2013年6月21日(金)

ヒトコト劇場 #24
[桜井順×古川タク]








新発見原稿を完全収録した「手塚治虫創作ノートと初期作品・新発見編」

 〝漫画の神様〟手塚治虫の創作ノートの復刻BOX第3弾が刊行される。ここ1年半ほどの間に発見された手塚治虫の原稿類を集めて付録にした、とても豪華な企画だ。

 手塚のノート自体は日本文化の貴重な文化財だと思っているが、今回は付録の新発見原稿に限って紹介しよう。時間順にいうと、このサイトでも紹介したことがあるが、2012年の2

月、丹波篠山に手塚の古い友人がいて、その家で見つかった原稿が3枚。その後2013年になって、漫画コレクターとしても有名な松本零士先生の集めた原稿が15枚。さらに、初期の短編作品の原稿が1話分(これは未完)。これらは、いずれも発見されたときに新聞などで大きなニュースになっているので、ご覧になった方もいるかもしれない。ただ、記事ではその詳細を知ることは出来ないが、今回の企画ではそのすべてを完全復刻して公開する。
 それでは、そのハイライト部分を紹介しよう。
 未完のこの短編は発見された当時は、初期のものということ以外、描かれた時期や作品の題すら分からなかった。後の調査で、「ロマンス島」の直後に描かれたもので、1946年の作品と推定されている。ただ、

この年の後半は、翌年1月に出る長編「新寶島」に取り掛かっているので、この作品は途中で終わらざるを得なかったと考えられる。歴史的に考えると、「新寶島」の完成の影に未完成の作品が残ったことは、日本漫画史上必要なことであったといわざるを得ない。そしてこの作品の題は、手塚の書き残したメモから「噫(ああ)、それなのに」と分かった(上段の2枚)。
 また、発見された原稿のうち「メトロポリス」の原

稿の中に「超人ミッチー」という扉原稿(未使用)がある。これは、作品の題を最初は「超人ミッチー」としようとしていた証拠の原稿になる貴重なもの(右の扉絵)。
 さらに発見された当時なんの原稿だか全く分からないものがあった。それを解決したのが、なんと過去に復刻された創作ノートだった。第1弾の「創作ノートと初期作品集」の中の「有尾人下書きノート」に、未発表作品のプロットが書い

てあり、見つかった原稿がまさにその場面だったのだ。「浮標島」というのがその作品の題だ(図版左)。創作ノートにはプロットだけの未発表作品が多いが、原稿が見つかったのはこれが初で、とても稀なものだ!
 これまで紹介したのは新発見原稿だが、今回のBOXには、新発見ではないが初公開の作品もある。手塚が小学生のときにクレヨンで描いた紙芝居原稿(下の図版2点)がそれだ。色彩も鮮やかに描かれた紙芝居

原稿。「火星人来る」というSFもので、37枚ある。ただ、ストーリーは書かれていないので想像するしかないのが残念。
 このBOXにはこれらの全貌が収められているが、解説小冊子『読本』が付いているので、作品について詳しく知ることが出来るようになっている。また、原稿の詳細については6月、7月の「月刊てりとりぃ」をお読みいただきたい。
(川村寛=小学館クリエイティブ編集者)



ジャック・ドゥミ回顧展あれこれ(後編)

 4月8日にシネマテーク・フランセーズで行なわれたジャック・ドゥミ回顧展オープニング・イベントのうち、第一部〈内覧会〉と第二部〈トリビュート・コンサート〉についてはすでに書いた。今回は第三部にあたる〈カクテル・パーティー〉の模様を紹介する。
 ライヴ終演後に我々招待客が案内されたフロアには、協賛企業のひとつダロワイヨのパティシエによる「ケーキ・ダムール」(映画

「ロバと王女」の劇中で登場する愛のケーキ)とカナッペ、それに各種カクテルが用意されていた。 
 私はコンサートの興奮冷めやらぬまま、友人のステファンとホセ夫妻、アレクサンドル・デスプラ、それにフィリップ・サルドの二人の娘ポネットとリーザと連れ立って会場に向かった。
 ここでアレクサンドルについてふれておくと、彼は今やハリウッドでも活躍する作曲家で、私とは十数年

