201冊目の書き下ろしニャンコ・エッセイが刊行!
書店の新刊コーナーを見ていると、毎月のように和田誠氏が装丁を手がけた本が並ぶ。その仕事量たるや、相当なものであろうと察するが、その中で自らが文章を書いたもの、作品集や絵本など、純粋な著作物が200冊に達した。文学畑の作家でもそれだけの著作を世に送りだすのは大変なことなのに、イラストレーシ
ョンが本筋である氏となれば感嘆せざるを得ない。しかも氏の文章は常にとても面白いから参ってしまう。我が家の書庫でも、その全てではないにせよ、かなりの数の氏の著作物が棚の一角を占めている。装丁本となればその何倍もの数えきれない程に及ぶ。正に超人的というしかない。 記念すべき200冊目の
著作物となったのは、本誌編集長の企画による、この20年間の装丁作品集『Book Covers in Wadaland』。既に出版されて好評を得ているレコード・ジャケット集『Record Covers in Wadaland』に続いて、アルテスパブリッシングから発売された。本の装丁集はこれが初めてではなく、今回は90年代以降の出版物を中心に、最新作まで700点以上の作品がフルカラーで収められている。氏の仕事はたいてい目にしているつもりでも、「うわ、こんなのも手がけられていたのか!」というものが沢山あって驚かされる。特に文庫本などはチェックし切れていないせいか、この本で初めて知るものが多かった。2011年に出されたハルキ文庫の『古典落語』シリーズなど、
今からでも集めたくなってしまう楽しい連作。そうした意味では、切手のカタログを見ている様な感覚もある本だ。 まえがきで述べられている様に、星新一、丸谷才一、阿川佐和子は中でも特に多
くの数を占めている作家である。惜しくも星、丸谷の両氏は鬼籍に入られたが、阿川氏はまだまだ著作の数を増やしていくだろうから、デザインについても楽しみが広がる。星、丸谷氏にしても、文庫や復刊でその機
会はまだあるだろう。装丁を依頼されるとまず校正刷りを読み込むというスタンスが素晴らしい。文筆家としても秀でた氏の巧みな文章力は、様々なジャンルの作家たちの優れた文章によって修練されたところも大きいのではなかろうか。中でも最も得意なジャンルと思われる映画関連の書籍も数多く見ることが出来る。 そして、201冊目。こちらは本誌同人の吉田宏子氏が長らく温めていた企画『ニャンコ・トリロジー』(ハモニカブックス)。和田家で飼われた猫の三代記で、それは家族の歴史にもなっている。イラストレーションは既存のものも含まれるが、書き下ろしの文章が実に愛情に満ちた温かいものなのだ。「猫にエサをやる」よりは「猫にご飯をあげる」派だという冒頭の宣言からして既に猫好きは
気持ちを大いに揺さぶられる。一度でも猫を飼ったことのある人であれば共感する部分が多すぎて、何度も読み返してしまうことは必至。この20年間で8匹+αの猫たちと過ごした自分にとっても、涙なしには読めない件りがあり、和田さんとその家族の優しさに触れた気がした。これからもずっと手元に 置いておきたい一冊であります。 10月下旬には、200冊刊行を記念してのパーティーも都内で開催され、和田氏と親交の深い人々がお祝いに訪れる機会が得られた。司会進行に阿川佐和子と三谷幸喜、列席者は本誌同人の宇野亞喜良、土井章史、関口茂の各氏のほか、湯村輝彦、糸井重里、南伸坊、松田哲夫、吉永小百合、大竹しのぶ、清水ミチコ氏ら、実に豪華な面々が揃い、島健楽団の演奏でデューク・
エイセスやタイム・ファイブが歌を披露するなど、賑やかで愉しい会となった。もちろん夫人の平野レミ氏も出席し、清水ミチコがものまねを披露しての〝ダブル・レミさん〟は抱腹絶倒。阿川&三谷の息の合った司会ぶりも大いに讃えられよう。それから間もなく、書店にはまた新たな氏の装丁による本やムックが並び始めた。やはり和田誠はスーパーマンだ。 (鈴木啓之=アーカイヴァー) ーーーーーーーーーーーー ●(写真上)『Book Covers in Wadaland 和田誠 装丁集』A4判変型判・上製・240頁・フルカラー・アルテスパブリッシングより発売中 ●(写真下)『ニャンコ・トリロジー』カラー56頁・ハモニカブックスより発売中。
