ミシェル・ルグランと私【3】
ダメだ! ダメ! 好きすぎてダメだ! せっかくだからと『ロシュフォールの恋人たち』のサントラを聴きながら原稿を書こうとするも、耳が全部音に持って行かれて一つとして綴れない。ならばと『シェルブ
ールの雨傘』も『ロバと王女』も危険。クロード・ヌガロやニコラ・フォルメとの作品も『ノエル!ノエル!ノエル!』ってクリスマスはまだだよ! と思いながら1曲だけ聴いて自分を落ち着け、クリスチャンヌ
・ルグランを遠くで流しながらどうにか冷静になりました(スウィングル・シンガーズの「ジャズ・セバスチャン・バッハ」。美しいスキャットがたまりません)。どれだけ好きなんだろう、ルグラン姉弟の事が。 最初にミシェルの音楽を知ったのは『ロシュフォールの恋人たち』。22歳ぐらいの時に知り合いのディレクターさんから「もう廃盤になっている映画だけど」とビデオテープを頂き、軽い気持ちでお友達とのご飯の時間に再生してみた。オープニングから意識の全てを持って行かれ、それはもう完全に恋に落ちた。 すぐにサントラを買い、「お気に入りの一枚は?」と聞かれるたびにお勧めし、パリ留学時には映画のポスターを額まで作って部屋に飾り愛し続けた。日に日に理解出来るフランス語が増
える中でサントラを聴いて歌詞の美しさを知る。そして帰国し、カバーアルバムをリリースする事になり、『ロシュフォールの恋人たち』から「デルフィーヌの歌」を歌ってみるとなんとも難しいメロディ。そう、これぞミシェル!! 知れば知るほど奥が深くて味がにじみ出てくる音楽。繊細
でたくましくて、つかめそうでつかめない夢のようなメロディ。 07年の来日ライブの時にお手紙と先のカバーアルバムをご本人にお渡しする機会に恵まれ、「キミはいつから僕のファンなのかい?」と子供を見るような優しい目で話しかけて下さった。昨年のブルーノートのライブでは2日間2ステージずつ見る機会にも恵まれ、その時伺った楽屋では「キミのアルバム聴いたよ。すごく良かったよ」と、まさかな一言を頂いた。あんなに忙しく世界を廻って仕事をしている上、4年も前に渡したアルバムなのに…。音楽だけでも尊敬するのに、お人柄までも充実されてるなんて…。 あの日ロシュフォールをきっかけに、ミシェルの音楽を好きになれて良かったと思った。苦しかったフラ
大音量でかかる。一体何してる人なんだろう? でも、一番「何してる人?」と思われてたのは、僕だろう。ずっとアコーディオンを弾いていた。 周りもうるさいし、文句を言う人もいない。そして週に1~2度ほど、電車を乗り継いで師匠のダニエル・コランさん宅でのレッスンに通っていた。「月刊てりとりぃ」の僕の連載(マイフェイバリット鉄)を読んで下さっている方にはお見通しだろうけど、行き帰りに大廻りで「乗り鉄」の旅を楽しみ、片道1時間の筈が半日の小旅行になることも珍しくなかった。 おっと、そろそろ本題に入ろう。この留学生活当時から演奏していたのがミシェル・ルグランの「双子姉妹の歌」(ロシュフォールの恋人たち)と「シェルブールの雨傘」。ほぼ同じ時
代の(僕が生まれる前の!)ルグラン・ナンバーだが、この2曲は弾いてあげて喜ぶ世代が対極だった。 前者は、お洒落フレンチ好きの女の子たち。後者は、ベルエポックなフランス文化に憧れるマダムたち。 まだレパートリーが少なかった僕にとって、人生を愉しむ上でも、重要な2曲だった。 そして段々、「ルグラン」と聞くと、「ミシェル・ルグラン」の事になってきた。帰国後、様々なジャンルのアーティストと共演するようになると、思い入れを熱く語ってくれる人も増えて
コルトレーン、ハービー・マン、ビル・エヴァンスらとの共演盤『ルグラン・ジャズ』、怒濤のようなストリングス・アレンジで盛り上げる『城の生活』『おもいでの夏』といった映画のテーマ曲も忘れがたい。 意外に気に入っているのがバーブラ・ストライサンドのアルバムに収録されている「アイ・ウィッシュ・
ユー・ラヴ」、『アイ・ラヴ・パリ』収録の「パリ、ジュ・テーム」といったカヴァー作品の見事なアレンジで、これとは逆に自作曲ながら一切アレンジにタッチしていない『ベルサイユのばら』のタイアップCMソング「アイム・ア・レディー」、ルグラン自身の頓狂な歌声が存分に楽しめる「ディスコ・マジック・コ
