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坂本九が歌った「上を向いて歩こう」が、米ビルボードでナンバー1を取ってから、今年で50年経つそうである。しかも、この50年間で、日本の歌謡曲やJーPOPの中で、アメリカでナンバー1を獲得した曲は、この曲以外に存在しない。純粋な日本語詞で歌われた曲が、ビルボードの1位になり、それが飛び火し、どうして世界中でヒットしたのか? 中村八大の普遍的なメロディー、坂本九の独特の歌唱スタイル、ポピュ
ラー・ミュージックとしての同時代性等の要素が上手くミックスされ、全世界の人々に受け入れられたという事は判るのだが、どうもしっくりこない。 一体何がこの曲の魅力だったのか? そんな事を考えながら、世田谷文学館で開催されている「上を向いて歩こう展―奇跡の歌から、希望の歌へ―」へ出かけた。 同展は楽曲「上を向いて歩こう」が生み出された背景と創り上げた人々を考察した初の歌謡曲に関する展
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覧会である。〝コスモポリタン〟〝ソングライティング〟〝グルーヴ〟〝プロデュース〟と4つに大別したキーワードを基に、その背後にいる人々にスポットを当て、その魅力を掘り下げている。 〝コスモポリタン〟では、作曲家・中村八大のクラシック、ジャズを背景とする多様な音楽性と国際的教育環境に着目。〝ソングライティング〟では放送作家として確固たる地位を築いていた永六輔と中村八大のこ
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れぞまさにコラボレーションと呼べる新しい楽曲制作法に言及。〝グルーヴ〟では、実は三味線、端歌などの日本の伝統芸能をバックに持っていた坂本九が無意識のうちにロカビリーと融合させた独自のシャックリ・ヴォイスに注目。そして、〝プロデュース〟で初めて知ったのだが、同曲を海外にプロモートした東芝・石坂範一郎氏の存在である。恐らく彼の楽曲プロモーション無くしては、国際的なヒットはあり得なかったで
あろう。この作曲家、作詞家、歌手、プロモーターの4名が生み出したマジックがヒットを生み出す基盤になったのは間違いない。 この展覧会の最後に〝キング・オブ・ロック〟という忌野清志郎のコーナーがある。1979年にこの「上を向いて歩こう」をカヴァーし、ライヴで欠かさず歌っていた忌野清志郎の関連の展示がされている。彼はこの曲を〝日本の有名なロックンロール〟として、そのビート感を高く評価していたという。確かに改めてRC版を聞いてみると、そのアーシーなアレンジと相まって、メロディアスな洋楽のロッカ・バラード風にも聞こえ、新鮮な印象を受けた。もしかすると、ここにこの楽曲の普遍性のヒントがあるのかもしれない。 (文・写真 星 健一=会社員)
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世界にスキヤキを紹介した英国人トランぺッター
3月7日、英国のジャズ・トランペット奏者、ケニー・ボールが亡くなった。享年82。1962年、自身のバンド「ヒズ・ジャズメン」を率いて放ったヒット曲「モスコーの夜はふけて」(全米2位)で、ポップス・ファンに知られるケニー・ボール。英国人としては、3年前のクリス・バーバーズ・ジャズ・バンド「可愛い花」(同5位)を上回る、全米チャートでの最高記録だった。惜しくもトップの座は逃したが、その2カ月後、クラリネット奏者のアッカー・ビルクが「白い渚のブルース」で、初の全米ナンバー・ワンを獲得する。エルヴィスの亜流と見なされたクリフ・リチャードの不運を尻目に、トラディショナル・ジャズのインストで一矢を報いた英国人ミュージシャン。再び全米を制するのは、64年2月、あの
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4人のアメリカ上陸を待たなければならなかった。 ところで、ケニー・ボールといえば、もうひとつ忘れられないのは、彼が「上
を向いて歩こう」を「スキヤキ」の英題でカバーした最初のミュージシャンだということだ。原題と無関係だと評判の芳しくない「ス
