君、これはエシャロットだよ。私が頼んだのはラディッシュだ。エシャロットとラディッシュ、まるで違うじゃないか。横山隆一と横山裕一くらい違うじゃないか。そんな声を厨房に響かせている、漫画通の料理長に朗報です。最近やや現代美術寄りに思えた、あの横山裕一がグッと漫画寄りになって帰って来ました。久々の漫画単行本『世界地図の間』(イーストプレス)の刊行。そして、それに僅
かに先駆け、ハモニカブックスより問題作『ルーム』が届けられたのです。問題作しか描かない作家の何が問題かと言えば、わざわざ「ギャグ漫画」と称して発表した行為が問題なのです。 近頃のテレビが商品製造ラインの映像を娯楽として確立した背景に、横山裕一の漫画があったと推察する私が、氏の作風を説明するならば「なすすべもなく時間が経過し何かができあがり何処かへ到達するだろう
様子を、几帳面に記録する空論ドキュメント漫画の描き手」であります。しかし、『ルーム』に収録された漫画は、描き殴りのようで、更にそれが完成形であるという体です。頻繁に改稿された痕跡もあり、何やら面倒な時間経過が確認できるものの、一見の読者には相当キビシいルックス。ギャグ漫画と称するにあたり、画面より言葉(セリフ)の面白さを重視したとのこと。この独自のギャグ漫画観には、軽々しく「ヘタウマ」の文脈で応じることは無意味です。漫画は現実を咀嚼・誇張したものですが、漫画の登場人物が現実に出現した場合、そこには恐怖しかありません。両世界間には大きな溝があるのです。現実世界をA、『ニュー土木』に代表される横山裕一が丁寧に描いた異世界をB、『ルーム』の世界をCとし
た場合、Aに属する私たちにとって、BよりもCに大きな距離感を感じる。しかし、Bに属する人々の心情を想像すると、AよりCに
対して親近感を持つことでしょう。証拠はありませんが、その感想はきっと、「まるで私たちの世界を描いた漫画のようだ」という
| ものでしょう。私には、本書の装丁も含め、B世界で「漫画」と呼ばれる物体が、A世界に出現したという架空の事件ごと表現したギャグであるように思えてならないのです。 最後に、『ルーム』とは、グダグダした会議風景の名 場面集のようであり、そこでは正論すらも馬鹿馬鹿しく響きあい、ギャグ漫画として見事に成立しており、これについてはA、B、Cの三世界において同意見と思われます。 (足立守正=マンガ愛好家) |
Rains and Holidays Vol.1 ~ 窓につたう雨は
東京・西荻窪に『雨と休日』というCDショップがあります。穏やかな音楽を集めるというコンセプトのもと、店主・寺田さんの感性を通して、時代や国籍は多岐にわたりながらもノンジャンルでセレクトされたCDが並ぶ小さなお店です。同じアーティストなら何でもというよりは、作品ごとに厳選することにより世界観を確立しているようで、愛情たっぷりの丁寧なレビ
ューなどの商品の伝え方も相まって、多くの人に支持、信頼され、今年4周年を迎えたとのことです。ウェブサイトも充実しているにも関わらず、わざわざ遠くから足を運ぶお客さまも絶えないそうで、こんな時代でも、こういう個人としてポリシーのある音楽のお店が増えていったら嬉しいなと思わさせられます。 私の運営するレーベルからリリースしている西森千
明さんのアルバム『fragments』を直接卸しているご縁があり、たまたま自宅が近所なので、ご注文いただく2枚ほどのCDを仕事帰りにポストへ納品しています。たまにでも少なくても、ほとんど宣伝もしていない作品をずっと扱っていただけているのが嬉しいです。 今回、そんな『雨と休日』店主の寺田さんにより、店名でもある「雨」をモチー