ンコルド」といった作品も、折に触れ思い出す印象的な楽曲だ。 そして言うまでもなく、盟友ジャック・ドゥミと創り出した『ローラ』『天使の入江』『シェルブールの雨傘』『ロシュフォールの恋人たち』『ロバと王女』『想い出のマルセイユ』といった作品の楽曲に溢れるロマンチシズムと高揚、運
命、美しさ、人生の悲哀とでもいうべき曲想にこそ私は魅せられ、打ちのめされてきた。ルグラン作品との真なる出逢いであったこれらの楽曲を耳にした時のあの素晴らしい気持ちを、私は終生忘れることはないだろう。 これだけ良質な作品を次々と生み出す芸術家、ミシェル・ルグランのクリエイティヴィティをいつまでも感じていたいというのが私の我が儘な願いだ。いつまでも元気で、いつまでも挑戦的な新曲を書いて欲しい。大量に存在する未発掘の音源、未発表のスコアにどうか音盤化の陽の目を当てて欲しい。汲めども尽きぬ「音楽の泉」をただいつまでも愛でていたいというのが、一ファンとしての切なる思いなのである。 (関根敏也=リヴル・アンシャンテ)
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山田宏一『トリュフォーの手紙』を読んで
映画監督川島雄三の本『サヨナラだけが人生だ』(ノーベル書房)の中にこのような言葉がある。「人間の思考を、今、仮に百とします。思考を言葉にすると百の十分の一の十です。その言葉を文字にすると、そのまた十分の一です。思考の百分の一が文字です」。これ読んだとき、あぁ映画でも本でも何でも「表現されたもの」は作者の思いの全てを表しきれないものだと感じたものだ。そしてその割合の少しでも多いもの
が名作、名著と呼ばれたりするのだろうか。 今回映画ファン待望の新刊『トリュフォーの手紙』はその意味において読者は限りなく著者、もしくは手紙の筆者、すなわちトリュフォー自身の思いに触れることのできる書物といえよう。 山田宏一さんの『友よ映画よ、わがヌーヴェル・ヴァーグ誌』や『トリュフォー、ある映画的人生』など名著で映画に夢中になった世代としては、その当時、
の山田さん本の巻末広告に欄にあった「刊行予定『トリュフォー全書簡集』」は出版を待ちわびる映画本のひとつだった。そして、何十年という時を経て『トリュフォーの手紙』とかたちを変え実現したことは本当に感慨深く、今回出版の広告を見たときは本当に出るのだろうかと疑ってしまうほどだった(出版までの事情については本書のなかで著者自身が詳細説明をしています)。 さて、本書の魅力はトリュフォー自身による手紙(もちろん山田宏一さんの訳)の数々を直接読めることだ。不良少年時代、親友ロベール・ラシュネーへの自意識パンパンの手紙から、五月革命後、盟友ジャン=リュック・ゴダールへの歯衣着せぬ、読みながらも胸に痛みを感じずにはいられない決別の手紙…どれもが
必読なのだが、ここでちょっと紹介したいのはトリュフォーがまだ長編処女作『大人は判ってくれない』を撮る以前、短編『ある訪問』を撮影する際に兄貴分であったエリック・ロメールへ送った手紙。撮影機材をすぐに用意してほしいという内容なのだが、「この人でなし、ペテン師…」と始まるその手紙には、ヌーヴェル・ヴァーグの仲間の中で末っ子のトリュフォーがまるでおもちゃ屋の目の前でねだる駄々っ子のようにモモ兄貴(ロメール)に甘えている感じが実によく伝わり、実に微笑ましい。そしてこれを読んでいるロメールが「しょうがない奴だ」と思いながらも嬉々としてなんとかしてやろうとする感情が想像され、なんとも幸福な気持になれるのである。本書にはその何十年後、『緑色の部屋』(79
年)の撮影所にロメールが訪問し。トリュフォーに助言を与えている写真が掲載されおり、彼らの絆の強さに感銘せざるを得ない。 まさに映画的人生を送ったトリュフォーの、そして日本の友人であり彼の分身ともいえる山田宏一さんによる映画的な書物である。この刊行を機にいつの日か『トリュフォー全書簡集』の翻訳が世に出ること願ってやまない。 (軽部智男=「ビブリオテック」スタッフ) ーーーーーーーーーーーー ●『トリュフォーの手紙』山田宏一=著/定価二五二〇円(税込)/四六判/496頁/平凡社より発売中●少年時代の親友から、ゴダールやロメール、そして著者との間で交わされた厖大なトリュフォーの手紙を読み解きながら、肉声を伝える渾身の評伝。
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