キヤキ」だが、日本を連想させるタイトルとして英語圏で馴染みのある数少ない言葉のひとつであり、第2・第4音節で「ki・ki」と韻を踏んでいる(=英語圏の耳に心地よい)など、世界の「スキヤキ」にとって、絶妙の割下となったネーミングだと思う。その功労者であるケニー・ボールが、私と同じ日の生まれと知ったときは、何となく嬉しかった。 ちなみに、英国でもう一人、同じ誕生日で嬉しかったのが、マンチェスター・ユナイテッドの名選手、ジョージ・ベスト。93年、アルバム『トゥー・ロング・イン・エグザイル』のタイトル曲で、同じ北アイルランド出身者のベストに敬意を表したヴァン・モリスンは、10年後、03年のアルバム『ホワッツ・ロング・ウィズ・ディス・ピクチャー
?』で「Somerset」という曲を歌っている。この曲、じつはアッカー・ビルクのインスト「サマー・セット」(60年、全米104位)に新たにモリスンが詞を付けたもので、ビルク御大も流麗なクラリネットで参加している。 ビルクの出身地、英国サマセット州にかけた原曲のタイトルを、わざわざ元ネタに改題してカバーしたモリスン、その真意は知らないが、「白い渚のブルース」がヒットした当時、まだ16歳だったベルファスト・カウボーイは、音楽好きの少年として、英国人初の全米制覇に心を踊らせていたのかも知れない。ちょうど私が、「上を向いて歩こう」の偉業を思うとき、いまも胸を熱くするのと同じように。 (吉住公男=ラジオ番組制作)
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[不定期リレー・コラム]第14回:古田直の本棚
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ウチの本棚はたったひとつだけ。7年前に子どもができて、今の狭い部屋に越して来たとき、とっくりと考えて読み返さないだろう本は整理したのだ。 子どもがいると生活が変わる。以前は欲しいものはなんでも買い揃えて家に置きたがったのだけど、今はそんなこともない。減ったのは物欲じゃなくておこづかいだけど。使えるお金がなければ物欲も減るようだ。お金があれば、ある分だけ
欲しいモノが踊り出てくる。 ウチは自宅で通販のレコード屋をやっている。間取りが狭い上に大きなレコード棚を置いているから、これ以上は家具が入れられない。たったひとつの本棚を置く場所にも困った。 地震で本棚から本が飛び出たらと思うと子どもがうろつく部屋に大きな本棚は置けない。それに子どもにベロベロと大切な本を触らせたくもなかった。なら台所にでも置くか。
そういえば、「てりとりぃ」デザインの大久くんは台所に本棚を置いてるらしい。ありえない。いつも彼の各種クレイジーな話を聞いていると、ぼくなんて高が知れた常識人だもんなあ、とたじろいでしまう。 で、ウチは本棚を玄関に置いた。ドアを開けてすぐのところに置いたので本を取るときは一度靴を履かなければならない。でもその一歩で優雅な散歩気分にもなれる。楽しいながらも狭い我が家。台所と玄関、どちらが非常識なんだ? 本棚には映画関連、イラストレーション/写真集などがびっしり並んでいる。さりとてここだけに収まるワケもなく、本は部屋じゅうに散り散りになった。 小説はソファー横の棚。エッセイは枕元に放りっぱなし。絵本は子どもが引っ張り出せるようワゴン・テ
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ーブルの下の段。買ったばかりの本はとりあえず仕事机の上に積んでいる。 あとレコード棚の上に音楽の資料的な本が集めてある。ロジャー・キンクル、ブライアン・ラストなどアメリカ音楽ファンに不可欠な本が百冊くらいかな。 ほか「マカロニほうれん荘」や「はいからさんが通る」などまだ持っていたいマンガや、コレクションしているアメリカの古雑誌、文庫本はダンボールごと押入れに入れた。
至るところにある本置き場のなか、唯一自慢できそうなのが靴箱の上だ。ここは海外の絵本が置かれ、美しさを保っている。洋書の古絵本は発色も手触りもいい。もっと絵本欲しい! 20年代マクミラン社のハッピー・アワー・ブックス・シリーズもまだまだ揃ってないし。ああ、眺めてたら物欲がもたげてきた。 そのウチ、台所事情が変わったらまた集めよう。 (古田直=ダックスープ店主)
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