連載コラム【ヴィンテージ・ミュージック・ボックス】その13
レス・ポールとパティ・ペイジのダビング対決
ギターのモデル名《レスポール》のほうが、本人よりも有名になってしまったギタリストのレス・ポール。彼は40年代後半に、ギターを多重録音してひとりオーケストラをやってのけた。彼が48年に発表した「ラヴァー」は、ギターとは思えないピッチの高い音色が何層も重なっている。まさにキャッチフレーズの《ザ・ニュー・サウンド》そのものであった。 48年5月、パティ・ペイジも自分の声を多重録音した「コンフェス」を発表した。彼女がダビングを使用したのはコーラス歌手を呼ぶ予算がなかったからだそうだが、この曲はまるでふたりの歌手が歌っているようである。彼女は50年にも4重にコーラスをダビングした「ウィズ・マイ・アイズ・ワイド・オープン・アイム・ドリーミング」を発
表、続いて同じく多重録音した「テネシー・ワルツ」を大ヒットさせた。 レス・ポールはこの頃、大きな交通事故にあい、ギタリスト生命が危ぶまれたが、右腕を固定することで演奏は続けることができた。そしてビング・クロスビーから贈られたテープレコーダーを駆使し、エコーを作り出すなどダビングの技術
を磨き、ギターのインスト作品を発表していた。 「テネシー・ワルツ」を聴いたレス・ポールは、それまでくすぶっていたものが爆発したのだろうか。ダビングのアイデアは俺のだと言わんばかりに、パティのとそっくりに作った「テネシー・ワルツ」をすぐに発表。この曲ではギター・オーケストラにのせて、レ
スの妻、メアリー・フォードのコーラスもダビングしてある。彼らのヴァージョンもパティほどではなかったが、かなりの大ヒットとなった。 今度はパティのレコード会社マーキュリーが、レスに反発。レス&メアリーがリリースした「モッキン・バード・ヒル」がヒットするとマーキュリーは、すぐにパティを呼び出し、同じ曲を録音させた。 51年にはレス&メアリーが「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」を発表し、チャートのトップになった。レスは当初、この曲を渋ったキャピトルに「これならパティに勝てる」と言って説得したという。これをまたパティが真似するのかと思われたが、発表されなかった。 きっと、マーキュリーはこの曲の魅力であった、ギターとヴォーカルを12回も
重ねた《ザ・ニュー・サウンド》に対抗できるアイデアをひねり出せなかったのだろう。 アメリカでは、ヒット曲が出るとすぐに別の歌手がカヴァーすることがよくある。そんなとき、敵対心はそれほどないものだが、この対決は、めずらしく激しかったようだ。でも、リスナーには技術のことや意地
の張り合いはまったく関係なく、レス&メアリーもパティも音楽のよさでどちらの曲もヒットしたのだ。 レス・ポールの《音》の魅力に隠れているが、メアリー・フォードもすべすべないい声をしている。ライヴァル心のおかげでいい音楽が生まれた。 (古田直=中古レコード店「ダックスープ」店主)●写真上 レス&メアリー『ザ・ヒット・メイカーズ』。多重録音ギターとコーラスでカヴァーした「テネシー・ワルツ」を収録。ふたりは49年に結婚、62年に離婚した。 ●写真下 パティ・ペイジ『テネシー・ワルツ』。この曲が対決の火種に! 次の勝負「モッキン・バード・ヒル」は音楽チャートでほぼ引き分けた。
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