2013年4月12日(金)

ウチの本棚
[不定期リレー・コラム]第13回:吉田宏子の本棚

 以前「本棚拝見」本で取材されたことがある。その時の担当編集者によれば、同様に依頼したある大物版画家は「本棚を見せることは自分の内面を見せることで、失礼な依頼ね」と断ってきたらしい。その気持、わかるような気がする。自分の本棚を見られることは恥ずかしい。恥部さらけ出しているような、脳みそ見

せているような気になる。
 自分の本棚を見られることは恥ずかしいくせに、他人様の本棚を見ることは好きだ。遊びに行ったお宅では最初に見てしまうし、雑誌編集者時代は取材先でまず本棚を見て、そこから会話のきっかけをつくることは多かった。同じ本を持っていれば自ずと話は弾むもの。しかし相手がノリ過ぎ

た場合、取材時間の大半が本の話に終始してしまい、なかなか本題に仕切り直せず、嫌な汗をかくこともあった。
 さて我が家の本棚は4竿。リビングの「よそいき」本棚、仕事部屋の「それっぽい」本棚、ほかに資料本棚、サブカル、小説本棚となんとなくテーマ別になっている。あらためて眺めてみると……。学生時代から20代前半に知的好奇心に駆られて買っていた澁澤龍彦や瀧口修造(しかし読了した本は少ない)、アルトー、ヴィアンや、ボルヘスなど中南米幻想文学とか、白水uブックスや武満徹音楽論とか……。難解風な本はこの頃買って以後、ほとんど増えていない。その後は現代美術、若冲や暁斎など奇想の画家、アアルトやズントーなど建築家の作品集が増える一方でA5版時代の映

画秘宝や根本敬(文章メインの方)、杉作J太郎はほぼ揃っている、という欲望に忠実な本棚になっている。
 最近は資料以外の本をあまり買っていないのだけれど、20年来コツコツと集めているのはアールブリュット、アウトサイダーアートの本。93年に世田谷美術館で開催された「パラレルビジョン」展で初めてこの世界を知り、以来その魅力に取り憑かれている。アマゾ

ンや洋書店で入手できるものはほぼ集めたので(少ないですから)、最近はヨーロッパの地方にある専門の美術館に行って作品を見てそこで発行している本を買うのが旅の楽しみになっている。簡単な冊子みたいなものやデザインが今ひとつのものも多いけれど、旅の思い出と友に本棚に収納されている。
(吉田宏子=ハモニカブックス発行人)
写真右上:「よそいき」本棚のアウトサイダーコーナーと、スイス/左下:ローザンヌの美術館で購入のアロイーズの作品集



完璧という名の芸術~マヌエル・バルエコ

 マヌエル・バルエコというクラシック・ギター演奏家をご存知だろうか。52年キューバのサンチャゴ・デ・クーバ生まれ。67年アメリカに移住、キューバ時代からギターを学び、74年カーネギー・ホールでコンサート・デビュー、75年カナ

ダ、トロント国際ギター・フェスティバルで2位に入賞。その完璧なテクニックと音の美しさで絶賛を浴びる(でも結果は2位。ちなみにこの時の1位はシャロン・イズビンだった)。
 78年にはデビュー・アルバム「バルエコの芸術1」

(VoxBox)をリリース。4枚のアルバムをリリースした後、大手EMIレコードと契約、現在、クラシック・ギター界を牽引する一人として活躍中だ。俗に「バルエコ奏法」と呼ばれる右手の使い方は個性的で、「バルエコ以前、以後」と言われるほど、多くのギタリスト達に影響を与えている。何がすごいって、当たり前な言い方になるが「めちゃくちゃ上手い」のだ。全ての音がクリアに響き、とてもリズミカル、どんなテンポの曲でも軽快に流れていく。おそらくクラシック・ギターを見たことがないという方はいないと思うが、鉄弦を張ったフォーク・ギターと混同している人も多いのではないだろうか。
 クラシック・ギターは、高い音を出す下から1、2、3弦がナイロン弦、4、5、

6弦がコイルのように巻いた鉄弦となっていて、フォーク・ギターのようにピックを使って弾くことはなく、指を使って弾く。実は演奏者にとってはこれが難問で、鉄弦は鳴り過ぎ、3弦はナイロン弦と鉄弦の境目となるため、他の弦に比べて鳴らしづらいなど、弦を弾く右手には細心の技術が必要となるのだ。したがって一流の演奏家でも時にはバランスが崩れたり、「あまい音」を出してしまうことがある。しかしバルエコの演奏には、そうような不完全な音は一切ない。全ての弦が、左手がどんなポジションにあっても、なんの問題もなくクリアに響くのである。
 これがレコードだけでなく、コンサートでも全く変わることはないのが驚きだ。よくバルエコの演奏を「ピアノの演奏を聴いているよ