フとして選曲されたコンピレーションCDが発売されました。 スヌーピーの「ピーナッツ」で有名なヴィンス・ガラルディの「レイン、レイン・ゴー・アウェイ」に始まり、アニタ・オデイの「ホエン・サニー・ゲッツ・ブルー」、エラ・フィッツジェラルド&ジョー・パスの「レイン」など様々な個性をもつ楽曲たち、個々を大切にしながらも自然な流れでやさしく耳に届けてくれます。最後のトラック、クロディーヌ・ロンジェの「悲しい雨が」は余韻が心地よく、裏表紙にあるクサナギシンペイさんの絵の上品な佇まいもぴったりに、雨が待ち遠しくなってくるのです。お店では、現代音楽、エレクトロニカなどエッジなものも扱っている印象があるのですが、このCDはジャズを中心に、飽きのこない洗練さ
| れた楽曲たちで聴きやすくまとまっています。雨の日に聴くのはもちろん、雨が降っていなくても、クサナギさんの絵を眺めながら聴き、一杯、いやもう一杯、そしていつのまにかソファーでうたた寝……と、個人的にはゆるい休日のおともにしたい作品です。次はどんなモチーフでの選曲を通して、どんな素敵な世界へ連れて行ってもらえるか楽しみです。 (長井雅子=デザイナー) |
魅惑の “オートバイ少女” その3
石堂夏央『オートバイ少女』の場合
20世紀初頭に「日本映画の父」と言われた映画監督・マキノ省三の名言「1スジ、2ヌケ、3ドウサ」。スジは脚本、ヌケは映像美、ドウサは役者の演技。これが映画の3大要素であり、映画製作の優先順位とすべし、だそうです。 さて、本稿のタイトルはもちろん漫画家・鈴木翁二が73年のガロに発表したたった17ページの短編漫画から引用したものです。タイトルに反して、バイクは殆
ど関係のない漫画です。ただし、鈴木翁二氏が「少女」を題材に描く機会はほぼ無いらしく、その意味では極めて異色、とのこと。 漫画は現在も筑摩書房から単行本化されていて入手は容易ですが、この作品は「ガロ30周年記念」として94年に映画化されています(監督・あがた森魚/製作・ガロ)。映画の評価に関しては、各々のご意見もあろうと思いますが、押し並べて低評価。というより、
どこを評価すればいいのか、それさえ見当たらない、というその存在意義にまで疑問を抱かせるような作品になってしまいました。 主人公・みのるを演じたのは、女優デビューとなる新人・石堂夏央。原作中強く描かれていた「少年か少女か、の葛藤」のようなものは映画ではやや希薄になりましたが、一応映画のエンディングから解釈するなら、主人公は「ありのままの少女像」を受け入れた、と考えるのが自然かと思い
ます。しかし、この映画は一般的な「映画らしい要素」とは無縁です。冒頭で書いた「1スジ、2ヌケ、3ドウサ」で言えば、全て0点を付けざるをえない、という恐ろしい映画でもあります(笑)。 さて、劇中登場するバイクは、失踪した父が残した、
とされるヤマハYG1。同社が63年に発表した75CCの2スト・マシンですが、さすがにこの小さなバイクで少女が東京から北海道まで走るのは、かなり現実離れした勇気がいるだろうと思われます。 先ほど「全て0点」と書きましたが、実は本稿冒頭に挙げたこの映画の宣伝チラシのデザインは、さすがガロ系、と膝を叩くような秀逸なモノでした。原作を知らなくても、というよりは、実際に映画で描かれたソレの「何10倍もの期待感」を抱かせる、広告デザインの見本足り得るようなものです。1994年当時、このレトロなデザインは十二分にコンテンポラリーで「オシャレ」でした。 ただし、一番解せないのは同映画がソフト化された時のビデオ・パッケージです。映画ではか細い少女が
半ヘル&ゴーグルといういにしえのカフェレーサー的ムードを纏ったルックスで、時代感覚を麻痺させるような古めかしい非力なバイクに乗るからこそ、のアンビバレンツだったハズですが、ビデオの写真に映る主人公はまるで「不良少女」よろしくクラッシュ・ジーンズでホンダVツイン・マグナに跨がる、という、映画のテーマとは正反対のヤンキーものとなってしまいました。これもやはり0点、と言わざるをえません。 (大久達朗=デザイナー)
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