来の友人だ。大の親日家で、知り合った当時は、好きな作曲家として武満徹、ジョルジュ・ドルリュー、それにミシェルの名を挙げていた(ただし、ミシェルについては70年代半ばまでの仕事が好きなのだという)。彼が「将来は彼らのように本国以外にも活躍の場を広げたい」と熱っぽく語っていたのを昨日のことのように覚えている。
 これまでに「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」や「英国王のスピーチ」、「ハリー・ポッターと死の秘宝」といった映画で音楽を手掛け、近く日本で公開される「最後のマイウェイ」も彼の手によるもの。同作は「マイウェイ」の原曲である「コム・ダビチュード」の作者のひとりで創唱者でもあるクロード・フランソワの伝記映画で、アレクサンドルは控えめながらも深

い印象を残す楽曲を提供している。
 余談だが、彼の名〈デスプラ〉がなぜか日本では〈デプラ〉と表記されることがある。以前それを本人に話したところ「〈デ〝ス〟プラ〉と訂正しといてくれ!」とのことだった。残念ながら「最後のマイウェイ」のプレスにも〈デプラ〉と表記されていたけれど。
 閑話休題。パーティー会場ではミシェルがジャック

・ドゥミ映画のために書いた楽曲が静かに流れ、招待客は思い思いに先程のコンサートの感想を述べ合っては、余韻に浸ったり、旧交をあたため合ったりしている。
 会場を見渡せばドゥミ作品に出演した俳優や製作に関わったスタッフがずらり。ミシェル・ピコリとジャック・ペランが話す傍らでマチルダ・メイがグラスを傾け、その横ではアニエス・ヴァルダとコスタ=ガヴラ

スが談笑している。あいにくカトリーヌ・ドヌーヴは新作の撮影のために欠席したが、存命の関係者は吹き替え歌手を含め勢揃いしていた。余談だが「天使の入江」で主演を務めたジャンヌ・モローは、数日後に行なわれた同作の修復版プレミア上映に主賓として招かれるも、待てど暮らせど姿を見せず、その日は遂に会場に現れることはなかった。聞けば彼女はドタキャン常習者らしい。
 ともあれ、ドゥミ映画のファンとしてはその場にいられるだけで本望だが、ここでさらに嬉しいサプライズがあった。なんとドゥミの処女長編にして〝ヌーヴェル・ヴァーグの真珠〟と評される映画「ローラ」のヒロインを務めたアヌーク・エメが私のすぐ隣でジャン=ポール・ラプノー監督と話しているではないか。

ホセとの会話に夢中で迂闊にも気付かずにいたのだ。
 やがて、二人と顔見知りのステファンが、その会話に割って入り「僕の友人たちを紹介します」と言ってアヌーク・エメを連れ出した。たじろぎながらも挨拶する私を尻目にステファンが「(「ローラ」の)劇中では吹き替えられていたけど、本当のローラの歌声を彼に聞かせてあげて」と水を向けると、彼女は何の躊躇いもなく私の耳元で囁くように劇中歌「ローラの歌」をワンコーラス歌ってくれた。しかも快くサインに応じ、さらに並んで写真まで撮ら

せてくれたのだからたまらない。完全にただのファンと化して舞い上がる私を、少し離れた場所からミシェルとカトリーヌが茶化すように微笑みながら眺めていた。
 また、会場では映画「ローラ」のもう一人の主役であるロラン・カサールを演じたマルク・ミシェルとの再会もあった。彼とは十数年前にパリのカフェでランチを共にしたことがある。その時は二時間たっぷり、彼が出演した「ローラ」と「シェルブールの雨傘」は勿論のこと、ほかの出演作「穴」や「ブーベの恋人」の撮影秘話やジャック・ドゥミの人柄と仕事振りについて興味深い話を色々と聞かせてもらったのだ。そんな彼がアヌーク・エメと同様に、劇中で吹き替えられていた曲を自ら歌ってくれたのにも感激した。「ロー

ラ」では「夢見るロラン・カサール」として、「シェルブールの雨傘」ではサブ・テーマ「ウォッチ・ホワット・ハプンズ」として採用されたあの曲だ。何度聴いても瑞々しい輝きを放つ珠玉のメロディーで、これまでに何度聴いたかわからない。
 ジャック・ドゥミ作品で好きな作品をどれか一本を選べと言われれば、私は迷うことなく「ローラ」を挙げる。まさに生涯の一本と言っていい。語り始めればきりがないので、敢えてここでは詳述を避けるが、これについてはいずれ機会を見つけて何かしら書き残そうと思っている。何しろ好きが昂じて98年には撮影地ナントに出向き、舞台となったカフェ〈ラ・シガール〉やパッサージュ・ポムレーを巡ったほど。いや、ナントだけではない。その