Manuel Barrueco plays Bach(BWV 1006a)
●動画はバッハのリュート組曲No.4をステージ演奏するマヌエル・バルエコ。同曲はバッハの「無伴奏バイオリンパルティータ第3番 BWV1006」をリュート(ギターの元となった弦楽器)のためにアレンジした組曲。バルエコの奏法の特徴として「即物的」とまでいわれるほど譜面に忠実なこと、右手はほぼ全てアルアイレ(=アポヤンドをしない)で演奏する、等が挙げられる。

うな」と形容されるが(これはクラシック・ギターの演奏を正しく評価した言葉とは思わないが)、それは一つ一つの音が安定して響いているということ。おそらくクラシック・ギター界の歴史において、バルエコのデビュー以上に衝撃を与えた演奏家は、近年いないだろう。
 現在、バッハのリュート組曲第4番やアルベニスの

スペイン組曲、グラナドスのスペイン舞曲集など、発売当時衝撃を与えた初期の代表的な演奏が収められた「バルエコの芸術1-4」が、3枚組のCD「300
Years Guitar
Masterpieces」(VoxBox)として聴くことが可能。「完璧という名の芸術」がここにある。
(土屋光弘=ラジオ番組制作者)



パリ〜ナント、ホテル事情

 4月10日からパリのシネマテーク・フランセーズにおいてジャック・ドゥミ大回顧展が開催されている。ゴーデンウィーク、ヴァカンスシーズンと開催時期に恵まれることから、会期中の渡仏、観覧の予定を立て

ている当紙読者もいらっしゃることだろう。そこで今回は、老婆心ながら昨今のフランス・ホテル事情を書かせて戴こうと思う。
 フランスに限らず、そこが行き着けた国ならば到着当日に宿を取るのを良しと

していた私だが、一昨年に渡仏した折は少々状況が違った。パリ到着が夕刻ということもあったのか、あらかじめ当たりを付けていたモンパルナス、ダゲール街周辺のホテルはひとつ残らず満室。通りを変え、安宿から少々値段の張る三つ星ホテルまで、とにかくホテルというホテルに飛び込んでみるも玄関にかけられた「コンプリート(満室)」の文字が示す通り、けんもほろろに断られてしまったのだ。時、既に23時。路上生活者ともバックパッカーともつかない男性が寝袋のジッパーを閉め、メトロの生暖かい排気口の上に寝転がっている様に自らの数時間後を見ながら身震いすること数回、えい、ままよ、と勇躍タクシーに乗り込むことになる。「ホテルを探している。とにかく手当たり次第ホテルの前で車を止

めて、待っていて欲しい」という私に「分かった。でもホテルがとれるかどうか保証はできない、それでもいいのか?」と訊ね返すドライヴァー。「もちろんだ」そう答えた私の要望に応え、彼は文字通りパリ中を走り回ってくれた。ホテルの看板を発見するや否やすぐに停車、フロントに飛び込む私、「ノン、コンプリート!」。この夜、これを何度繰り返したことだろう。もはや自分がパリのどこにいるのかさえ分からない。午前三時にようやく転がり込めたのはサン・マルタン運河近く、「北ホテル」ならぬ「東ホテル」という名のホテルだった。
 このような事態はパリだけではない。ジャック・ドゥミの故郷、フランス大西洋岸の都市ナントでも同様だったのだ。とにかく空室がない。反省を踏まえここ

では昼にホテルを当たってみたのだが、それでも予約で満室だと言う。途方に暮れ、コマンダン・シャルコー通りを歩く私。ふと見上げるとインドにでもありそうな埃っぽい食料品店に「ホテル」の文字が書かれている。アラブ系と思しき経営者に訊ねてみると部屋はいくらでもあるという返事だったのだが、これが実に壮絶なシロモノだった。部屋の壁は触れるとミミズ腫れが出来るほどの粒状突

起仕上げ、微妙に湿っている毛布はトラ柄、天井には毒々しい色のスプレーで目玉のようなものが描かれているというサイキックさだ。ドゥミの『ローラ』よろしくメルヘンチックなナントの移動遊園地を楽しんだ後、この宿に帰って来た時のギャップの大きさと言ったらない。読者諸君、フランス都市部へ行かれる際はぜひホテルの事前予約を。
(関根敏也=リヴル・アンシャンテ)