「真夜中に開く」
以前、この「週刊てりとりぃ」に近所にある普通の家にしか見えない変わった店「喫茶B」の事を書いたが、ここには会員制という変わった中華料理Mもある。私はこの地に越してから七年程経つが、その間一度も空いているのを見た事がない。会員制という表札とカーテンがいつも閉まっている入口。かといって、潰れている様子でもなく、仕入れていると思われる浅草開化楼の木箱がいつも積んである。一体いつ開いている
のかと、以前からずっと気になっていた。たまらずネットで検索してみると、酔客を避けるため、会員制の表示と午前零時半頃オープンにしているらしい。 つい先日、家人が旅行中の時に、行ってみた。「会員制」という札が扉を開けるのを躊躇わせるが、思い切って開ければ、中は極めて普通の中華料理店。しかし、カウンター以外テーブルは全て満席だった。メニューの種類も豊富で、酢豚などの単品からラーメン、
チャーハンの定番や定食まで、基本ラインは全て揃っている。二、三品頼みたい所だが、今日は、無難にラーメンをオーダー。意外にもシンプルで飽きのこない味で、普通に美味かった。 ここで、思い出したのが、やはり深夜しか開いていないという名古屋のラーメン屋「大丸」だ(二○一二年に惜しくも閉店)。今から十五年くらい前、名古屋に住んでいた頃、今池のバーで、ライターや局の音楽好きの面々でDJ紛いの事を毎週やっていた。そのDJナイトが終わった深夜4時頃、面白いラーメン屋がある、と連れて行ってくれたのが「大丸」だ。こんな深夜なのに、すでに店の前に何人も並んで待っており、店の中から聞こえる歓声と嗅いだ事の無い甘辛い強烈な匂いが鼻についた。三十分以上待っただろうか。よ
うやく中へ入ると、山盛りの野采と肉、肉、肉。そう、これは今考えると名古屋版「ラーメン二郎」なのだが、とにかく未体験の量と味に圧倒された。全て少なめにして乗り切ったが、同僚は普通にしたため、かなり残しギブアップしていた。その後も何故か後を引き、何回か通った記憶がある。 深夜営業の店は数々あれど、真夜中にオープンする店というのもあまりないと思う。自らハンデを背負っているのだが、その強烈な個性とオーラにマニアは魅かれてしまうのだろう。僕も、これから、ちょっと通ってみようかな。 (星 健一=会社員)
自主制作マンガ界の芸術とコロコロの狭間
時折、「マンガはアートか?」というような議題を目にする。「アートかどうかは知らないけれど、芸術の一種ではある」と思う。おそらくマンガの発生は画家の考案だろうし、初期のヒトコママンガは「ユーモアを感じさせられる絵画」と区別がない。元々達者なマンガ家の画力がピークに
達したとき、何故かルーブル美術館やバルセロナに到達する例についても、「クールジャパン」というおまじないがあるにしろ、よく考えると同様のことだ。面白いのは、ギャグマンガ家がギャグセンスをつきつめ過ぎると、何故かアート扱いになってしまう例。この現象はギャグマンガに特化
しているようで、まだ考察の余地がある。 ところで最近、(現代美術やイラストレーションを扱うような)画廊の売店に自主制作マンガの冊子が置かれていることがある。なかには画廊が積極的に創っているものもあり、これもマンガの曖昧な立ち位置を表している。ある画廊で、『神保賢志初期短編集 漫画じゅんぼくん(朝)』(二○一四年)という本を見つけた。神保賢志はイラストレーターで、ヴィレッジヴァンガードでグッズが扱われていたり、ペインティング作品で様々なグループ展に参加してもいるが、マンガも描いている。過去の低学年向けマンガのパスティーシュといった画風で、マンガの方も低学年の嗜好に沿った設定の無邪気で愉快なノリで、もとよりそうしたジャンルに基本として
ある荒唐無稽さを、よりシュールに、さらに甘酸っぱく味付けして描いている。つまりは、ひとりよがりではないマンガで、こうした開かれたマンガが画廊の片隅で発表されている事実は、もったいないけど面白い。最近、前作より若干セクシーな『漫画じゅんぼくん(夜)』を発刊、件の画廊で個展が催された際、物販スペースにあった芸術仲間との日記集『こもれび』(二○一三年)を読んだ。こうした作風の作家がきっと持っているはずの、斜に構えた視点を知りたかったのだが、それが全く感じられず、逆に純粋すぎて心打たれるハメになった。裏の裏をかかれたような、不思議な気分だ。マンガもアートも世の中も、思った程にはひねくれていないのかもしれない。 (足立守正=マンガ愛好家)
買いもの日記[4]
コタキナバルで用事が終わった後、ぼくはクアラルンプール経由でジャカルタへ向かった。飛行機を降りるとすぐにジャカルタの匂いがした。インドネシアはここ、インドネシアの甘い匂いのタバコ、ガラムの匂いがする。スカルノ・ハッタ空港からはタクシーで市内へ。着いてすぐにDJを
して、泊まるホテルがまだなかったので近場のホテルで一泊。 次の日からはまたレコード探し。スラバヤ通り、ブロックMスクエア、そして半年前まではなかったパサール・サンタのレコード屋。ここ半年でジャカルタのレコード屋は10件以上増えたことに驚いた。前からじわ
じわとレコードのブームが来ていたが、今はレコード屋に若い人が集まっている。探しているのはビートルズ、ストーンズ、ツェッペリンなど。それが再発、オリジナルは関係なく日本よりも高い値段で次々と売れていく。レコードの買い方も変わった。裏へ連れて行かれ、インドネシア人にここで買ったことは言うなよ。と言われながら買う。レコード屋に一日いると、外国の人が来て「ダラ・プスピータはないですか?」と訊いていく。今はみんなインドネシアの60年代のガールズガレージバンド、ダラ・プスピータを探している。キレイなレコードはめったにないけど、あったとしても高い。とにかくインドネシアのレコードは探しづらく、高くなってしまった。まず、出した枚数が少ないのだから今までが安すぎたのかも
しれない。それでも未だに針飛びしなければミント、という表記は変わらない。 今回、ジャカルタに来た一番の目的はレコード探しではなかった。ぼくのことを兄弟のように思ってくれているリアンのお父さんが今年、亡くなってしまった。それでお墓参りをしたいと思っていた。リアンにそれを伝えるととても嬉しそうだった。「オレは店があるから一人で行けるか? 案内はさせるから」とリアン。そのあとリアンがいつも使っているバイクタクシーが来て、それに乗ってお墓へ
向かった。まず、入り口で真っ赤な花びらを三袋ほど買う。イスラム教の墓地を見るのは初めてだった。盛り上がりのある土の上に墓石が立っている。木の棒が立っているものもあれば、ただ、石ころが一つ、置いてあるだけのものもある。ここだよ。教えてもらったリアンのお父さんのお墓。立派なお墓だった。ただ、そこに着いて何をどうすればいいのかわからない。イスラム教の拝み方ってどうするの?バイクの運転手に訊いて教えてもらった。まず、入り口で買った花びらはお墓全体を埋めるように撒く。そして立ったまま、両手のひらを太陽に向けて拝む。リアンのお父さんと最後に会ったのは三年前だった。その時日本語で一緒に歌った『おててつないで』を思い出していた。 (馬場正道=渉猟家)
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