東京及びその近郊にお住まいの方で、街を歩いていて泉麻人さんに遭遇したという方は多いのではないだろうか。特に地下鉄などは泉さんに会える絶好のポイントである。昨年『タモリ倶楽部』で東横線の渋谷駅のサヨナラ特集が放映された際、改札付近で偶然映り込む様子は可笑しかった。後で伺ったら決して仕込みなどではなく、ガチのバッタリだったそうだ。かつてはテレビ東京『アド街ック天国』にもレギュラー出演
し、豊かな見識を披露していた街歩きの達人が、集大成的な一冊を上梓された。09年から4年間に亘る「おとなの週末」誌での連載がまとめられたもの。そのルーツとなった85年の「東京23区物語」(主婦の友社)から実に29年ぶりとなる本書の帯には〝東京を歩くすべての人に捧げます〟と掲げられている。 「東京23区物語」は、バブル前夜の東京の情景が、シニカルな視点で描かれた名コラムだった。氏がフリ
ーになってまだ間もない頃で、街に詳しい人というイメージを確立した一冊といえる。その後も「東京自転車日記」や「大東京バス案内」、最近でも「東京いつもの喫茶店」など東京めぐりの著書は多く、中には「東京23区動物探検」などというかなりマニアックなアプローチもあった。今回の「大東京23区散歩」を読んでなんだか懐かしい想いがしたのは、あとがきにも書かれているように、「東京23区物語」を踏襲しての〝ですます調〟で書かれていることが大きい。その文体のルーツは氏の小学校時代の社会科の副読本「わたしたちの東京」にあるとのこと。ぜひとも読んでみたいと思ったが、この手の本が容易に入手出来ないことはよく解っている。神保町で気長に探してみよう。 日本地図で見ると小さく
見える東京も実際にはかなり広く、地域によって雰囲気は大きく異なる。同じ東京生まれでも下町育ちと山手育ちでは意識が全然違うのではなかろうか。特に昭和においては。文学的には、池波正太郎や小林信彦といった東側に生まれ育った作家が下町の情景を書いた随筆が豊富なのに対して、西側のそれは意外と少ないような気がする。新宿生まれ、杉並在住の泉さんは生粋の山手の作家のひとりであるから、やはり西側地区の描写にひときわ筆致が冴えているように思えるのだ。中野区生まれの自分としてはその辺りにシンパシーを感じて、氏の作品を愛読してきたというのは少なからずあるかもしれない。本書もまず中野区から読み始めたところ、中野坂上にある宝仙寺の記述で、「宝仙学園はこの寺がやる学校ですが、
とくに小学校は昔から進学校として知られ、あの四谷大塚の成績順位表にその名を飾るエリート児童もいたものです」の一節に胸を熱くした。エリートではなかったが宝仙学園小学校の生徒で、四谷大塚進学教室にも通っていた昔の自分を重ね合わせたからだった。ちなみに四谷大塚の塾歌は、岡本敦郎が歌ったラジオ歌謡調のすこぶるいい曲である。 そんな風に、各人が所縁のある地区に想いを馳せながら読むと、楽しさは倍増するはずだ。本書の元になった連載の期間中に東日本大震災があったことを考慮しても、東京の街の変貌は目まぐるしく、街歩きに終わりはないとつくづく思う。店や建物が消えてゆく替わりに、必ず新しいものの参入がある。失われた昔日の面影を偲ぶのも必要だが、
今存在しているものをしっかりと見据えておくことはそれ以上に大事なこと。泉麻人氏がコラムニストの第一人者で在り続けるのは、その見極めが優れているからと推察される。テレビに散歩の番組が氾濫する中、真の適任者は泉さんではないかと、本書を読みながら強く感じたのであった。 (鈴木啓之=アーカイヴァー) ーーーーーーーーーーーー 街を描くエッセイストとして大人気の泉麻人氏の東京エッセイ最新作。東京の街を巡りながら、現在の街並みや文化風俗などを描写。単行本化にあたり大幅に加筆修正。進化し続ける東京の「いま」の姿。連載時と同様に村松昭氏の絵地図、イラストも多数収録。●泉麻人・著「大東京23区散歩」/講談社より発売中/定価2400円+税
喫茶B
JR山手線の某駅に居を構えてから、早7年になる。駅近なのに閑静住宅街で、下町的な情緒もあり、非常に気に入っている。日常の買い物も、大型SCこそ無いが、中堅スーパーが3店舗、コンビニも駅前に4店舗あり、非常便利な事この上ない。それに加えて、いわゆる地元の商店街も近くに2つあり、魚屋や肉屋、