時は三週間をかけてロシュフォール、マルセイユ、ニース、モナコ、プロヴァンス、コート・ダジュール…とドゥミ映画の撮影地を辿る旅に出掛けたのだった。
 当時、旅を終えてパリに戻った際、アニエスがしみじみと「あなたはまるでジャックの人生を辿る巡礼者のようね」と呟き、修了証書のようにドゥミ作品のポスターにメッセージとサインを入れてプレゼントしてくれたのはかけがえのない思い出である。
 あれから15年、当時は未

ソフト化作品も多く、サントラも未CD化、関連書籍も映画関係者による私家本二冊しか刊行されていなかったが、今やほぼ全ての作品がソフト化されて研究材料も豊富に揃った。しかもこうした形で回顧展まで開催されているのだ。いつ完成するとも知れないが、私も手元の資料を基に、いずれドゥミ関連の本を書き上げられればと思っている。少なくとも音盤については今秋上梓予定の拙著で一通り紹介するつもりだ。なお、ミシェルのジャックについての証言は、今秋本国で刊行予定の彼の伝記で一章分を割いて紹介される。おそらくミシェルがジャックについて語るのはこれが最後となるだろう。詳細は追って本サイトで紹介する予定である。
 さて、全四回に渡ってお届けしたジャック・ドゥミ

回顧展オープニング・イベントのレポート、いかがだったろうか。やや散漫になった嫌いはあるが、もとより本稿は個人の備忘録に過ぎない。クローズドの催しだっただけにせめてその一端をお伝え出来ればと考えた次第だ。回顧展は8月まで引き続き開催中なので、この夏フランスを訪れる方、またジャック・ドゥミに興味を持たれた方は是非ともシネマテーク・フランセーズに足を運ぶことをお勧めしたい。
 最後に。文中でふれた映画「ローラ」の修復版が、今週末に有楽町朝日ホールで開催されるフランス映画祭にて特別上映。すでに本国ではブルーレイが発売中だが、スクリーンで観るまたとないチャンスだ。こちらも併せてお勧めしたい。
(濱田高志=アンソロジスト)

前三回の記事で紹介したミシェル宅での発掘素材の一部を、来週の土曜日(29日)に池袋コミュニティカレッジで行なう〈TVAGE講座〉で紹介します(いずれも18時半開講)。今回の目玉はクリスチャンヌ・ルグランが遺した各種素材のなかからデジタルに起こした音源の数々。彼女が歌ったCMソングや最後の録音、また彼女の歌唱映像や実弟ミシェルと録ったデモなど、今後商品化が難しいものを中心に紹介する予定。詳細は池袋コミュニティカレッジ(03ー5949ー5481)まで。
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(写真キャプション/上から)●回顧展開催のタイミングで刊行されたジャック・ドゥミ特集の雑誌各種とシネマテークが無料配布したブックレット、フライヤーの数々。中央にあるのは映画「天使の入江」(修復版)の試写状。●筆者のドゥミ・コレクションの一部。およそ200点ある映画「ロシュフォールの恋人たち」の撮影時のスナップ。●映画「ローラ」のサウンドトラックEP。●カクテル・パーティーの模様。




LOVE IS THERE〜NOVO COMPLETE WORKS
 

 スキャット、エレピ、美しいメロディとハーモニーが織りなす至福のメロウ・グルーヴ! 幻のグループ、NOVOが残した秘宝が、ボーナス・トラックを追加して再び!

コンテポラリーでクールなブラジリアン・サウンド、どこまでも美しいメロディーとコーラス。1973年の日本でA&Mと本格ブラジリアン・サウンドを高度に再現しつつも2枚のシングルを残して解散してしまった伝説のグループ、NOVO(ノーヴォ)。彼らのシングル4曲と2003年に発掘された当時の未発表音源、さらに新録音2曲を追加したコンプリート・コレクションが再びCD化。最新デジタル・リマスタリング。 <TVエイジ最新作、監修:濱田高志>
SOLID RECORDSより、6月26日発売



『いつか聴いた歌 和田誠 トーク&ライヴ』のお知らせ
 

2013年7月13日(土)@池袋コミュニティ・カレッジ

演奏=島健(ピアノ)、納浩一(ベース)、島田歌穂(ヴォーカル)
企画・プロデュース=濱田高志
構成&トーク=和田誠

お申込み方法:コミカレ会員の方5/20(月)から、一般の方は5/25(土)より受付。
+ご来店の場合:お申込み日の10:00より(月~土は10:00~19:00、日曜日~17:00)
+お電話(セゾンカードお持ちの方、または銀行振り込み):お申込日の13:00より
+Web(各種クレジットカード):お申込日の10:00より

詳細はリンクをご参照下さい。http://cul.7cn.co.jp/programs/program_635172.html