の音楽のミックスを目指せば目指すほど、その意識はさらに強くなった。自分ならではの音楽としてミックスした音楽をきちんと作るためには、自分自身のルーツを確固たるものにしておかなければならない。土台がしっかりしていないといろいろなものをミックスしていくと、土台が見えなくなってしまうからね」 土台を確立しているからこそ、どんなサウンドとのミクスチャーも受けて立つことができるし、ユニークなコラボレーションを楽しむ余裕が生まれる、ということだろう。
一時、パリで活動していた時から親しくしていたというセウ・ジョルジのアルバム「クルー」(写真上/04年作/日本盤はオーマガトキから発売)の冒頭の曲〝チーヴィ・ハザォン〟にも、そんなエヂムンドらしさが刻まれている。 「とても大事な曲だからぜひ参加して欲しいと言われたんだ。ベーシックな部分は私のパーカッションと、フランスのギタリスト、マチュー・シェディッドとで作ったんだ。サンバがベースにはなっているけどサンバ、サンバしないで、ファンキーな感じにしたいね、という意向がこの曲には生かされているんだ。これからも、自分のルーツを大切にしながら、現代的で裾野の広い、私にしかできない音楽を作って行きたいと思っている」 (取材/文=麻生雅人)
少年の歌、私小説R&B~清水翔太
ight Flight」や50年代ガールグループ風の「CREAM」、珍しく官能的な詞とヴォーカルの「So Good」、オートチューンを介した変則バラード「Winter Love Song」など、いいメロディー揃いかつ魅力的な声なのだ。 今年3月にリリースされた4枚目のアルバム『Naturally』はクラシックなソウルマナーに忠実かつアーバンに展開した、ブラック・ミュージックへの思いを貫かんとする決意表明のようなアルバムだ。ホーンが軽快なブギー⑨、4ビートジャズ⑩、うねるようなハチロクのロッカバラード②」、ニューソウル・タッチのエモーショナルな⑥、ニュージャックスウィングの①⑫etc…… 日本のR&Bはダンス・チューンか性愛モノ、バラ
ードが主流で、水っぽさと背中合わせだが、清水翔太はこのジャンルでは珍しく、パーソナルな出来事を叙述的に歌うシンガー・ソングライターだ。故郷を離れ新しい世界に旅立つ少年の思いを歌うデビュー曲「HOME」にはじまり、回想と前向きな決意が入り混じる「My Treasure」、ピュアな友情を歌う「Soulmate」など初期作品はどれも少年の歌だ。美しい日本語で綴られた10代の恋、悩み、希望は、あくまで個人的な心情として歌われ、それが年齢と共に青年の心情へと成長している。彼の歌はR&Bでは珍しい「私小説」なのだ。その世界は聴き手である自分自身が通過してきた青春であり、今の自分にも通じる普遍的な心情である。尾崎豊の「Forget-me-not」のカバーも、尾崎もまた
「少年の私小説」だったことを思うと、同じソニー所属という以上に清水翔太自身が思いを馳せたのも納得。『Naturally』のトップチューン①では「傘をさすのも/旅をするのも/カラフルに彩るのもいいけど」と、過去3枚のアルバム名を歌詞に登場させ、「時間をかけて今やっと/真実が見えてきた」と等身大の、22歳の今を歌う。歌い手の個人的な物語が聴き手の感情とシンクロするのが私小説系アーティストの醍醐味だ。いつかダニー・ハザウェイやカーティス・メイフィールドのようなアーティストに成長してくれるだろうか。心地よいグルーヴに身を委ねながら、彼の私小説=ソウル(魂)をずっと聴いていたい。これから先も。 (馬飼野元宏=「映画秘宝」編集部)
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