八百屋、お総菜屋など一通り全部揃っている。しかも、いまだにコロッケが30円で買える店などもあるのだ。 それに比べて、外食環境となると100%満足という訳ではないが、それでも、お気に入りの中華料理屋と和食屋がある。中華料理屋はいわゆる街の中華飯店で、定食からカレーライスまで、何でも有る店だ。そして、
安くて美味い。ここのレバ炒め定食は何回食べたかわからない。もう一つの和食屋も元々は別な専門店だった様だが、ここの鳥かつはボリュームといい、味といい、文句の付けようがない。 しかし、折角、いいお店を紹介しているのに、場所をあまり特定出来ない様にあえて書いているのが本当に申し訳ない。と言うのも、この街にちょっと変わった店があるからだ。それが、喫茶B。実はまだ1回も入った事はないのだが、入るのをためらう要素が沢山ある。この店は、商店街の最も奥からさらに外れた所にあり、一見、普通の家にしかみえない。その玄関の前に小さな椅子が置いてあり、メニューが書いてある。コーヒー○○○円、紅茶○○○円… メニューは至って普通だ。しかし、その玄関の先を見て、腰を抜かす。
そこには普通の食卓テーブルと椅子4脚、どう見ても、家庭の食卓だ。喫茶店には見えない。でも、怖いものみたさで、何日も通り過ぎていく日々が続いた。 それでもある日、勇気を振り絞って、今日こそは入ってやると心に決めて店に向かった。しかし、入口でその気は失せた。その食卓で、明らかにその家のお爺さんと思しき人が新聞を見ながらコーヒーを飲んでいたのである。しかも、しばらく、物陰に隠れて様子を伺っていたら、その方の孫と思われる子が、ハイハイをしながら食卓に入ってきた。これ、店じゃないでしょ。しかし、未だにその看板は外された事は無い。 実はこの街にはもう一軒、謎の店がある。それは会員制中華M。それはまた別の機会にお話ししたい。 (星 健一=会社員)
てりとりぃアーカイヴ(初出: 月刊てりとりぃ#40 2013年6月29日号)
ブラジル専科
ブラジル音楽の一番の魅力な何なのかと質問されることが多々、ある。そんなとき、僕はコンスエロ・ヂ・パウラの音楽を想いおこす。僕が思う、ブラジル音楽の魅力を構成する鍵を、彼女は全て持っているからだ。
第一の鍵は、雑食性だ。 多種多様な文化の混交が行われたブラジルでは、音楽もまた、多様な文化の混交で成立している。ボサノヴァにだってアフリカ由来のリズムからヨーロッパ由来のハーモニー、教会音楽などが混じり合っている。
現在、ブラジル最大の都市サンパウロに暮らすコンスエロが紡ぐ音楽には、故郷のミナス・ジェライス州に伝わる伝統音楽や、教会音楽、サンバ、ショーロ、クラシック音楽~現代音楽、さらには北東部で生まれ都会にも伝わったバイォンなど、実に多様な音楽が溶け込んでいて、芳醇な味わいを醸し出している。 第二の鍵は、ご当地リズムだ。 ブラジルは、ヨーロッパやアフリカなど異文化との関わり方が地域や時代によって異なるため、各地でその土地特有のリズムが根づき、発展した。どの地方の音楽であれ、ご当地リズムが楽しめるのだ。コンスエロの場合は故郷ミナス・ジェライス州に伝わるアフリカ由来の黒人宗教文化コンガードや、ポルトガル由来の祭事フォーリア・ヂ・ヘ
イスにまつわる音楽を採取・研究して、自身の音楽に活かしている。 そして、第三の鍵は、ブラジルにしかない歌声。実は僕がブラジル音楽に有無を言わさず惹かれてしまうなによりの要因は、ブラジルの歌手の歌声だ。そもそも歌手の歌声には、地域によって似た特徴があるように思う。使用する言語、発音に使う筋肉、喉の動き、方言(話し方)、生活習慣などが、歌声における、他の地方との差違や、同じ地方での共通性を、生んでいるのではないかと推測している。もしかしたら人種や血統も関係しているのかもしれない。ミナス・ジェライス州はクララ・ヌニスからアリーニ・カリショットに至るまで、美声歌手の名産地だ。清らかで澄んでいて、でも爽快なだけではない深みもあって、さらには
黒人歌手が持っているようなしなやかさ、強靭さも持ち合わせている。そんなミナス産の歌声の中で、僕にとって筆頭なのがコンスエロの歌声だ。 コンスエロ・ヂ・パウラの音楽には、僕が考えるブラジル音楽の魅力が詰まっている。 (麻生雅人=文筆業) ーーーーーーーーーーーー
|
|